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【連載小説】君の消えた日-二度の後悔と王朝の光-119話 沈黙の天秤1-任重くして道遠し-

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過去の悲痛な覚悟を打ち明け、守護獣・クロと千年越しの和解を果たしたしゅう
仲直りの印として、クロは彼女に向けて静かに「自らの知ること」を語り始める――。

「クロが知っていること?」
索冥さくめいは、自分の魂が不安定なのは分かってるよね?君の力が強大になりすぎて、前世の魂と現世の体が調和できなくなってるんだ」

秋の陽射しが満ちていた病室の空気が、ふっと冷たく張り詰めた。

「……自我を失わない方法は、二つあるよ。一つは、五麟ごりんの力を手放すこと。……普通の人間に戻るんだ。でも、君は選ばないよね」

力を手放せば、もう戦う必要はない。自我の消失に怯えることもなく、ただの「茅野かやの 柊」として平穏な日々を送ることができる。
だがそれは同時に、みお永遠とわたちと肩を並べて戦うすべを失い、再び彼らを「守れない」悲劇を繰り返すことを意味していた。

「――そうね」

柊は迷いなく、静かに頷いた。
その瞳には、過酷な修練を積んできた強靭な戦士としての誇りと、今度こそ大切な者たちを守り抜くという揺るぎない意志が宿っていた。

「だとしたら、もう一つの方法を選ぶしかない。それは、守護獣と”今の君”――茅野 柊として再契約をすることだ」

クロの言葉が、柊の胸の奥に重く響いた。前世の「索冥」ではなく、今この時を生きる「自分」の名。
その響きは、彼女にとって救いのようでもあり、同時に逃れられない運命を改めて突きつける鎖のようでもあった。

「再契約……? そんなことができるの?」
「そうだよ。澄義ちょうぎの性格を考えたら、伝えないわけないと思ったけど」
「精神世界で何か言おうとしていたけれど、よく聞こえなかったの……。あの濁流の音に、すべてかき消されてしまって」

柊は自分の細い指先を見つめた。かつて盾として戦った強靭な肉体ではない。
熱を出せば寝込み、傷つければ血が流れる、ただの女子高生としての体。

「再契約は試練を乗り越えた者に与えられる。第二解放だいにかいほうの時もそうだったでしょう? 強力な力だから、器が再契約に耐えられるか測るんだ」
「あの時はどちらかというと、守護獣に認められるための期間が必要だっただけで、明確な『試練』と呼べるものがあったかは分からないけれど……」
「そのあたりも含めて、方法は守護獣によって違うんだ。だから澄義のやり方は僕には分からない。……でも、その『対価』なら知ってるよ」

クロのトーンが一段低くなった。窓の外を流れる厚い雲が太陽を遮り、病室の光がふっとかげる。
そのわずかな温度変化に、柊はかすかに身を震わせた。

「第二解放の時は、死んだあとも魂を縛り続けるものだったわよね。守護獣と共に、この世をたゆたい続ける……」
「そう。再契約の時の対価は――」

クロは、柊の耳元でその残酷なことわりを静かに告げた。
その瞬間、柊の肩が微かに跳ね、シーツを握る指先からすっと血の気が引いていく。
突きつけられたのは、戦いの中で命を落とすことよりも、はるかに重く孤独な「のろい」だった。
当たり前に描いていた未来が、音を立てて崩れ去っていく。

(……そんな。それじゃあ、私は――)

恐怖に視界が揺れかけた。
だが、柊は震えそうになる唇をきつく噛み締め、無理やり感情に蓋をした。
ここで自分が折れれば、澪や永遠たちを守る術は永遠に失われるのだから。
柊は凪いだ海を装った瞳で、その重すぎる言葉をゆっくりと胸の奥底へ沈めていった。

「――分かったわ。ありがとう、クロ」
「べつに! 澄義に貸しを作っただけだから!」

照れ隠しに声を荒らげるクロに微笑んでから、柊はふと表情を曇らせた。

「ねぇ、クロ。角端かくたん――みおさんは、再契約の存在を知っているのかしら?」

窓の外からは、遠くを走る車の走行音と、風に揺れる街路樹のざわめきがかすかに届いていた。
柊は膝の上のクロをそっと見つめ、その柔らかな耳を指先でなぞる。

「ううん、知らないよ」
「そう……。ねぇ、クロ、お願いがあるの。再契約の対価のことは、私から伝えさせてくれないかしら」
「どうして?」
「澪さんに、自分のことを大切にしてほしいから。私が再契約をするかどうかではなく、澪さん自身に、自分の未来を考えてほしいのよ」

柊の瞳には、かつての「索冥さくめい」としての義務感ではなく、一人の友人として澪の行く先を案じる、現代の少女としての光が宿っていた。

「……索冥はずっと、角端の未来のことばかり考えていたんだね」

クロは自身の小さな前足をぎゅっと丸めると、すがるような声で呟いた。

「え?」
「――僕も、澪と仲直りできるかな?」

クロの小さな肩が、微かに震えていた。
日向ひなたぼっこをしていた時のような陽だまりの暖かさの中に、彼がずっと押し殺してきた孤独と不安が混じる。
柊は愛おしさを込めて、その小さな身体を両手で優しくすくい上げた。

「大丈夫。その気持ちを伝えれば、きっと仲直りできるわ」

柊の腕の中で、クロの瞳に溜まっていた涙がこぼれそうになる。

「うん……ありがとう」

秋の午後の日差しを浴びながら、クロは柊の胸元に顔を埋めた。
かつては別々の後悔を抱えていた一人と一匹。
けれど今は、重なり合う体温だけが、静かな病室を温かく満たしていた。
クロは彼女の腕の中で、安堵したように小さく丸くなった。

眞白ましろは登校再開初日から塾の教室で講習を受けていたが、内容はほとんど頭に入っていなかった。
最後列の席には、講習を受けている振りをしながら、鋭い視線を周囲に配るときがいる。

(こんな状況で勉強に集中できるわけがないよ……)

日中は永遠とわの、夜は鴇の視線が突き刺さる。
気が休まる暇もないまま、講習終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
荷物をまとめ、教室を出ようとしたところで、同じく講習を受けていたクラスメイトの井上いのうえが話しかけてきた。

一之瀬いちのせ、お疲れ。復帰初日にこっちも来るとは思わなかったよ」

井上は自分のテキストを片手に、眞白の前の空席にすとんと腰を下ろした。

「父さんが許すわけないよ。高校を休んでる間も家庭教師をつけて、みっちり勉強させられてたくらいだし」

眞白は鞄のジッパーを閉めながら、うんざりしたように肩をすくめてみせた。

「それは大変だな。……にしても、今日のたちばなは気迫がすごかったな。なんか、オーラが違ったというか」

井上がふと思い出したように、少し身を乗り出してくる。一般人のクラスメイトからの鋭い指摘に眞白は内心ドキリとしたが、表情には出さずに苦笑でやり過ごした。

「父親に頼まれたみたいだよ。あいつ、警備のアルバイトに精を出してるから、生き生きしてたろ?」

何とか自然な響きになるよう言い訳を口にする。井上は「なるほどな」とあっさり納得した様子だったが、ふと声を潜めた。

「あっちの彼もそうか?」

井上が教室の隅で壁に背を預けている鴇へと視線を向ける。

「そう。永遠をずっと拘束するわけにもいかないからね」

眞白は苦笑いを浮かべ、まとめた鞄の持ち手を握り直した。教室の隅では、壁に背を預けた鴇が静かにこちらを観察し続けている。その無言のプレッシャーから逃れるように、眞白は井上へ視線を向けた。

「そういえば井上はどうして駒高に来たの?このクラスの人ってほとんど私立校の人だから……」
「あぁ、うちの父親がさ『お前は怠惰だから附属高なんて行ったら大変なことになる』とか言って、私立校を第一志望にさせてくれなかったんだよ」

井上は忌々しそうに頭を掻きむしり、大げさなため息をついた。

「すべり止めはわざとめちゃくちゃ偏差値低いところにしてさ……自分は附属から大学ストレートだったくせにさ……」
「なんか大変そうだね……」

親の都合に振り回される苦労は、眞白にも痛いほどよく分かる。同情するように眉を下げると、井上はあっけらかんとした笑い声を上げた。

「親に振り回されてばっかだけどさ、悲観してても仕方ないだろう? 入学してからずっと楽しいし、俺は駒高で良かったなって思ってるよ」

蛍光灯の無機質な明かりの下で、井上の屈託のない笑顔がやけにまぶしく見えた。

「井上は強いな」
「俺からしたら一之瀬の方が強いよ」

井上が机から腰を浮かせ、からかうように眞白の肩を軽く叩いた。

「橘と茅野と同じ高校行くために父親の厳しい条件守り続けてるんだからさ。俺ですら最初引いちゃったもん」
「そう言わないでって……でもありがとう。なんか元気出たよ」

重苦しい監視下に置かれている今の眞白にとって、ごく普通の高校生としての他愛のない会話は、乾いた心に染み渡るささやかな救いだった。ふっと肩の力が抜けた眞白を見て、井上も満足そうに頷く。

「それなら良かった。気をつけて帰りなよ。じゃあまた明日」

井上と別れた後、眞白は鴇と共に、塾の裏手で待機していた迎えの黒塗りの車に乗り込んだ。
閉ざされた車内には、逃げ場のない重苦しい空気が流れる。

間宮まみやくん、遅くまでありがとう」
「別に構わないよ。これはボクの仕事だからね」

窓の外を流れる夜景を見つめていると、不意に隣の鴇が問いかけてきた。

「ところでキミは前世で『太陽のげき』だったのかい?」

規則的な街灯の光が、鴇の横顔を明滅させていく。
鴇は細い指先で自身の膝をトントンと叩き、薄笑いを浮かべた。

「そんな直球で聞くことある? それ、部外者に聞くことじゃないよ」

眞白が怪訝そうに隣へ視線を向けると、鴇はくっくと喉を鳴らした。

「部外者、ね……」

鴇は愉しげに肩をすくめる。

「ボクは前世を持たない、しがない神官だけど。ボクの目から見ていても、キミと橘 永遠の関係はただの幼馴染じゃないよ」
「君は……俺が太陽の覡だったらいいと思ってるの?」

その問いかけに、鴇は猫のように目を細め、隣の席から眞白を覗き込むように見つめた。
薄暗がりの中でも、その瞳の奥にある鋭い光が眞白を射抜く。

「さっきも言っただろう?ボクはどちらでも構わないよ。キミという存在に興味があるだけさ」

車内にはタイヤがアスファルトを噛むロードノイズだけが響いている。
眞白は拳を握り、鴇の横顔を見据えた。

「間宮くんは『呪われた神官』だって言ってたよね。自分の宿命を呪うことはあるの?」
「呪っていても始まらないだろう? だったら、今の状況を楽しんだほうがよっぽどきょうがある」

一切の迷いがない回答。
鴇は静かに笑った。

「井上といい、間宮くんといい、本当に俺の周囲ってなんでみんなポジティブなの?こんなに悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなってきたよ」

張り詰めていた糸がふっと緩んだように、眞白は深い溜息をついて革張りのシートに深く背中を預けた。窓の外を流れる夜の街に視線を向けながら、自嘲気味に口元を綻ばせる。

「キミもこの状況を楽しんだら? 自分が何者かを決めるのは誰でもない、自分自身だよ」

鴇は諭すように言うが、その声色には、他人の人生を演劇か何かのように楽しむ特有の冷たさが混じっていた。

「それ、永遠にも言ってくれる?俺よりも悩んでるからさ」

眞白が少しだけ皮肉を込めて隣へ視線を向けると、鴇は窓枠に肘をつき、楽しげにくっくと喉を鳴らした。

「彼は彼で事情を持っているからね……もがき苦しんでいる姿を見るのも楽しいから、暫くは高みの見物をさせてもらうよ」

そう言って鴇は、行く末の読めない劇を楽しむ観客のように目を細め、薄い口角を三日月のように吊り上げた。



【次話】120話 沈黙の天秤2-任重くして道遠し-
2026年6月13日(土) 21:00頃更新


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