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【明治文豪、令和を歩く】第43回:成熟しない成人式

漱石は、新聞に載っている振り袖姿の娘たちの群像を、どこか眩しそうな、それでいて少しばかり苦いものを噛み潰したような顔で眺めている。荷風は、窓の外を通り過ぎる、慣れぬ羽織袴に身を包んだ若者たちの、いささか落ち着きのない足取りを冷ややかに見送っている

夏目漱石                                                                                                                         

……荷風君、先ほどから表を歩いている若者たちの晴れ着姿を見たかね。今日は『成人式』とかいう、二十歳になったことを祝う催しがあるらしい。私の若い頃は、十九や二十といえば、もう立派に一家を支える覚悟を持っていたものだが、今の若者たちは、あのように集団で騒ぎ立てねば、自分が大人になったことを実感できんのかね。私の母などは、私が大学を卒業した時、まるで嫁でも貰ったかのように大騒ぎをして赤い飯を炊こうとしたが、私はそれが苦痛でね。世間への義理だの、お父さんの顔があるだのと理屈を並べ立てられて、辟易したことを思い出すよ

                                                                                                                     永井荷風

先生、あれは大人への門出というよりは、単なる『露悪的な仮装行列』ですよ。かつて三田の教壇に立っていた頃、私は学生たちに、個人の自由と内面を磨くことを説きましたが、今のあの騒ぎはどうです。皆と同じ極彩色の衣装を纏い、同じように酒を飲んで騒ぐ。そこには、孤独に耐えて自己を確立しようという気概など微塵も感じられません。私は、あのような喧騒の中に身を置くくらいなら、誰もいない裏通りの古本屋で、古びた戯作者の苦心談でも読んでいる方が、よほど『大人』の嗜みというものだと思いますな

確かに、群れることでしか自己を表現できないのは、いささか寂しいものだね。広田先生ではないが、今の若者は自我の意識が強すぎるようでいて、実はその実体がないのかもしれん。形式だけを整えて、中身は空っぽ……。あの派手な衣装を脱いだ後に、一体何が残るのか。私の小説に出てくる三四郎のように、迷える羊のまま、ただ都会の荒波に押し流されていくのではないか。まあ、私も若い頃は、どてら姿の男に誘われて、十九で坑夫になろうかと思い詰めたこともあったから、彼らの無鉄砲さを笑う資格はないのかもしれんがね

先生が坑夫に……それはまた、随分と剛健な趣味をお持ちだったのですね。しかし、今の若者たちが求めているのは、そのような内面的な冒険ではなく、ただ『目立つこと』と『承認されること』だけのように見えます。私は、あのような喧騒から離れて、静かに墨を磨り、過去の文豪たちの魂と対話することにこそ、真の教育があるべきだと信じています。あのようなお祭り騒ぎの儀式に、一体何の価値があるというのでしょう。ただ、貸衣装屋と酒屋を喜ばせるだけの行事ではありませんか

ははあ、君は相変わらず手厳しい。だが、親にしてみれば、学問をさせて理屈っぽくなった息子であっても、無事に二十歳を迎えたという事実は、やはり何にも代えがたい喜びなのだろう。私の父のように、他人の陰口を気にして『世間への義理』を口にするのも、それはそれで、この窮屈な日本という社会で生きていくための、一つの知恵なのかもしれん。……とはいえ、あの騒々しい式典に出るくらいなら、私も君と一緒に、この冷めた珈琲を啜りながら、人間というものの滑稽さについて語り合っている方が、よほど性に合っているよ

全くでございます。大人の証とは、誰かに認められることではなく、孤独を独りで背負えるようになることですから。さあ、あの喧騒が遠ざかるまで、もう少し静かな話をいたしましょう。文明の皮を剥いだ後に残る、人間の剥き出しの業についてでも……

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