見出し画像

【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-110話 忘却の断片3-去る者は日々に疎し-

前話】 【最初から】 【目次】 【第二章番外編】 【第三章番外編】【第四章番外編

秋の柔らかな陽光が、駒葉こまば総合病院の広大なロビーに差し込んでいた。窓の外に見える中庭の木々はわずかに色づき始めている。
大病院特有の消毒液のにおいと微かな機械音、そして多くの人々が交わす低い話し声が混ざり合い、独特の重苦しい空気を形成していた。
しゅう美鶴みつるの紹介で病院を訪れていた。慣れない車椅子くるまいすの振動を感じながら、背後で静かに、しかし力強く車椅子を押しているみおを見上げる。

みおさん、お忙しい中ご同行いただきありがとうございます」
「いえ、俺も大きな病院で一度しっかり検査を受けるべきだと思っていました。……今日の午後は元々一コマしかありませんでしたし、休講になったので丁度良かったです。MRIも終わりましたし、後は診察だけですね」
「はい。診察は美鶴さんの従姉妹である東雲美律さんがご対応くださると聞いています。私は初めてお会いするのですが、裏の事情をご存知の方なので余計な心配をしなくて済みますね」

澪の声は穏やかだったが、その視線はどこか、ピクリとも動かない柊の足に向けられているようだった。長い廊下を進み、リノリウムの床がキュッキュと車椅子のタイヤを鳴らす。
二人は外科の待合室に移動し、静かに順番を待った。

「足に痛み等はないんですよね?」
「はい。左足は多少感覚もあるのですが、右足は……全く感覚がなくて……」

『――外科、三番診察室。茅野かやの柊さん、中にお入りください』

澪は「行きましょう」と短く告げると、慎重に車椅子を押し、重厚な引き戸の前で足を止めた。

ガラ――。

重い引き戸を開けて中に入ると、そこは窓のない密閉された空間だった。無機質なLEDの白い光が、デスクに座る医師――東雲美律しののめ みのりの白衣を冷ややかに照らし出している。

「じゃあ柊さん、俺は外で待っていますね」

澪が会釈して退出しようとした瞬間、美律が背中越しに鋭い声を投げかけた。

「……お前、美鶴の弟子だろう。話は聞いている。お前も診察結果を聞いていけ」
「……分かりました」

有無を言わせぬ絶対的な口調に、澪は一瞬気圧されたように足を止めた。促されるまま丸椅子を車椅子の隣へと引き寄せ、居住まいを正す。美律はカルテから目を離し、透徹とうてつした瞳で二人を射抜いた。

「美律さん、初めまして……私は――」
「お前たちのことは美鶴から常々聞いている。挨拶あいさつは不要だ。結論から言うと、お前の両足は物理的には“正常”だ。骨の異常も、神経の断裂もない。これは外科医としての診断だ。分かるな?」

美律が淡々と告げる言葉に、柊は小さくうなずいた。それを確認すると、美律は流れるような所作で指を組み、複雑な印を結んだ。

「『寂然封界じゃくぜんふうかい』」

低く響く言霊と共に、診察室の空気が一変した。
耳元で鳴っていた空調の音や、廊下を歩く人々の気配が、まるで深い水底に沈んだかのようにピタリと遮断される。診察室だけが世界から切り離されたような、濃密な静寂が三人を取り囲んだ。

「長い時間結界を張っていると怪しまれる。回復術に長けた神官として簡潔に伝えると、お前の足はすでに回復している。足が動かないのは物理的なダメージによるものではない。……索冥さくめい、両足に浮かぶこの印が前世で現れたことは?」
「……」

美律の問いに、柊は静かに首を振った。

「前世を持つ人間は、転生時に怪我や肉体的な障害を引き継がない。引き継がれるのはのろいといった魂に刻まれた類のものだけだ。それには五麟ごりんの力も含まれる。心当たりはあるだろう」

美律は、まるで手術の術式を説明するかのような平坦へいたんな声で告げた。その言葉の重みに、診察室の静寂がいっそう深まる。

「そうですね……もし引き継がれていたら、私の左目は見えておりません」

柊は、かつて前世で失った視界を確かめるように、無意識に左目へと手を添えた。
その瞬間、隣に座っていた澪の肩がびくりと震えた。澪は血の気が引いた顔で、自身のひざに置いたこぶしを白くなるまで握りしめ、痛ましげに視線を泳がせた。
美律は二人の間に流れる重い沈黙を、怜悧れいり双眸そうぼうで観察している。

「その両足の印は現世で発現したものか……」

美律はカルテから顔を上げ、事実だけを切り取るような目で柊を見据えた。

「ただ、心配は要らない。お前の力を奪ったり呪ったりする悪性のものではなさそうだ。どちらかと言うと『加護』に近い」
「加護……私の自由を奪っているのに……?かせの間違いでは?」

柊は自らの動かない両足を忌々しげに見下ろし、思わず強い声で反発した。しかし、美律はその感情の波を冷たいメスで切り裂くように、淡々と問いを重ねる。

「自覚はあるか? お前の魂は今、極めて不安定になっているだろう?」

図星を突かれた柊の肩が微かに揺れた。無機質なLEDライトの下、彼女の表情に戸惑いの影が落ちる。

「魂が不安定になるとは、一体どういう……?」
「お前が使っている力は前世で契約したものだ。魂は同じでも、今の体はいわば別人のもの……故に、第二解放という強大な力を、今の未熟な器が受け止めきれていない。その加護が、崩壊しかけている魂と器を無理やりつなぎ止めているように見える」

医師として、そして神官としての残酷なまでの見立てが、結界で閉ざされた空間に重く響いた。美律は組んでいた指を解き、今度は傍らで黙り込んでいる青年へと視線を向ける。

角端かくたんはそばにいて何も感じなかったのか?」

ふいに矛先を向けられ、澪は弾かれたように顔を上げた。異変の兆候に気づけなかった己への激しい自責の念が、その端正な顔を苦痛にゆがませる。

「柊さんの生気が揺れているようには感じていましたが……」

膝の上の拳を震わせ、澪はすがるように美律を見返した。

「器が魂を拒絶すると、一体どうなるのですか?」

鼓膜が痛くなるほどに張り詰めた静寂の中、美律は答える代わりに、静かに柊へと視線を向けた。残酷な結末を、すでに彼女自身が知っていると見透かすように。
柊は自らの動かない膝を見つめたまま、震える唇からポツリとこぼした。

「――自我が、なくなる……」

その力無いつぶやきに、澪が息をむ。

「澄義が精神世界で言っていたんです。このまま無理をしたら”私”と入れ替わるって」
「……ならば、今まさに魂と器を繋ぎ止めているのは、その守護獣からの加護だろうな」

美律は静かに頷き、その事実を肯定した。

「なぜ、彼女はそこまで……」

自らを悪者にしてでも、器である自分をこの世界に繋ぎ止めようとする守護獣の深すぎる献身。柊は胸の奥の痛みを堪えるように、伏し目がちに呟いた。

「守護獣の思惑など、人間に分かりはしまい」

美律は白衣のポケットに手を入れ、冷徹な響きの中に微かな思案をにじませて息を吐く。

「それが加護か枷か……お前自身で答えを見つけるしかないな。医師としても神官としても私にできることはないが、そのままでは移動が不便だろう。歩行の補助器具を貸し出しておく」

突き放すような厳しい宣告の中にも、確かな医療従事者としての配慮がうかがえる。絶望的な事実を突きつけられながらも、柊は強張っていた肩の力をわずかに抜き、静かに頭を下げた。

「ありがとうございます」

カタカタ、と無機質なタイピング音が、水底のように重い結界内の静寂を小さくたたく。
美律は手元の端末を操作し、流れるような手つきで事務的な手配を済ませた。そしてピタリと手を止めると、今度はその研ぎ澄まされた視線を、隣でただ無力感にさいなまれてうつむいている青年へと向けた。

「……角端。お前は美鶴の下で術を学んでいると聞いたが、回復術の扱いはどうだ?」
「……修行中ですが、一通りの術理は叩き込まれています」

突然力量を問われ、澪は罪悪感のよどみからい上がるように顔を上げ、背筋を正して応じた。美律の剥き出しの視線は、澪の奥底に眠る神獣の気配を品定めするように研ぎ澄まされている。

「なら覚えておけ。お前の周囲の人間に異変を感じたら、迷わず私に相談して来い。美鶴は生気量が少ないから、回復術を理論で教えられても自分でかけることはなかなか難しい。お前で対処が難しければ、すぐに私のところに連れてこい」
「それは……」

澪が言い淀む。師である美鶴の限界と、守るべき柊を再び傷つけてしまうのではないかという自らの未熟さを同時に突きつけられ、診察室の空気はさらに重苦しさを増した。

「他人の生気を転換して術をかける場合、生気を渡した人間にもリスクが伴う。お前たちはよく知っているだろう?」
「……委細をご存知のようですね」

柊の静かな肯定を受け、美律は再び澪を見据えた。そのひとみには、医療に従事する者としての厳格な覚悟が宿っている。

「角端、回復術も医療も、求められる時は一刻を争う。判断を誤らないようにな」
「承知しました……」

澪の答えは、絞り出すような重みを伴っていた。言質を取ると、美律はふっと息を吐き、結界を解除した。
ダムが決壊したように、廊下の喧騒けんそうや空調の音が再び室内に流れ込む。

「お前のその足が次に動くのは『加護』を受け入れた時だろう……くれぐれも無茶はするなよ。お大事に」

美律は立ち上がって白衣を翻すと、背を向けたままヒラヒラと手を振って、去りゆく二人の見送りに代えた。

澪は「失礼します」と短く会釈し、再び柊の車椅子を静かに押して、引き戸の向こうへと診察室を後にした。
廊下に出ると、病院特有のざわめきが二人を包み込んだ。リノリウムの床の上を、車椅子が滑るように進んでいく。その背中を見つめたまま、柊が静かに声を絞り出した。

「澪さん、この後少し時間を取れますか? お話したいことがあります」

車椅子を押す澪の手が、わずかに止まる。

「……分かりました。それじゃあ、会計を済ませたら少し外の空気を吸いに行きましょう」




【次話】111話忘却の断片4-去る者は日々に疎し-
2026年4月11日(土) 21:00頃更新


いいなと思ったら応援しよう!

碧木マチ ご覧頂きありがとうございます!頂いたサポートは文献の購入費用と物語後半に登場する場所の取材旅費に充てさせていただきます・・・!