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【明治文豪、令和を歩く】第47回:自堕落宝くじ

現代の東京、とある落ち着いた喫茶店の奥まった席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、湯気の立つカップを前に向かい合っている。

夏目漱石                                                                                                                       

……荷風君、さっき表の煙草屋の角で、妙な行列を見かけてね。何事かと思えば、皆一様に紙切れを握りしめて、神妙な顔をして並んでいる。どうやら『宝くじ』という、現代の富突きのようなものらしい。一等に当たれば、一生遊んで暮らせるほどの金が手に入るとか。……金なんぞ、あればあったで面倒なものだが、こうも露骨に夢を切り売りされると、かえって清々しい気さえするな。

                                                                                                                      永井荷風

(懐から出した扇子をゆっくりと動かしながら)……ああ、あれですか。先生、あれは現代の江戸っ子たちが、束の間の富貴を夢見るための『免罪符』のようなものです。かつての富突きは寺社の修復などの名目がありましたが、今はただ、数字という無機質な記号に己の運命を託す。……私はあの行列を見るたび、坂井さんの家で小六が貰ってきた、あの額の欠けた福引の人形を思い出しますよ。当たったところで、手元に残るものの虚しさは、昔も今も変わりませんな。

ふむ。確かに、あの小六が持ってきた『袖萩』の人形のようなものかもしれん。当たるまでは、それこそ『この垣一重が黒鉄の』とでもいうような、堅固な希望を抱いているのだろうが、外れてしまえば、ただの紙屑だ。……しかし、一円五十銭の空気銃で喜んでいたあの真事のような純真さは、あの行列の中には見当たらん。皆、どこか切羽詰まった、あるいは冷え冷えとした欲望を抱えているように見える。金で幸福が買えると思い込んでいるあたり、現代の教育も、私の時代のそれと大して進歩していないようだ。

おっしゃる通りです。私は、あの紙切れに何億という価値がつくと信じている群衆の心理よりも、その夢が破れた後の、夕暮れの街の寂寥に惹かれます。……かつて私が夢之助と名乗って寄席に通っていた頃、高座の後に眺めた大川の流れのように、欲望は常に流れて消える。宝くじに当たって、急に色光沢のいい男になって車を走らせたところで、それは原口さんの描いた肖像画のように、どこか作り物めいた、実体のない幸福に過ぎないのでしょう。

全くだ。……誰でもみんな、私が結婚した時のように慎ましく、あるいは津田のように理屈をこねて生きていればいいものを、一攫千金で人生をひっくり返そうとする。……まあ、与次郎が学校で文芸協会の切符を売り歩いていたような、あの図々しいまでの活力があれば、外れてもまた笑っていられるのだろうがね。私などは、もし一等にでも当たってみたまえ、親戚中から金の無心に来られて、それこそ神経衰弱を再発させてしまうよ。

(くすりと笑って)先生なら、その賞金で立派な書庫でもお建てになるかと思いましたが。……私は、もし当たったとしても、誰にも言わずに偏奇館の庭で鶏と戯れながら、ひっそりとフランスの古本でも読み耽ることにしますよ。……先生、あの行列に並ぶ人々は、結局のところ、当たった後の幸福ではなく、当たるかもしれないという『迷信』を買い求めているだけなのです。江戸の蕩子が青楼で夢を買ったように、彼らはあの小窓で、現代の幻影を買っている。そう思えば、あの行列も一つの風俗詩として、眺める分には悪くありませんな。

風俗詩、か。君は相変わらず観察が鋭い。……だが、私はやはり、あんな不確かなものに運を預けるよりは、原稿用紙の一行一行を、確かな苦痛とともに埋めていく方が性に合っている。……さて、荷風君。宝くじの夢が覚めないうちに、我々はどこか静かな場所で、本物の珈琲でも啜りに行こうじゃないか。当たる保証のない金よりも、今ここにある一杯の苦みの方が、よほど信用できる。

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