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【明治文豪、令和を歩く】第55回:あいいれない異世界転生

夕暮れの銀座、ガス燈に似た街路灯が灯り始める。漱石はステッキを突き、荷風は古ぼけた手帳を懐に、ショーウィンドウに映る派手な広告を見上げている

夏目漱石                                                                                                                           

荷風君、先ほどからあの書店の店先に、奇妙な画のついた本が並んでいるのが見えるかね。どうやら、今この世で命を落とした者が、そのままの意識を持って別の世界……それこそ中世の騎士や魔法が存在するような、架空の国へ生まれ変わるという物語が流行しているらしい。「いせかいてんせい」と言うそうだ。

                                                                                                                     永井荷風

ああ、その話なら私も耳にいたしました。今の若い人々は、この窮屈な現実を逃れて、どこか遠い、夢のような魔界へ飛躍することを望んでいるのでしょう。しかし先生、一度死んで別の世界へ行くなどという仮定は、我々からすれば少々子供騙しのようにも思えますね。先生はかつて修善寺で、文字通り「一度死んだ」経験をお持ちではありませんか。

全くだ。あの時、私は確かに時間と空間を超越した。個性を失い、意識の敷居の下にある暗闇を覗き見た。だが、そこには華やかな魔法もなければ、勇者としての活躍もなかった。ただ「失った」という明白な事実があるばかりだ。意識がそのまま別の肉体に宿って、都合よく第二の人生を謳歌するなど、物理学者が分子の容積を計算するよりもはるかに飛躍した、途方もない空想に過ぎんよ。

左様でございます。私は、この泥にまみれた東京の街角や、燈火に照らされた不夜城の美しさを愛しております。たとえここが「罪と暗黒の世界」であろうとも、私はこの現実の湿り気や、女給たちの白粉の匂い、そして消えゆく江戸の残影の中にこそ、真の文芸を見出したい。わざわざ得体の知れぬ異界へ行かずとも、この銀座の裏通りを一歩踏み込めば、そこには十分に「魔の世界」が広がっておりますから。

ははは、君の言う通りだ。我々にとっての「異世界」とは、想像力の翼で作り上げた偽りの楽土ではなく、この現実をどう眺めるかという、その「眼力」の差にあるのかもしれん。生死の関門を打破して、二者を眼中に置かぬような人生観が成立するならば、この世そのものが一種の浄土にも、あるいは地獄にもなり得る。わざわざ死んで生まれ変わる手間をかけずとも、低徊趣味を持って世を眺めれば、それだけで十分異界だよ。

全くでございます。私は、あの派手な表紙の本を手に取るよりも、蜀山人の狂歌や三代目種彦の伝記を紐解いている方が、よほど時空を超えた旅を楽しめます。今の若者たちが、現実の生活に絶望して異世界を夢見るのは、彼らが「人を見る眼力」や「街を愛でる余裕」を失ってしまったからではないでしょうか。

「余裕」か。確かに、今の世の中はあまりに切実すぎて、生死の境を軽々しく飛び越える物語でなければ、心が休まらないのかもしれん。だが、私はやはり、この頼りない胃袋を抱え、珈琲の苦味を味わいながら、この不完全な現世で苦悶する方が性に合っている。仮定は人々の随意だが、私は自分の経験できない限り、どんな華やかな異世界の物語も、私を支配することはできんよ。

先生のお言葉、胸に響きます。私もまた、この燦爛たる燈火の巷を、死ぬまで彷徨い続ける覚悟です。異世界へ行く船を待つよりも、今夜の月が隅田川に落とす影を追う方が、私にとってはよほど切実なる「生」の証でございますから。さあ、先生。異世界の勇者にはなれずとも、我々は我々のままで、この夜の銀座をもう少し歩こうではありませんか。

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