【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-123話 沈黙の天秤5-任重くして道遠し-
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仄暗い階段の踊り場。待ち構えていたかのように壁に背を預ける入江の姿に、永遠は小さく息をついた。
――『入江さんにくれぐれもよろしくね?』
病室での柊の言葉が頭をよぎる。
すべてを見透かしていた幼馴染に内心で舌を巻きながら、永遠は静かに口を開いた。
「……俺も話そうと思ってましたよ、入江さん」
「遅いよ。色んなところを牽制するのが大変だったんだから。でも柊ちゃんには俺に話すことを言ってないでしょ? 大丈夫なの?」
入江の言葉に永遠は思い出し笑いを浮かべた。
「いや、柊は俺が入江さんに話そうとしていることをお見通しでしたよ」
感心したように、入江は大げさに肩をすくめてみせた。
「幼馴染ってすごいよね〜。なんでもお見通しかぁ」
「今日みたいな調整を頼むとしたら、本部長か入江さんのどちらかには話すしかない。柊は本部長を信用してても信頼していないですからね」
「柊ちゃんに信頼してもらえてるって? それ、澪くんにも言われたんだよな」
入江は照れ隠しのように、軽く首の後ろを掻いた。
「光栄だけどこそばゆいね」
そんな彼の掴みどころのない態度をスッと断ち切るように、永遠は少しだけ声のトーンを落とした。
「……長話するのもアレなんで、入江さんが知らなさそうなところだけ話しますよ」
「そうだね。そうしようか」
入江は永遠の挑戦的な言葉に不敵な笑みを浮かべた。
「俺が伝えるのは三つです」
永遠は指を折りながら、淡々と、しかし爆弾のような事実を口にする。
「一つ目は一之瀬 眞白が神術を放ったこと。二つ目は柊が持っていた守り石が反応して青龍の印が発動したこと。三つ目は大石 華奈……いや、松任 椛は、三年前の事件で柊のばあちゃんを殺した犯人から外れる可能性が高いってことです。クロが澪さんの守護獣である來智であることは周知だと思うので外しました」
永遠の言葉に、入江はたまらず頭を抱えた。
「ちょっと待って……少し整理するから」
「すみません、一気に話しすぎましたね」
「これは誰がどこまで知ってるの?」
顔を上げた入江の瞳には、普段の飄々とした色はなく、組織の人間としての鋭い光が宿っていた。
「柊は全部知ってます。澪さんは一つ目と二つ目……他の人間には話していません」
「その意図は?」
「柊の守り石に防護術をかけた人間が現世の青龍であれば、必然的に一之瀬 眞白は前世の太陽の覡である可能性が高い。ただ、俺は確信を持てていません。これは前世の記憶の有無に関わらず、あの人の従者だからこそ感じる違和感としか言えません。柊は文化祭の一件の当事者ですし、澪さんは柊への忠誠心を鑑みて信用に足る人なので、協力者になってもらいました」
永遠はそこで一度言葉を切り、冷静に状況を並べていく。
「三つ目は先に柊に共有したかったから、時系列的に澪さんに話せてないだけです。黛には全部話してませんけど、あいつは俺達が話していないことがあると見透かした上で、俺たちが話すのを待ってくれてるから……」
「……夏都くんに伝えてないのはわざと?」
入江の静かな言葉に、永遠の動きがピタリと固まった。
「いや、そんなつもりは……」
「土曜日の作戦と今の話は別件だと思うけどね……何か気がかりなことでもあるのかな? 聳弧の、主への忠誠は依存に近かったもんね。それで慎重に動いてるんじゃないの?」
入江は射抜くような視線を外さない。
「逆に索冥は、従者としての忠誠はあってもそれ以上でもそれ以下でもなかった。角端に至っては一度も主に仕えていないから関係性は希薄だし、一之瀬くんのことがどう転んでもあの二人は心配ないもんね」
「いや、だから俺はまだ前世のことは思い出してないですって」
痛いところを突かれたように反論する永遠を見て、入江はふっと目を細めた。
「じゃあ、まだ無意識なのか」
「え?」
入江が口元でつぶやいた声は、永遠の耳には届いていなかった。
無言のまま、永遠はポケットに忍ばせていた数枚のコピー用紙を取り出し、入江に差し出す。
「……さっき言った、松任椛が犯人から外れる三つ目の理由の証拠です。文芸部の冊子なんですけど、これにあいつが書いた短編小説が載っていて。読んでみてください」
唐突に差し出された活字の束を受け取り、入江は怪訝そうに目を瞬かせた。
「小説……?」
「はい。文化祭の準備の時に話したことを思い出して、文芸部に行って買ってきたんです」
永遠は真剣な面持ちで、入江の手元にある紙の束へと視線を落とす。
「これの文面を見る限り、あいつ自身が動く前に『誰かが動いた』って感じなんですよね」
「なるほどね……」
入江は文面に軽く視線を滑らせながらも、すぐに顔を上げ、探りを入れるような鋭い瞳で永遠を見据えた。
「柊ちゃんのおばあちゃんの話はどこまで知ってるの?」
「俺と澪さんは柊から直接聞きました。冴木さんは柊が新潟に行くことになった事情とかある程度知ってるんですよね」
永遠はメンバーの状況を一つ一つ確認するように答えていく。しかし、次の一人の名前を出した途端、少しだけ気遣うように声を落とした。
「だとすると直接話せてないのは黛だけど……あいつ、今受験生じゃないすか。さっき『全部話してない』って言ったのも同じ理由です」
永遠は小さく息を吐き、仲間にこれ以上の無理はさせまいとするように首を振る。
「二学期の中間ってピリついた時期だし、これ以上裏のゴタゴタで負荷をかけたくなかったんです。まぁ、あいつは自分でかなり情報収集してるみたいで、前に話した時は俺より松任家の事情を知っている様子でしたけど」
手渡された文芸部の冊子のコピーに軽く目を落とし、入江は感心したように息を吐く。
「ずいぶんと準備が良いね。……璃玖くんの件は分かったよ。受験生だしできる限り負荷はかけたくないもんね。ところで、柊ちゃんのことは気にかけなくて良いの?」
入江は用紙からスッと視線を上げ、探るような鋭い目を永遠に向ける。
「あの子、絶対に何か隠してるでしょう?」
「……あいつがまだ言えないってことは、何か理由があるんだと思います。話さないのはタイミングを図ってるだけって言ってたから、今度聞いておきますよ。じゃあ、俺はこれで帰ります」
幼馴染への揺るぎない信頼を口にして、永遠は踵を返した。
「永遠くん」
一段、二段と階段を降り始めた永遠の背中を、入江の静かな声が呼び止める。
「永遠くんは、自分の立ち振る舞いが変わっていることに気づいてる?」
「……嫌でも気づきますよ。今の俺の行動や言葉が『橘 永遠』なのか、もう分かりません」
薄暗い階段の影の中で、永遠はぽつりと自嘲するようにこぼした。しかし、次に紡がれた声には、確かな熱が宿っていた。
「でも、柊や眞白やみんなを守りたいという想いは変わらない。だからこの想いを信じて――前世の自分の行動力を、味方につけてやるくらいの覚悟で動きますよ」
永遠は不敵に笑った。
「なんせ前世の俺は、太陽の覡の右腕でしたからね」
入江にそう言い残すと、永遠は階段の先の闇の中へと消えていった。
*
都内の料亭では松任 梓と鷲尾 兼路がテーブルを囲んでいた。廊下には鷲尾 兼周が待機している。
かすかなお香の香りが漂う上座で、梓は人当たりの良い笑みを浮かべて口を開いた。
「今日はお時間を作ってくださりありがとうございます」
「松任さんとは先日お会いして以来ですね。今回は諸々配慮して日程を調整してくださり助かりました」
兼路が恭しく頭を下げると、梓は手元の湯呑みをそっと置き、意味深に目を細める。
「もちろんですよ。明日は弟さんに会う大切な日ですもんね。今日はその件もあってお集まり頂いたんですよ。詳細については、彼女が到着してからにさせて頂きますが」
密室に満ちた静かな緊張感を破るように、廊下から声が掛かった。
「――兼路さん、来賓が到着されました」
襖を僅かに開けた兼周がそう呼びかけをすると、梓と兼路は立ち上がって出迎えた。仲居に誘導されてやって来た女性は兼周を一瞥し、それを受けた兼周が襖を大きく開いた。
「お待ちしておりましたよ。姉小路 撫子様」
部屋に入ってきた撫子に梓は一礼した。撫子はシックな紫のワンピースに身を包んでおり、長い髪の毛は夜会巻きにしている。
撫子の後ろには、柊の担任である草薙 綾子が控えていた。綾子は、学校で見せる地味なスーツ姿とは打って変わり、無機質な黒のセットアップを着こなしていた。眼鏡の奥の瞳には、生徒を指導する際の厳格さは微塵もなく、ただ主の安全と周囲の動向を冷徹にスキャンする、熟練の工作員のような鋭さが宿っている。
「ごめんなさいね。前の予定が押してしまって遅れてしまったわ」
言葉とは裏腹に微塵も悪びれる様子のない撫子は、ふわりと艶やかな笑みを浮かべた。
「姉小路家の当主に就任されたばかりでは、お忙しいのは当然です」
兼路が恭しく頭を下げると、撫子は気怠げに視線を滑らせる。
「盟友の兼路がどうしても時間を作って欲しいと頼むからには、とても大切な機会だと判断したまでよ。梓さん、お会いするのは久しぶりね」
「立ち話もなんですし、お二人ともお掛けください」
梓が澱みない笑みで座席を指し示すと、撫子は優雅な所作でそれに応じ、背後の綾子へと振り返った。
「綾子は廊下で待機していてくれる?」
撫子のその言葉に、綾子は一切の感情を挟まずに頭を垂れた。
「畏まりました。……失礼いたします」
淀みのない完璧な一礼。それは長年、姉小路家という特殊な環境で「道具」として扱われてきた者だけが持つ、歪な美しさを放っていた。
綾子は兼周を一瞥した後、彼の隣に控えた。
「で、兼路。今日は一体どんなお話なのかしら?」
上座に腰を下ろし、運ばれてきた茶に優雅に口をつけると、撫子は値踏みするような視線を向けた。
「我々の立場をより強固なものにするために、松任 梓さんから取引のご提案があるようです」
兼路が一歩引いた態度で梓に水を向けると、撫子は興味深げにふっと目を細めた。
「あら、それはとても嬉しいわ……。私たちは五大神官に留まらず、政界や行政にもさらに力を発揮していきたいと考えていた所なの。芝山家に根回しをさせて来たけれど、思いの外難しくてね……。そもそも、人々はもっと神官を敬うべきだと思わない?」
まるで世間話でもするかのように、しかしその奥に底知れない傲慢さと野心を滲ませて、撫子は不満をこぼす。
「そうですね。撫子様のご意見はご尤もです。姉小路家が様々な秩序を齎して来たことを人々に知らしめるべきですよね。だから、私たちからその礎になるための施策をご提案させていただけますか?」
梓は撫子の見栄を心地よく肯定し、計算し尽くされた笑みを深めた。
「つまらない提案をして来たら許さないわよ?」
撫子はニタリと、艶やかに口角を吊り上げた。
「もちろんです。きっと撫子様のご期待にも沿うことができるでしょう……。ちなみに撫子様は『太陽の覡』がどんな存在かご存知ですか?」
梓が声を一段と潜めて問いかけると、撫子は面白そうに小首を傾げた。
「もちろん知っているわ。兼路くんが危険視してる、ちょっと困った子たちでしょう? 千年前の記憶があるって本当なのかしら?」
「はい、彼のことでお伝えしたいことがあります」
梓の底知れない声が響いたのを最後に、密室の会話は分厚い襖に遮られた。
――静寂が支配する廊下。
眉間に皺を寄せる兼周の隣で、綾子は彫像のように直立不動のまま、一点を見つめていた。その視線は何も見ていないようでいて、襖の向こうで繰り広げられる「太陽の覡」についての会話を一言一句聞き逃さないという、異様な執着を感じさせた。
兼周が苛立ちを隠さず彼女を睨みつけても、綾子は視線一つ動かさない。その徹底した「無」の姿勢こそが、彼女が何を考えているのかを最も悟らせない、最強の仮面であった。
【次話】124話 因果の濁流1 -死中に活を求める-
2026年7月11日(土) 21:00頃更新
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