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【明治文豪、令和を歩く】第45回:箱根駅伝やぶさかでない

東京の雑踏を離れ、静かな書斎の片隅で、二人の文豪が向かい合っている。窓の外では現代の東京の喧騒がかすかに聞こえるが、室内には古き良き時代の空気が漂っている。

夏目漱石                                                                                                                         

……おい、荷風君。さっきから表が騒がしいと思ったら、どうやらまたあの『駅伝』というやつが始まったらしい。若い連中が箱根の山を、それこそ死に物狂いで駆け抜けるという、例の催しだ。君はどう思うね? 現代の日本人は、あんなにまでして走るのが好きなのかね。私などは、正月の朝からあんなに息を切らしては、胃に障って仕方がない。

                                                                                                                   永井荷風

(懐から手帳を取り出し、何かを書き留めながら)……先生、あれはもはや一種の宗教のようなものですな。私はかつて、両親が逗子や箱根へ出かけるのを尻目に、留守番と称して東京の空虚な夏を愉しんだものですが……。今の若者たちは、わざわざ正月の清冽な空気を切り裂いて、あんな険しい山道を、それこそ西洋の競走路のようにして走る。かつて成島柳北が描いたような、風流な箱根の面影はどこにもありません。ただ、あの沿道の群衆の熱狂……あれだけは、江戸の祭礼にも似た、ある種の市井の活気を感じさせますね。

ふむ。活気、か。確かに、テレビという魔法の鏡に映し出される彼らの顔は、何かに取り憑かれたように真剣だ。しかし、一秒を争って襷(たすき)を繋ぐという行為は、どうも私には功利主義の権化のように見えていけない。文学も人生も、もっとこう、のらりくらりと歩いてこそ、見えてくる真実があるものだが……。あんなに全力で走っていては、道端に咲く寒椿の一輪にも気づくまい。もっとも、私の『三四郎(※)』に出てくるような若者たちなら、あの人混みを見て、すぐに迷子になってしまうだろうな。

(※)初出1908[明治41年]朝日新聞

(苦笑して)全うなご意見です。しかし先生、私はあの『襷』という細い布切れ一本に、若者たちが己の存在のすべてを託す様には、少々興味を惹かれるのです。それは、かつての戯作者たちが、発売禁止の憂き目に遭いながらも、細々とその筆を繋いでいった、あの執念にも似ている。……もっとも、私はあの騒がしい銀座の通りをランニングシャツ一枚で走る勇気はありませんがね。私はやはり、カッフェーの片隅で、彼らが通り過ぎた後の静寂を待ちながら、当世の風俗を観察している方が性に合っている。

ははあ、なるほど。君らしい。しかし、あの箱根の山登りだ。あれを一段ずつ登っていく苦しみは、我々が原稿用紙の一行一行を埋めていく苦行に似ていなくもない。……いや、やはり違うか。我々の仕事は、もっと孤独で、もっと報われないものだ。彼らには沿道の声援があるが、我々の耳に届くのは、せいぜい締め切りを急かす編集者の足音くらいだからな。

左様でございますね。……おや、また外で歓声が上がりました。どうやら先頭が来たようです。先生、せっかくですから、あのアスファルトの道に、かつての東海道の幻影でも探しに行ってみませんか。現代の浮世絵師たちが、何を描こうとしているのか、この目で確かめるのも、あながち無駄ではありますまい。……もちろん、人混みに酔う前に、どこか古風な喫茶店へ逃げ込むのが条件ですが。

よかろう。では、ステッキを持って出かけるとしようか。ただし、私を走らせようなどとは考えないでくれたまえ。私はあくまで、高等遊民として、あの狂奔を眺めるだけにするよ。

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