【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-108話忘却の断片1-去る者は日々に疎し
【前話】 【最初から】 【目次】 【第二章番外編】 【第三章番外編】【第四章番外編】
「――っ!」
永遠は勢いよく飛び起きた。左腕の痣が熱を持っているような錯覚に、思わず顔をしかめる。
「夢か……」
呼吸を整え、額の汗を拭った。高校に上がるまでは、決まって炎の中で誰かが倒れている前世の情景を夢で見ていた。だが、今朝のものは違う。自分が「炎駒」として、主という太陽を見出した瞬間の、鮮烈な記憶。
(主とお会いして、初めて希望が生まれた。あの方のために、全てを差し出せると思えた……)
「……って、それはあくまで前世の話だろ」
ふと我に返り、言葉を零す。溜息をひとつつくと、ベッドから身体を起こして時計を確かめた。枕元には最近購入した電波時計があり、時刻は5時15分を指している。入学式の朝と同じ時間。けれど、布団を被り直して気怠さに身を任せる選択肢は、今の彼にはなかった。
洗面所で顔を洗い、部屋に戻ると机の上に伏せられたままの写真立てを手に取り、ゆっくりと表に返した。
『つばめヶ丘小学校卒業式』と書かれた看板の前で、永遠と一緒に笑う少年と俯いた少女が立っている。かつてあれほど眩しかったはずの二人との思い出が、今はひどく遠い昔のことのように感じられた。
「俺は……何がしたいんだろうな」
指先で一瞬だけ写真をなぞり、再びそれを伏せた。
永遠は左手首の包帯を見つめた。昨日、澪から「第二解放をしている証」だと告げられた麒麟の痣を、白く無機質な布が覆い隠している。
自分の意志とは無関係に刻まれた力が、少しずつ精神を削り取っていく。この包帯で痣を塞ぐことだけが、今の自分という存在を繋ぎ止めるための、精一杯の抵抗だった。
漆黒のコンプレッションウェアに身を包む。吸い付くように筋肉のラインを浮き彫りにするタイツは、無駄な振動を抑えるための「装甲」だ。仕上げに左右の手首へ500グラムのリストウェイトを巻き付ける。バリバリと音を立てるマジックテープが、朝の静寂を切り裂いた。
部屋を出て二階へ降り、玄関の扉を開ける。外階段を一段ずつ踏みしめ、まだ静かな一階の食堂横を通り過ぎて表へ出た。
5時30分。街灯が自身の役割を終えようと頼りなく瞬き、地平線の向こうから冷たい光が商店街の輪郭を削り出し始めている。
入念なストレッチの後、永遠は走り出した。
かつては息を切らして走っていた商店街の緩やかな坂道も、今の身体には何の負荷も感じさせない。吸い込んだ9月末の鋭い朝気は、火照り始めた肺腑を心地よく撫でていく。
一歩。アスファルトを蹴る感覚が、以前よりもずっと「正確」になっていた。
筋肉の収縮、重心の移動、視線の固定。それら全てを、頭ではなく脊髄が制御している。
(身体が、軽い……)
入院期間があってブランクがあったにも関わらず、身体が軽く感じた。しかしそれは本当は違う。自分の意志よりも先に、身体が「炎駒」としての最適解を選び取っているのだ。リストウェイトのわずかな重みさえ、自分の輪郭を繋ぎ止めるための命綱のように感じられた。
以前のランニングは、現実の絶望を忘れるための自由だった。
だが、今は思考の最適化だ。自分たちを取り巻く状況の分析。迷いを削ぎ落とし、自分の行動を研ぎ澄ませていく。
(そろそろ美容院の予約をしないとな……)
子供っぽく見られるのが嫌でスパイラルパーマを当てた髪の毛ですら、今は周囲に変化を悟られないための「擬態」として維持していた。スマートフォンに入っていたゲームのアプリも全部アンインストールした。この1~2ヶ月で身の回りのものを削ぎ落としてきたような感じがしていた。
ふと、夢の中の言葉が耳元で蘇る。
――『荷物はいらぬ。家名も名も、ここで捨ててゆけ』
(前世のあの時、俺は炎駒という名前の従者に生まれ変わった。太陽の覡と相見えたら、俺は一体どうなるんだ……?)
その境界線が、朝靄の中に溶けていく。
1時間ほどのトレーニングを終え、シャワーを浴びて制服に袖を通す。再び入学式の日が脳裏をよぎった。
あの時はまだ160cmそこそこだった身長も、この半年で一気に伸びた。丈詰めをしてすら「着られている」ようだったぶかぶかのブレザーが、今は身体に不思議なほど馴染んでいる。この布地は、五麟として戦場に立つ際の「正服」ではない。あくまで学生としての記号に過ぎないはずだ。
だが、内面から「迷い」という贅肉が消えたせいで、無機質な学校の制服すらも、どこか実戦に備えた軍服のような合理性を帯び始めていた。
永遠は、全身鏡の中の自分を一度も見ることなく、静かに部屋を出た。
*
通学中、スマートフォンの通知に気づき、柊と眞白とのグループメッセージを開いた。
『報告が遅れたんだけど、足を怪我して入院中です。でも心配しないで。足以外は元気だから』
柊からの淡々とした、けれど彼女らしい言葉の足りないメッセージ。
その文面を見つめながら、永遠は昨晩、澪からの電話で告げられた重い言葉を思い出していた。
――『橘さん、先ほどはお伝えしきれませんでしたが、入院が長引いているのは怪我が理由ではないんです』
――『え?』
――『はい。柊さんですが、強制解放の影響で両足が動きません。麒麟の痣とは異なる痣が発現しています。美鶴さんすらそれが何なのか分からず、足が動くまでは入院を余儀なくされそうです』
(……足以外は元気、ね。相変わらずだな、あいつは)
永遠は小さく息を吐き、画面をタップする。
『柊はしっかり休めよ。俺は昨日退院して今日から学校行くわ』
永遠はそう返信を打ち込んだ。
(眞白が余計心配するだろ。……でも、眞白も俺が情報を掴んでいる前提でこう返してると分かってるはず。ひとまずこれでやぶ蛇にはならないだろう)
『柊も永遠も無理しないようにね。俺もそろそろ登校できるようになると思う』
すべてを察したであろう眞白からの返答で、画面の動きは止まった。
都立駒葉高校・東櫻大学前駅の改札を抜けた直後、永遠の背筋を氷の刃でなぞるような殺気が奔った。
「――っ!」
――ドサッ!
反射的に投げ捨てたリュックが床を叩き、周囲の学生たちが驚きで一斉に振り返る。永遠は鋭い挙動でポケットの石突を抜き放ち、半身の構えで背後を射抜いた。
「……お前な。そんな殺気を放って後ろに立つの、やめろよ」
「以前より察しが良くなったね」
音もなく現れたのは、間宮鴇だった。永遠は苛立ちを隠すように溜息をつき、投げつけたリュックを拾い上げて土を払った。
「本部長から君に渡してほしいと頼まれたんだ」
鴇が差し出したのは、無機質な銀色の輝きを放つスマートフォンだった。
「セキュリティ強化のために、五麟全員に貸与するそうだよ。仕事関係の連絡はこちらで、とのことだ」
永遠は冷たい筐体の感触に、かつて家を出る時に握らされた砂金の重みを重ねる。
「……監視強化の間違いじゃねぇの?」
永遠が剥き出しの警戒を向けると、鴇は一瞬だけ虚を突かれたようにまばたきをした。だがすぐに、その口元が三日月のように愉しげに吊り上がる。
「君はどんどん面白くなるね。で、どうする? 突き返すかい?」
「……いや、受け取っておく」
拒絶したところで別の「鎖」が用意されるだけだ。永遠は冷たい筐体を乱暴にポケットへねじ込むと、校門の方角へ向けて歩き出した。
【次話】109話忘却の残響2-去る者は日々に疎し-
2026年3月28日(土) 21:00頃更新
いいなと思ったら応援しよう!
ご覧頂きありがとうございます!頂いたサポートは文献の購入費用と物語後半に登場する場所の取材旅費に充てさせていただきます・・・!