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【明治文豪、令和を歩く】第42回:天下分け目のセンター試験

漱石は、新聞の教育欄に並ぶ細かな数字の列を、虫眼鏡でも取り出しそうな勢いで凝視している。荷風は、そんな漱石の様子を可笑しそうに眺めながら、手にした蝙蝠傘をゆっくりと回している

夏目漱石                                                                                                                        

……荷風君、この『センター試験』というものは、何とも凄まじいものだね。一月の最も寒い時期に、全国の若者たちが一斉に同じ問題を解かされる。しかも、そのわずか数時間の出来不出来で、その後の人生の行方が決まってしまうという。私がかつて一高や大学で教えていた頃も、試験というものはあったが、これほどまでに組織化され、機械的に人間を振り分けるような代物ではなかったよ

                                                                                                                    永井荷風

先生、あれは現代の『徴兵検査』のようなものですよ。かつて三田の慶応義塾で文学部の刷新を志した頃、我々が求めたのは、個人の自由な感性と芸術への情熱でしたが、この試験にはそんな余地は微塵もありません。ただ、与えられた枠の中にどれだけ正確に符号を書き込めるか。そこには文学も芸術もなく、ただ効率と正確さを競う、無味乾燥な競争があるばかりです。私は、あのような画一的な選別の中に身を置くくらいなら、一生、場末の寄席の隅で古本でも読んでいた方がよほど幸福だと思いますな

効率か。確かに、この試験の形式を見ていると、人間を一個の『解答機械』として扱っているように見える。私がロンドンで孤独に耐えながら、文学とは何か、自己とは何かと煩悶していたあの時間は、今の受験生にとっては『無駄』な遠回りに過ぎないのかもしれん。しかし、荷風君。若いうちに、あのような巨大な壁に突き当たって、己の無力さを知るというのも、あるいは一つの経験ではあるまいか。……いや、やはり私には、あの張り詰めた空気は耐えがたい。想像するだけで、胃のあたりがしくしくと痛み出すよ

ははあ、先生は相変わらずお優しい。私は、あのような制度そのものが、日本人の独創性を削いでいる元凶だと思っております。かつて私が亜米利加の田舎の大学にいた頃、試験中に生徒が自由に外へ出て休息していても、誰も不正などせず、己の学力と正直に向き合っていた光景を思い出します。そこには、自律した個人の姿がありました。翻って今の日本はどうです。高い壁を乗り越えることばかりに汲々として、壁の向こうに何があるのかを考える余裕すらない。あの中に、将来の文壇を背負って立つような、骨のある若者が果たしているのでしょうか

それは難しい問いだね。しかし、あの猛烈な競争を勝ち抜いてきた連中が、将来、この国を動かす歯車になっていく。そう考えると、日本の未来というのも、何だかこの試験問題のように、あらかじめ決められた選択肢の中から正解を選び出すだけの、味気ないものになってしまいそうで怖いよ。私は、正解のない問いに対して、一生をかけて悩み続けることこそが、人間の尊厳だと思うのだがね

左様でございます。私は、あのような喧騒からはとっくに身を引き、誰もいない銀座の裏通りを歩きながら、時代に取り残された古い情緒を拾い集めることに喜びを見出しております。試験の点数で人間の価値が決まるような世の中なら、私は喜んで落第者の列に加わりましょう。先生、あのような数字の羅列などは放っておいて、もっと静かな、鴎外先生との古い思い出話でもいたしませんか。その方が、よほど人間らしい実感が持てるというものです

そうだね。試験の点数では測れない、もっと深くて、もっと厄介な『人間』というものの正体について、ゆっくりと語り合うとしよう。……おや、珈琲がもう冷めてしまった。もう一杯、注文してもいいかな」

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