【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-122話 沈黙の天秤4-任重くして道遠し-
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入江と璃玖が病室を後にし、夜の静寂が降りた東雲医院の一室。
壁に背を預ける永遠と、ベッドに身を起こす柊。少し距離を置いた二人の間には、ただならぬ緊張感が漂っていた。
「文芸部の冊子を読んだわ……『大石 華奈』の文章は事実だと思う?」
冊子の表紙を指先でなぞりながら、柊がぽつりと問いかける。
「さーな……でも、大石……いや、松任 椛は、あいつはあいつで苦労して来たことに間違いないだろう。駒葉七中でのことを考えるとちょっと歪み過ぎだけどな」
永遠が少し渋い顔をすると、柊は自嘲気味な薄い笑みを浮かべた。
「私……神官としての才能がなくて一族から疎まれてるって思っていたけれど、椛からしたら羨ましい存在だったのね……」
どこか遠くを見るような柊の物憂げな横顔に、永遠はふっと視線を逸らす。
「ないものねだりってやつだったんじゃねーの」
永遠は壁に背を預け、やり切れないように短く息を吐き出した。
「……そうね。でも、ただの嫉妬や執着だけじゃなかったみたい」
「どういうことだ?」
「文化祭の時、あの子に言われたの。『あなたは五麟だから、私達の目的にとって利用価値が高い。だから三年前の事件を経てからずっと松任家の監視対象で、死なないように成長を見守ってあげてた』って」
「は? 監視対象……? 目的って何だよ。殺す好機を見つけるならまだしも……」
永遠の困惑に、柊は手元の冊子に静かに視線を落とした。
「松任家の誰の意図かは分からないわ。でもきっと椛の意図とは違ったのでしょう。そもそも三年前に椛が自ら祖母に手を下したなら、私を地の底に落としたことを自慢するはずよ。でも自分が手を下す前に想定外の事態が起きたと綴っているわ。つまり、椛は祖母の一件に関与していない」
「……ああ。俺も読んで気にはなってたけど、それは断定して良いのか?」
得体の知れない闇の深さに、永遠は眉間に皺を寄せた。
「分からない。でも、松任家以外の五大神官が関与している可能性はあるんじゃないかしら」
柊が静かに、しかし確信を込めて口にした推測に、病室の空気が一段と張り詰める。
「……調べてみるか。松任家が言う五麟の利用価値ってやつと、誰が柊のばあちゃんを殺したのか」
「ええ。私もツテを当たってみるわ。……なるべく早くね」
どこか急かすような、微かな焦りを滲ませた柊の響き。
見えない巨大な敵の存在を確かめ合うように頷き合い、そこまで言葉を交わしたところで、永遠は深く息を吸い込んだ。
「……今日、鷲尾家と有坂家に残されていた文献の写しを読んだ。勝手に読んでごめん」
「別に禁じられていた訳でもないし、誰も怒らないわよ」
柊の穏やかな返答に、永遠は顔をしかめ、自身の前髪を乱暴に掻き上げた。
「頭を殴られた気分だった。もちろん全てがこの通りって訳じゃないのも分かってる。それでも、当時の角端の……澪さんの手記は読んでてつらかった。どういうことか想像はしてたけど、俺は黛に言われた通り、前世の記憶から無意識に逃げてたかも知れないと思った」
膝の上でぎゅっと拳を握りしめる永遠に、柊は責めることも急かすこともなく、ただ静かに首を横に振った。
「力が暴走するほどの記憶だったことを考えれば、致し方ないわ」
柊の優しい労りの言葉に、永遠は顔を上げ、強い光を宿した瞳で真っ直ぐに彼女を見返す。
「それでもこのままじゃ駄目だ。俺がもっと強くならないと……なぁ、この間話さなかったことなんだけど――」
ふと、言いよどむように永遠の視線が揺れた。
永遠の言葉の淀みに、柊はスッと目を細めた。
「もう……聞いても良いの?」
「あぁ、聞いてくれ」
永遠は改めて柊に向き直った。
その眼差しは、普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、どこか切実な色を帯びていた。
「少しずつ、本当に少しずつなんだけど、橘 永遠という存在が剥がれ落ちていく感覚がしてた。最初は自分の部屋の違和感で……今まで居心地が良かったはずなのに、ごちゃごちゃしてるのが不快に感じてものを捨てて、ゲームのアプリも興味なくなってアンインストールしたし、漫画も処分した」
永遠は自嘲するように視線を落とし、空になった自身の掌を強く握りしめた。
柊は口を挟まず、その言葉を静かに聞いている。
「そこに来て眞白が太陽の覡かも知れないと思ったら、”自分”が分からなくなった。どんどん”自分”が書き換えられていくようで怖くなった」
正体不明の喪失感に怯えるように、永遠は自らの両腕をきつく抱え込んだ。
「でも眞白に『永遠にとって――俺と柊はどうでもいい存在になったの?』って言われた時……俺、怒れたんだよ」
顔を上げた永遠の瞳には、微かな、しかし確かな熱が灯っていた。
「……うん」
柊は瞬きもせず、彼の痛切な吐露を真っ直ぐに受け止める。
「どんな存在になろうと二人がいてくれたら、”橘 永遠”に立ち帰れるって思えたんだ。だから俺が見失いそうになったら、教えてほしい。意味分からないこと言ってたら殴っても良いから」
絞り出すような永遠の告白に、柊は優しく笑った。
「そんなこと言ったら、本当に殴るわよ」
「あぁ……眞白と柊に殴ってもらえるなら本望だ」
永遠の言葉を聞いた後、柊はかすかに目を伏せ、やがて動かない両脚を覆う掛け布団の端を無意識にきゅっと握りしめた。
「じゃあ、今度は私の番ね」
「……柊?」
柊は大きく息を吐いてから、ゆっくり話し始めた。
「……この脚ね、どこかが悪い訳じゃないの。澄義が制御しているから動かせないの。でも、澄義が制御しているのは私の魂を繋ぎ止めるためなのよ」
柊は、過酷な鍛錬に耐え抜いてきたはずの自身の脚を、静かに見下ろした。
「それはどういう……?」
「第二解放を強制的に最大限解放をしたから、前世の魂と現世の体のバランスが保てなくなっているんだって。澄義から、このまま行くと自我を喪失すると言われているわ。だから今は『茅野 柊』として五麟の力を再契約する方法を探している」
淡々と告げられた残酷な事実に、永遠は息を呑んだ。
「……自我を喪失するって具体的には?」
永遠の声は、酷く乾いていた。
「身体は残るけど、澄義に精神を明け渡すことになる。でもあの子もそれは望んでいない。だから私の魂と体を繋ぎ止めてくれているの」
柊は自らの胸元にそっと手を当て、微かに目を伏せた。
「それは柊という存在がこの世から消えるのと同義だな?」
ギリッ、と永遠が奥歯を噛み締める微かな音が響く。
「そういうことになるわね……」
どこか他人事のように静かに頷く柊に、病室の冷たい空気が重くのしかかった。
「……一旦分かった。俺も再契約の方法がないか探してみる」
永遠が努めて冷静に『再契約』という言葉を口にした時、柊の肩が僅かに震えた。
永遠はその微細な変化を見逃さなかった。
「……まだ言えないことがあるんだな?」
「……今度、澪さんと一緒に時間を作ってくれる? 二人に話したいことがあるの」
痛いところを突かれたように視線を逸らす柊に、永遠はそれ以上踏み込まなかった。
「……分かった」
「ありがとう」
彼女の言葉を確かめると、永遠は張り詰めた空気を断ち切るように席を立った。
「俺も帰るわ。クロ、柊のことよろしくな」
努めていつもの軽い調子で声をかけると、小さな黒い獣は柊の膝の上でえっへんと胸を張った。
「当たり前だよ。僕をなんだと思ってるの」
「來智だろ?」
「そうだよ?」
永遠のあっさりとした即答に、クロはキョトンとした顔で首を傾げた。
「お前、名乗った気でいるけど、今初めて名乗ったからな。みんなが察してるだけで」
永遠が呆れたように指摘すると、クロは雷に打たれたようにピタリと固まった。
「え!」
「え! じゃねぇよ……お前が名乗りたがらないからクロになってそのままだっただろ……おとぼけな守護獣だな……」
永遠はやれやれと大げさに肩をすくめる。
「そっか……」
クロは布団の影でしょぼんと耳を垂らしている。
重かった室内の空気が、ふっと緩んだ。
「あなたがクロという名前を気に入ってくれているなら、そのままでも良いと思うわ」
「本当?」
クロは嬉しそうな顔をして短い尻尾をパタパタと振った。
「じゃあ索冥と炎駒はクロって呼んで」
「分かったわ」
「じゃあな、クロ」
永遠が踵を返し、病室の扉に手をかけたその時だった。
「永遠」と、柊の声が背中を引き止めた。
「なんだよ?」
永遠が振り返らずに応えると、背後から静かな声が降ってくる。
「入江さんにくれぐれもよろしくね?」
「お見通しかよ……」
「それはお互い様でしょう? じゃあまたね」
自分の企みを全て見通している柊の言葉に、永遠は小さく息をついた。
そして顔を見せないまま、左手だけをひらひらと振って病室を後にする。
病室を出て階段に向かうと、静まり返った廊下に永遠の足音だけが響く。
1階と2階の間の踊り場まで降りたところで、仄暗い照明の中、壁に背中を預けて腕を組んで待ち構えている入江の姿があった。
【次話】123話 沈黙の天秤5-任重くして道遠し-
2026年7月4日(土) 21:00頃更新
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