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【明治文豪、令和を歩く】第40回:初詣おあとがよろしいようで

漱石は、少しばかり汚れた指先で、丁寧に淹れられた珈琲の湯気を追い払うように扇いでいる。荷風は、インバネスのポケットに手を突っ込み、どこか冷ややかな眼差しで、遠くの神社の森から聞こえる喧騒に耳を傾けている

夏目漱石                                                                                                                     

……荷風君、先ほどからあの表通りの人波を見ていたのだが、皆一様に同じ方向へ、吸い寄せられるように歩いていくね。聞けば『初詣』という、新年最初の参拝だそうだが、あれほどまでに密集して神仏を拝みに行かねばならぬものかね。明治の昔も、穴八幡や水天宮の縁日は賑わったものだが、今の世のそれは、信仰というよりは、一種の『群衆の行進』のように見えてしまうよ

                                                                                                                    永井荷風

先生、あれはもはや神仏への祈願ではなく、単なる『風俗のなぞり』ですよ。かつて私が、朝寝坊夢楽の弟子として寄席に通っていた頃、正月の浅草は確かに賑やかでしたが、そこにはまだ、各々が勝手気ままに遊ぶという『ゆとり』がありました。今の初詣は、まるで規則正しく並ばねばならぬ義務のようです。私は、あのような行列に加わってまで、賽銭を投げ入れる気にはなれませんな。神様も、あんなに一度に押し寄せられては、一人一人の願いを聞き届ける暇もあるまい

ははあ、確かに。私も留学中にロンドンの霧の中で、孤独というものを骨の髄まで味わったが、今の日本の群衆の中にいると、その孤独がかえって強調されるような気がする。あの拝殿の前で、皆が頭を垂れて何を祈っているのか……。文明が進み、電灯が夜を昼のように照らしても、人間の心の奥底にある不安や、何かに縋りたいという欲求は、千年前から少しも変わっていないのかもしれん。いや、むしろ現代という、この落ち着きのない時代だからこそ、あのように形だけでも『祈る姿』を共有したいのかね

私は、あのような明るい場所の信仰よりも、誰もいない深夜の路地裏で、月の光が銀の糸のように差し込む机に向かっている方が、よほど敬虔な心地になれます。冬至を過ぎ、日が少しずつ伸びていくのを静かに感じる……。それが私にとっての歳時記です。わざわざ人混みに揉まれ、着物の裾を汚してまでお神籤を引くのは、どうも私の性分には合いません。今の初詣には、江戸の戯作者たちが持っていたような、軽妙な『遊び』の精神が欠けているように思えてならないのです

遊び、か。確かに今の世の初詣は、いささか生真面目すぎるのかもしれんね。賽銭の額や、お守りの御利益ばかりを気にして、境内の古びた樹木の佇まいや、冬の澄んだ空気を楽しむ余裕がない。私もかつて、三田の慶応義塾で文学部を刷新しようと志した若き日のように、何かに熱狂する情熱は嫌いではないが、あの雑踏の中に身を置けば、忽ち自己というものが摩耗してしまいそうだ。私はやはり、君のように静かな書斎で、過去の文豪たちの魂と対話している方が、よほど『初詣』らしい清々しさを感じるよ

先生、左様でございます。私はこの後、誰もいなくなった裏通りの古本屋でも覗いて、三代目種彦の伝記の資料でも探そうかと思っております。人波に逆らって歩くのは骨が折れますが、その孤独こそが、私にとっては唯一の贅沢なのです。初詣の喧騒が静まり、街に沈痛なる深夜の感慨が戻る頃、ようやく私の新年が始まるような気がいたします

なるほど、君らしい新年の迎え方だ。では、私はこの温かい珈琲をもう一杯頂いてから、ゆっくりと家路につくことにしよう。あの行列に加わる勇気はないが、遠くからその熱気を眺めている分には、これもまた一つの現代の『写生』として、悪くない見世物かもしれないな

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