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【明治文豪、令和を歩く】第60回:佇むオーバーツーリズム

現代の東京、とある落ち着いた喫茶店のテラス席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、カップを前に向かい合っている。

夏目漱石                                                                                                                       

荷風君、近頃の京都や鎌倉の騒ぎを耳にしましたか。どこへ行っても人、人、人で、地面が見えぬほどだという。かつて我々が夢窓国師の作庭を愛で、静寂の中に自己を見出そうとしたあの境内も、今や異国の言葉と写し鏡のような機械を掲げた群衆に占拠されてしまったようだ

                                                                                                                     永井荷風

ええ、聞き及んでおります。風流もへったくれもありませんな。私がかつて愛した市井の路地裏や、人知れぬ寺の苔むした階段までもが、今や『観光資源』などという無粋な名で呼ばれ、土足で踏み荒らされている。あれでは、古人が残した趣も、春の夜の夢のごとく消え失せてしまいます

全くだ。見物というのは、その場所の空気に自分を同化させてこそ価値がある。今の連中は、景色を見るのではなく、景色の中にいる自分を記録することに躍起になっている。和歌山へ嫂を連れて行った際、車夫に命じて闇雲に駆けさせた私でさえ、今のこの混雑ぶりを見れば、俥を降りる気すら失せるでしょう

先生、それは賢明な判断です。今の街は、情緒を味わう間もなく、消費されるだけの見世物小屋になり果てた。江戸の残り香を求めて歩いても、出くわすのは旗を振る案内人と、列をなす異邦人ばかり。これでは、孤独を愛する散策者にとって、東京も京都も、もはや安住の地ではありません

宗近君なら『日本が賑やかで結構だ』と笑うかもしれんが、私はどうも感心しない。人間が多すぎる場所では、個人の精神が他人の波に揉まれ、形を失ってしまう。かつて私が三沢と河の流れを眺めて黙り込んだような、あの濃密な沈黙は、今の観光地では望むべくもない

左様でございます。美しきものは、静けさの中にこそ宿るもの。これほどまでに人が溢れては、土地の精霊も逃げ出してしまうでしょう。私はもう、賑やかな表通りは御免です。誰も見向きもしない、泥濘んだ裏通りの、古びた土塀の陰にこそ、真の日本が生きながらえている気がしてなりません

ははあ、相変わらずの隠遁志向だ。だが、その通りかもしれん。現代の『オーバーツーリズム』とやらは、文明が肥大しすぎて、自らの重みで風情を押し潰している姿に見える。稀少な土を掘り返すのみならず、今度は静寂という名の稀少な資源まで食い潰そうというのだから、人間とは業の深い生き物だ

全うな言葉です。これでは、我々のような古い人間は、ただ書斎に閉じこもり、幻の江戸や明治を追うしかありませんな。先生、あのアイスクリームを舐めながら大声で笑う群衆が去るまで、もう一杯、苦い珈琲でもお代わりしましょうか

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