【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-109話忘却の断片2-去る者は日々に疎し
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駅から校門までは300mほどしかない。周囲には同じ制服を着た生徒たちが溢れているが、隣を歩く鴇の周りだけ、冷ややかな空気がまとわりついているようだった。永遠は、先ほど受け取ったばかりのスマートフォンの冷たい筐体を、制服のポケット越しに感じていた。
「自分の置かれている状況は理解しているようだね」
「本部長たちからすりゃ、俺は疑惑の塊なんだろ?」
「一昨日、本部長に呼び出されて色々なことを聞いたよ。内容を聞きたいかい?」
試すような鴇の視線。だが永遠は前を見据えたまま、歩調を緩めない。
「いや、いいよ。伏せられているということはそれなりの理由があるんだろうし、俺が今聞いたところで大勢は変わらないだろ」
「それはそうだろうね」
鴇は満足げに肩をすくめた。永遠は横目で、得体の知れない「怪物」の横顔を冷ややかに窺った。
「お前は自分の目的のために人間を利用できれば、他はどうでもいいと思ってる。表も裏もないから、その点だけはやりやすいよ」
「ふふ、的を射ているね」
鴇の低い笑い声が、朝の湿った雑踏に溶けていく。互いへの信頼など微塵もないが、利用価値だけは認めている。そんな歪な関係が、二人の間に奇妙な静寂を生んでいた。
校門へと続く道を歩きながら、永遠は隣の「怪物」に問いかけた。
「……なぁ、千年前の状況が書かれた文献を読みたいんだけど、どうやったら入手できる?」
「記憶を思い出すほうが早いんじゃないのかい?」
「一度に思い出すとも限らないだろ。外の情報として持っていたほうが、思い出した時に咀嚼しやすい……それに、五麟の奴らに聞くのは、あいつらの傷を抉るかも知れない。これ以上の負担はかけたくねぇしな」
永遠が淡々と告げると、隣を歩く鴇が微かに歩調を緩めた。彼は獲物の骨の髄まで透かし見るような視線を永遠に投げ、喉の奥でくつくつと笑う。
「ふーん……? なるほどね。仲間の心情を慮っているようでいて、その実、懸念しているのは『戦力の低下』というわけだ」
「……あ?」
「仲間の心が折れて任務に穴が開くのを避けたい――。実に合理的で、非情な『右腕』の思考だよ。無意識に人間を『駒』の性能で推し量るその冷たさ……千年前の『炎駒』も、さぞかし冷徹な男だったんだろうね。容易に想像がついて、ワクワクするよ」
鴇の瞳に宿る愉悦の色が濃くなる。永遠は、自分の中にある無自覚な冷徹さを指摘され、わずかに眉を顰めた。自分では単に仲間を気遣ったつもりだったが、口から出た理由は、確かに情緒よりも効率を優先したものだった。
「……別に、そんなつもりじゃねぇよ。俺はただ……」
「否定しなくていい。君が自覚していようがいまいが、今の君はとても優秀な太陽の覡の右腕だよ」
鴇の瞳に、獲物の変貌を喜ぶ残酷な愉悦が宿る。
「そりゃどーも。本当にお前良い性格してるよな……」
永遠は大きなため息をついた。
「君が知りたい情報は、おそらく二つの文献に集約されている。一つは鷲尾家が持つ当時の伝承役が残した文献。もう一つは有坂家が持つ当時の角端の記録だ。角端の文献は欠落があるから、二つを突合して五麟と答え合わせをするのが一番確実だろうね。どちらも写しが間宮家にあるから取り寄せてあげようか?」
前方に駒葉高校の校門が見えてきた。わずか数分の道のりだが、交わされる会話はあまりに重い。
「随分と丁寧に対応してくれるんだな」
「千年前の出来事には興味があるからね。当時の伝承役であった常磐家は、権力に屈して史実を捻じ曲げたと伝わっている。だから伝承役は三つの家で回すと言いつつ、入江家と間宮家が交代で継承してきたんだ……明治以降は入江家が独占しているけれどね」
「その、常磐家は今は……?」
永遠の声に、無意識のうちに鋭い色が混じる。
「神官としては残っているよ。いつかは名誉を挽回できると思っているようだ。……けれど、そもそも誰が彼らを赦すのか、その贖罪の道筋を誰も描けていない。千年も前のことだ、君たちが証言でもしてあげない限りね」
「神官たちは俺たちを危険視してるんだ。証言したところで名誉が回復するかは怪しい……。だが、本当に史実を捻じ曲げていたとしたら大問題だろ」
永遠の脳裏に、断片的に蘇る前世の記憶が過る。自分たちが命を懸けて守ろうとした真実が、後世の都合で書き換えられている事実に、奥歯が疼くような不快感を覚えた。
「伝承役としてはあるまじき行為だとは思うよ。もし捻じ曲げがなかったら、太陽の覡や五麟への世間の印象は変わっていたかもしれないし、五大神官一族の地位もこれほど強固ではなかったかもしれないね」
「迷惑な話だな……」
ため息と共に漏れた言葉は重く、千年という時の断絶が、目前の校門へと続く平坦な道に影を落としていた。
「炎駒、念のために伝えておくよ。君の立場は文化祭の一件から目に見えて悪くなっている。今はあまり、目立つことはしない方が良いだろうね」
「忠告どーも」
「とは言っても、君がどうなろうと僕には関係ない。だから炎駒、もっと僕をワクワクさせてよ。”良い子”をしているのは、退屈だからさ」
鴇が立ち止まり、影を長く伸ばす。その背後に、研ぎ澄まされた巨大な牙が一瞬だけ、幻視のように浮かび上がった。
それは周囲の平和な風景を飲み込もうとする、剥き出しの狂気。
永遠はその凄まじい圧を、一瞥するだけで受け流し、迷うことなく昇降口へと向かった。背中に刺さる鴇の視線を振り切るように、”日常”へと戻っていった。
――『一之瀬くんが記憶の扉を完全に開いた時に、二人と今までの関係でいられるか心底見ものね!』
脳裏に華奈の言葉が浮かぶ。
ーーズキ
昇降口で上履きに履き替えようと身を屈めた時、背中の傷が疼いた。
*
永遠が1年3組の教室の扉を引くと、見慣れた喧騒が波のように押し寄せた。
それと同時に、いくつかの視線が彼に突き刺さり、慌ただしい足音が近づいてくる。
「橘! 大変だったね。怪我の具合はもう大丈夫なのか?」
真っ先に駆け寄ってきたのは井上遥大だった。大きな声で永遠の肩を叩こうとし、その瞬間に永遠の纏うどこか険しい空気に気づいたのか、わずかに手を止めて心配そうに覗き込んでくる。
「橘くん、大丈夫? まだ無理しちゃダメだよ!」
吉川葵も不安げに眉を下げて後に続いた。今にも永遠を自宅へ連れ戻しそうな勢いだ。
「葵の言う通りだわ。縫合したなら一週間は安静が鉄則だし、入院が必要なレベルの打撲なら、退院直後に動くなんて本来はあり得ないんだから」
平沢美沙が、手元のメモ帳を握りしめながら早口で付け加えた。
「平沢の忠告は随分具体的だな……。それはともかく、みんな心配かけて悪い。打ちどころが悪くて検査入院が長引いたんだ。体育はまだ見学するけど、授業は普通に受けられるから」
永遠の声は自分でも驚くほど落ち着いていた。クラスメイトたちの純粋な厚意を受け流しながら、視線は自然と、窓際にある空席へと向かう。一之瀬眞白の席だ。
「一之瀬なら、塾で会ってるんだけど、元気だから安心して。来週からは学校来るって言ってたよ」
永遠の視線に気づいた井上が、補足するように言った。
「そうか……。眞白と連絡は取ってたけど、いつから来るかまでは聞いてなかったな」
「へぇ、橘が知らないなんて意外だね。一之瀬とはずっと一緒だったでしょ?」
「幼馴染だって、分かんねぇことくらいあんだよ」
素っ気なく返した言葉が、教室の空気に冷たく響く。
井上は一瞬面食らったような顔をしたが、すぐに葵がフォローを入れた。
「ま、まだ確定じゃなかったのかもね。ほら、橘くんって予定がズレたりすると、自分のことみたいに心配しちゃうでしょ?」
「……かもな。あいつらしいよ」
永遠は小さく息を吐き、自分の席へとリュックを下ろした。
ふと、教室内を見渡した永遠は、教室のど真ん中にぽっかりと空いた不自然な空間に目が留まる。
(大石華奈の席か……)
「……なぁ。あそこの席、なんで空いてるんだっけ?」
永遠はあえて知らないふりをして井上に尋ねた。
「え? ああ、そこか。俺たちもよく分からないんだよね」
井上が腕を組み、不思議そうにその空間を眺めた。
「転校生が来るのかと思って青山先生に聞いたんだけど、違うって言われたし。最初から誰もいなかったはずだって」
「噂が一人歩きしてるのよ」
美沙が声を潜めて付け加えた。
「1年3組には『消えた生徒』がいるって。じゃないと、あんな目立つ場所の座席が空くわけないじゃない! 文化祭が終わるまで、クラスの誰もその違違和感に気づかなかったから、お化け屋敷をやったことで幽霊が成仏したんじゃないかって……」
「……成仏、か」
永遠は、じっとその「空白」を見つめた。
(”大石華奈”という存在は、これほど綺麗に消えちまってるのか……)
そこには確かに、一人の少女が座っていた。自分たちと同じ空気を吸い、言葉を交わし、絶望の中で消えていった。
その記憶をこの教室で保持しているのは、事情を知る担任を除けば、もう自分一人だけだった。永遠は何も言わず、ただその空席から視線を外した。
「橘くん……」
みんなが自席に戻る中、美沙が一人、探るように永遠の横顔を覗き込んできた。アナリストを目指す彼女の鋭い観察眼が、永遠の身体の微かな硬さや、纏う雰囲気の変質を捉えているようだった。
「本当に、大丈夫なの……? 茅野さんも休んだままだし。……それに、橘くん、なんだか、今の……」
言い淀む美沙の瞳に映る自分は、かつての自分だろうか。
永遠は努めて穏やかな笑みを作った。だが、その口角の角度さえもが、今の彼には「擬態」のための合理的な計算に基づいているような気がしてならなかった。
「心配してくれてありがとな。俺は大丈夫だ。柊は、足の怪我でちょっと入院が長引いているだけだから」
柊が退院できない本当の理由など、彼らは知る由もない。
(俺はもう、こいつらと同じ世界にはいられない――)
そう確信した瞬間、嘘を吐く唇がわずかに乾いた。鴇に指摘された『非情な右腕』の思考が、自分の内側に確かに根付いている。その事実を、永遠はただ静かに受け入れていた。
【次話】110話忘却の断片3-去る者は日々に疎し
2026年4月4日(土) 21:00頃更新
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