見出し画像

【明治文豪、令和を歩く】第46回:VTuberの相場

現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

夏目漱石                                                                                                                    

……荷風君、先ほどから君が熱心に眺めているその平たい硝子板(タブレット)の中に、何やら妙な娘が映っているようだが。……おや、これは絵なのかね? それとも活動写真か? 声は人間のようだが、動きがどうにも、操り人形のようでいて、それでいて妙に滑らかだ。

                                                                                                                      永井荷風

(画面を見せたまま)先生、これは近頃の若者の間で流行っている『Vテュウバア』というものですよ。肉体を持たぬ虚像でありながら、その実、裏側には生身の人間がいて、言葉を操っている。……かつて私が寄席で夢之助と名乗っていた頃、引幕を背負って歩いたものですが、これは言わば、現代の『影絵芝居』や『声色(こわいろ)』の進化形態とでも言えましょうか。実体のない美少女の姿を借りて、市井の徒と軽妙なやり取りを愉しんでいるのです。

ほう、影絵芝居か。なるほど、そう言われれば合点がいく。しかし、わざわざ自分の顔を隠して、虚構の皮を被って喋るとは、現代人はそれほどまでに自己の正体を明かすのが恐ろしいのかね。あるいは、そうでもしなければ、理想の自分を演じきれぬほど、現実というやつが窮屈なのか。……私などは、胃弱の自分をそのまま小説に曝け出すだけで精一杯だが、彼らはその点、実に器用なものだ。

先生、それは少し見方が厳しすぎますよ。私はむしろ、この『皮を被る』という行為に、ある種の耽美的な救いを感じるのです。江戸の戯作者たちが筆名(ペンネーム)を使い分け、現実の身分を忘れて放蕩の限りを尽くしたように、彼らもまた、この電子の仮面を被ることで、日常の卑俗な義務から解放されている。……もっとも、この娘が発する言葉の中に、時折混じる『不純な混乱』や、西洋の口真似のような奇妙な新語には、少々眉をひそめたくなりますがね。

ふむ。自己からの逃走か、あるいは新しい自己の創造か。……しかし、この『投げ銭(スパチャ)』というやつはどうだね。画面の向こうの幻影に向かって、人々が競うように金を投げ入れている。これはまるで、浅草の観音様にお賽銭を投じるよりも、ずっと露骨で、功利主義的な熱狂に見える。……私の『三四郎(※)』や『それから(※※)』の登場人物たちなら、この光景を見て、現代の日本は精神の空虚を金で埋め合わせる機械仕掛けの迷路になったと嘆くかもしれん。

(※)初出1908[明治41年]朝日新聞
(※※)初出1909[明治42年]東京朝日新聞

(苦笑して)確かに、あの赤い文字で流れる金額の多寡は、いささか風情に欠けますな。ですが先生、これこそが現代の『繁昌記』なのです。銀座のカフェエで女給と戯れるのも、この電子の広場で仮想の乙女に貢ぐのも、孤独な魂が束の間の夢を買うという意味では、そう大差ありますまい。……私は、この鵺(ぬえ)のような、実体があるのかないのか分からぬ存在が、今の日本の不透明な空気を見事に象徴しているようで、見ていて飽きませんよ。

……鵺、か。なるほど。しかし荷風君、君があまりに熱心にその画面を見つめているものだから、てっきり君もその『Vテュウバア』とやらになって、偏奇館の裏話でも語り始めるのではないかと冷や冷やしたよ。

おや、先生。私が美少女の姿になって、フランスの古い詩を朗読でもすれば、現代の若者たちも少しは耽美の心を取り戻すでしょうか? ……まあ、冗談はさておき。私はやはり、墨堤を独り歩きながら、消えゆく江戸の残り香を紙に書き留める方が似合いです。電子の仮面を被るには、私は少々、古風に過ぎるようですから。

前へ42434445|46 ▶次へ



いいなと思ったら応援しよう!

ぶるうす恩田 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!