見出し画像

【明治文豪、令和を歩く】第37回:エネルギッシュ帰省ラッシュ

漱石は、手元の珈琲カップをソーサーに戻し、窓の外を流れていく群衆の列を、どこか遠くを見るような目で見つめている。荷風は、膝の上に置いた蝙蝠傘の柄をいじりながら、皮肉めいた笑みを浮かべている

夏目漱石                                                                                                                       

……荷風君、先ほど駅の方まで散歩してみたのだが、あれは何だい。まるで行軍だね。大きな鞄を引きずり、子供を抱え、皆が一様に血相を変えて改札口へ殺到している。聞けば『帰省ラッシュ』というそうだが、故郷へ帰るという心温まる行事が、なぜあのように殺伐とした光景になるのか、私にはどうも解せないのだよ

                                                                                                                   永井荷風

先生、あれは現代の『苦行』ですよ。かつての我々が、上野から汽車に乗ってのんびりと旅に出た頃とは、土台が違います。今の世の人々は、一年の数日を郷里で過ごすために、わざわざ自らを窮屈な箱の中に閉じ込め、何時間も耐え忍ぶ。あれは情愛というよりは、一種の義務感に突き動かされているように見えますな

義務か。なるほど。個人の自由を尊ぶはずの現代人が、カレンダーの一点に示し合わせたように一斉に動き出す。そこには個人の意志というよりは、巨大な機械の歯車が回るような、抗いがたい力を感じるね。あの中に身を投じれば、自己というものが粉々に砕けて、ただの『荷物』の一部になってしまいそうだ。私はあのような混雑を想像するだけで、胸のあたりがひどく重くなるよ

全くです。私は明治の頃、フランスから帰った折に、文士仲間と変装して上野に集まり、浅草を遊び歩いたことがありましたが、あの頃の賑わいにはまだ『遊び』の余裕がありました。今の帰省の列には、風情もなければ、季節を愛でる余裕もない。ただ目的地へ、最短時間で、効率よく移動することだけが目的となっている。文明が発達して、汽車の速度が上がれば上がるほど、人間の心はかえって狭苦しい場所に追い詰められているように思えてなりません

効率、か。確かにそうだ。彼らは故郷の土を踏む前に、あの雑踏の中で、すでに大切な何かを摩耗させてしまっている。本来、旅というものは道中の景色を眺め、自分を見つめ直す時間であるはずなのに、今の彼らにとっての移動は、ただの『空白』あるいは『苦痛』でしかない。あのような騒ぎの中に、文学が生まれる余地など、どこにもないように思えるのだがね

先生、今の世に私の愛した江戸の残り香や、明治の長閑さを求めるのは贅沢というものでしょう。私はあのような列に加わるくらいなら、誰もいない東京の裏通りを、一人静かに歩いている方がよほど幸福です。大晦日の夜、誰もいなくなった銀座の柳の下を歩きながら、遠くで鳴り響く喧騒を他人事のように聞く……。それが、私のような時代遅れの隠居には、一番の慰めになります

ははあ、君は相変わらずの孤高を貫くのだな。しかし、あの猛烈な勢いで故郷を目指す人々も、心のどこかでは、何かにしがみつきたいのかもしれない。あまりに速く変わりすぎる現代という舞台の上で、足元がふらつかないよう、故郷という古い錨を下ろしに行こうとしている……。そう考えると、あの痛々しい混雑も、一種の悲哀を感じさせないでもない。まあ、私は遠慮させてもらうがね。君とこうして、静かなカフェで苦い珈琲を啜っている方が、よほど人間らしい心地がするよ

前へ33343536|37 ▶次へ



いいなと思ったら応援しよう!

ぶるうす恩田 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!