【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-114話 魂の境界2-淵に臨みて網を結ぶ-
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鴉に襲われていた謎の生き物「クロ」を助け、自宅で手当てをした永遠。自らの正体を知るその奇妙な生き物を連れ、永遠は入院中の幼馴染である柊のもとを訪れた。
「気づくの早かったな」
永遠が苦笑交じりに呟くと、柊は読書灯の柔らかな光の下で、静かに目を細めた。
「いくら気配を察するのが鈍い私でも、同じ空間でこれだけの気配を出されたら気がつくわ。……それで? その鞄の中にいるのはどなた?」
永遠は観念したようにトートバッグの口を広げ、中に視線を落とした。
「ーークロ、出てきていいぞ」
その声に反応し、バッグの中からひょっこりと小さな頭が突き出された。漆黒の毛並みに、未発達な一対の角。藍色の瞳をクリクリと動かすその姿は、およそこの世の理から外れた存在であることを物語っている。
「かわいい……。なんだかキョンみたいね」
「キョン?」
聞き慣れない言葉に、クロが不思議そうに首を傾げる。柊はクスクスと笑いながらスマートフォンを操作し、検索画面をクロの目の前に差し出した。
「ほら、そっくりでしょう?」
「僕は鹿じゃないよ!」
画面に映る小動物と自分を見比べ、クロは不満げに鼻を鳴らした。その様子に、病室の重苦しい空気が一瞬だけ和らぐ。
「あら、ごめんなさい」
「クロ、こいつは茅野柊。俺の幼馴染だ」
紹介された途端、先ほどまでの愛嬌は消え、クロの瞳に鋭い警戒の色が宿った。
「……索冥のことなんて、僕は信用できない」
「あら、私が索冥であることを知っているのね?」
柊の声音に驚きはなかったが、わずかに耳が動く。
「そうだよ! だからこそ、自分勝手な死に方をする人間なんて信用できないんだ!」
「クロ、事情は知らねぇけど言い過ぎだぞ」
永遠が低く制止の声をかける。
「こいつは俺が知ってる中で一番強くて、一番信頼できる奴だ。俺の家に置いて、これ以上危険な目に遭わせたくねぇ。ここなら安心だ」
クロは納得のいかない様子で、柊の動かない足元を冷めた目で見つめた。
「安心ねぇ……」
「永遠が私を信用して預けてくれるのなら、私は全力であなたを守るわ」
「……その脚で何ができるの? 特にそこ、感覚ないんじゃないの? それに――」
「あなたの藍色の目、とてもよく視えるのね。でも、安心して」
柊はクロの痛烈な言葉を穏やかに遮った。
「いざという時は、私の力で『動かす』ことはできるわ」
凛とした柊の言葉に、クロは毒気を抜かれたように口を噤んだ。
「……へんなやつ。わかったよ、仕方ないから僕がついててあげる」
ぷいっとそっぽを向くクロの態度に、永遠はやれやれと肩を落とした。
「お前、言い方……」
「ふふ、ありがとう。心強いわ」
柊は屈託のない笑みを浮かべ、小さな同居人を温かく迎え入れた。
永遠は周囲に人気がないことを確認すると、精神を集中させ、指先で印を結んだ。
「――寂滅為楽」
微かな風が病室を吹き抜け、空気の密度がわずかに変わる。永遠の張った結界が、静かに部屋を包み込んだ。
「びゃ!」
目に見えぬ圧力に驚いたクロが、慌ててベッドのシーツの中へと潜り込む。
「永遠、こんな堂々と結界を張ったら怪しまれるわ。下には美鶴さんも璃玖さんもいるのよ?」
「なんならもう怪しまれてる。これから話す内容の重要度に比べりゃ、些末な問題だろ」
さらりと口をついて出たその言葉に、柊の表情がスッと引き締まった。
「……『些末』なんて、ずいぶん難しい言葉を使うようになったのね」
「え?」
予想外の指摘に、永遠はきょとんとして瞬きをする。
「目つきも変わったみたいだけど……無自覚なのね?」
柊の静かな眼差しに見透かされ、永遠は息を呑んだ。
「俺……は……」
言い淀む永遠の脳裏に、得体の知れない違和感がよぎる。無意識のうちに、前世の『炎駒』としての思考や語彙が、橘永遠という器を侵食し始めているのではないか――。
その戸惑いを察したのか、柊は少しだけ目を伏せて小さくかぶりを振った。
「ごめんなさい、意地悪な言い方をしてしまったわ。……今は本題に入りましょう。何があったか、話してくれる?」
柊が努めて穏やかな声で先を促す。永遠はこわばった顔のまま小さく頷き、これまで胸に秘めていた事実を一つずつ紐解いていった。
大石華奈に呼び出され、自分が刃に倒れたこと。意識を失った柊に華奈の攻撃が迫った瞬間、守り石から発動した青龍の印が彼女を守ったこと。
そして――自らの治癒力を無理やり引き出して復帰したものの、再び訪れた命の危機を眞白の神術が救ってくれたこと。
「情報が多くて、どこから突っ込んでいいのか……」
柊はこめかみを押さえ、深いため息をついた。
「気持ちはわかる。澪さんに勝手に話したのも、悪かったと思ってる」
「いいえ……私でもそうしたわ。私たち以外であの人ほど信頼できる人はいないもの。それにしても、永遠……そんな重傷だったのね。治癒力の強制促進なんて無茶をして……もう痛くないの?」
柊はベッドの柵越しに少しだけ身を乗り出し、丸椅子に座る永遠の肩にそっと手を置いた。
「……柊の方がよっぽど重症なのに、最初に気にするのがそこかよ」
不意の温もりに、永遠は照れ隠しに視線を逸らした。
「これだけの事態が起きて、こちら側に死者が出なかったのは奇跡ね……。椛は殺すつもりはなかったのかもしれないけれど、一歩間違えれば……本当に運が良かったわ」
「それは同感だ。あいつは俺たちを殺すつもりはなかったようだが、死んでも構わないっていう冷酷さがあった」
「眞白が神術を……。青龍が別に存在するということは、眞白は『太陽の覡』なのね」
柊の横顔に、険しい影が落ちる。
「少なくとも前世はそうだったんだろう。だが、俺はどうも違和感があるんだ」
「違和感?」
「太陽の覡っていうのは、俺たちにとって圧倒的な存在だろ? 逆らえないような支配感というか、その人が許してくれなきゃ息もできないような。……今の眞白には、それがないんだ」
「記憶が戻っていないからじゃなくて?」
「……俺は、もっと別の何かだと思ってる」
沈黙が病室を支配する中、柊は顎に手を当てて思案に耽った。
「眞白については慎重に対応することが必要そうね。本人は何て?」
「覚悟が決まってねぇ感じだった。だからこのことは澪さんと柊にしか話してない。……本部長たちも怪しんでるとは思うけど、核心までは得られないはずだ。間宮は面白がって牽制して来たけどな」
永遠の言葉に、柊はわずかに目を細めた。
「鴇さんは利用できれば、眞白が太陽の覡でもそうでなくてもいいと思っているんじゃないかしら」
静かにそう呟くと、柊は病衣の襟元へと手を伸ばした。細い指先が首に掛けられていた紐をゆっくりと外し、小さな『守り石』を手のひらへと落とす。
永遠が張った結界の影響か、外界から届く読書灯の光は屈折し、病室の隅々にまで奇妙に歪んだ影を落としている。その青白く静止したような空間の中で、柊の手のひらにある石だけが、まるで体温を吸い上げるように鈍く、深く、拍動するような光を放っていた。
「にしても……この守り石を渡した相手は青龍なのね?」
柊は、ひんやりとした石の滑らかな表面を親指で静かになぞった。その感触を確かめるように、あるいは石に宿った誰かの意志を読み取ろうとするかのように。
「あぁ、それは間違いねぇ。柊を守るために防護術が発動して、その印が青い龍だったからな」
永遠の力強い肯定の言葉を聞いても、柊の眼差しは晴れなかった。親指の動きを止め、彼女は手のひらの上の石を、まるで信じられない異物を見るかのような、ひどく複雑な瞳で見つめる。
「永遠も知っているでしょう? 前世の青龍は姉小路家の出身だった……。姉小路家は五麟や太陽の覡を最も忌避していた一族だわ。そんな人が、よりによって索冥(私)に力を貸すなんて……」
柊の困惑を、永遠は静かに受け止める。
「前世がどうあれ、今のそいつが現世で何を選んだかが重要なんじゃねぇか。……俺たちが変わっちまったように、あいつはまた、別の何かになろうとしてるのかもな」
「だからと言って、現世で私を守る理由には繋がらなくない……? 美鶴さんからこの守り石を手渡されたから、きっと彼女は正体を知っているはず。でも、教えてくれそうになかったわ」
「現場にトラウマのある美鶴先生が動いたんだ。本部は認識済みだろうし、美鶴先生に口を割らせるのを強行するのは得策じゃねぇ。少なくとも柊の味方であることは間違いないんだ、あんまり身構えるな。相手もタイミングを伺ってるのかもしんねぇし」
永遠は立ち上がり、結界を解除するための印を組もうとしたが、それを柊の手が制した。
「……永遠待って、私も話したいことがあるんだけど」
「まだ結界を解除しない方が良さそうだな?」
「えぇ」
柊の短い返事を聞いて、永遠は再び丸椅子に腰を掛けた。
「……聞いてくれる?」
【次話】115話 魂の境界3-淵に臨みて網を結ぶ-
2026年5月9日(土) 21:00頃更新
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