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【明治文豪、令和を歩く】第50回:どぎついおみくじ

現代の東京、とある落ち着いた喫茶店のテラス席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、カップを前に向かい合っている。

夏目漱石                                                                                                                      

……荷風君、先ほどから君が熱心に振っているその筒は、おみくじかね。そういえば、私の友人の某も、かつて自分の脳力に悲観して試験を諦めようとしていた時、善光寺の御神籤で『雲散じて月重ねて明らかなり』という句を得て、急に元気づいて及第したことがあった。人間、理屈では動かぬ癖に、あんな小さな紙切れ一枚で、未来が薔薇色に見えたり、奈落の底に見えたりするのだから、実に現金なものだ。

                                                                                                                      永井荷風

(筒から出た棒の番号を眺めながら)……先生、それは敬太郎のような純朴な若者ならいざ知らず、私などは、あの薄暗い境内で易者の提灯の光に照らされた女の悄然とした姿を見るにつけ、神籤(みくじ)というものは、当たるも八卦ならぬ、孤独な魂が束の間の『希望』という名の麻酔を買い求める儀式のように思えてなりません。……おや、私は『末吉』ですか。可もなく不可もなく、今の私の隠遁生活には丁度良い塩梅ですな。

末吉か、悪くない。私などは、かつて方々の神社で手当たり次第に神籤を引きまわったこともあるが、あれは別に目的があったわけじゃない。ただ、自分が嘘と知りつつ、出鱈目をさも真実らしく述べる山師のような易者に会うよりは、あの無機質な紙切れに運命を委ねる方が、まだしも道い破ってくれる潔さがあると感じたからだ。……しかし、今の若者たちが浅草の観音様で、仲見世の喧騒を抜けて神籤を引く様は、江戸時代の繁華を耳にした祖父たちの頃とは、随分と趣が違って見える。彼らは『凶』が出れば、それを結びつけて、無かったことにしようとするが……あれは運命に対する冒涜ではないかね。

(苦笑して)先生、それは今の世の『不徹底な古典趣味』というやつですよ。悪い結果は木に結びつけて忘れ、良い結果だけを懐に入れて持ち帰る。……私はむしろ、凶を引いて、その暗い影を背負いながら、大川の流れを独り眺めるような、そんな寂寥の中にこそ真実の詩があると思うのですがね。……かつて私が寄席で夢之助と名乗っていた頃、高座の出来不出来を運に任せていたあの心細さに比べれば、神籤の吉凶など、カッフェーの珈琲の苦みほどの重みもありません。

ふむ。君は相変わらず、影の中に美を見出すのが上手い。……だが、あの『花発いて再び重栄』という句を信じて、もう一度筆を執る勇気を得る者がいるなら、あの百円かそこらの紙切れも、あながち無駄とは言えん。……もっとも、私のように神経を病んでいる人間が『凶』を引いてみたまえ。道端に咲く寒椿さえも、自分を嘲笑っているように見えて、それこそ一日中、布団を被って寝込む羽目になる。……荷風君、私にはその筒を渡さないでくれたまえ。私は、自分の運命を紙切れに教わるほど、まだ自分を諦めてはいないからな。

左様でございますね。……では、この末吉の紙切れは、私がそっと袂に忍ばせておきましょう。先生、運命を占うのはこれくらいにして、あのアスファルトの隙間に、かつての車坂や寺の門跡の幻影でも探しに行きませんか。神籤に頼らずとも、歩いているうちに、運命が我々をどこか面白い場所へ誘い込んでくれるかもしれませんよ。

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