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【明治文豪、令和を歩く】第79回:威張れんバレンタインデー

喫茶店の窓辺、二月の明るい日差しがテーブルの上の白磁のカップを照らしている。漱石は手元のカレンダーを眺め、荷風は懐から取り出した古びた手帖に目を落としている

夏目漱石                                                                                                                       

荷風君、今日は二月の十四日だそうだ。近頃の若者の間では『バレンタインデー』と称して、女子が男子にチョコレートを贈る習わしがあるらしい。私が留学していた頃の倫敦では、聖バレンタインの日に愛の告白を記した書簡を交わす風習はあったが、菓子屋の店頭にこれほどまでに黒い煉瓦のような菓子が並ぶ光景は、いささか異様に映るな

                                                                                                                         永井荷風

先生、それはまた、西洋の模倣も極まれりといった話でございますね。私が巴里におりました頃も、恋人たちが愛を囁き合う日はございましたが、今の東京のように、義理だの何だのと理屈をつけて、一斉に菓子を買いに走るような無粋な真似はいたしませんでした。銀座の通りを歩けば、どこもかしこも甘ったるい香りに包まれ、まるで街全体が大きな菓子箱に閉じ込められたようで、私などは鼻を覆いたくなりますよ

全くだ。本来、情愛というものは、もっと静かで、人知れず育まれるべきものだろう。それをカレンダーの一日に押し込めて、儀式のように処理してしまうのは、日本人の悪い癖だ。以前、三田の文学部を刷新しようという話があった時、君も私も、組織や流行の騒々しさから距離を置こうとしたではないか。このチョコレートの騒ぎも、結局は個人の自由な感情を、世間という大きな枠に嵌め込もうとする企みのように思えてならん

仰る通りでございます。私は、築地の陋屋で独り、鴎外先生や先生からの古い書簡を屏風に張り、それを眺めて楽しむような静寂を愛しております。誰からも贈られず、誰にも贈らぬ。その孤独の中にこそ、真の自由がある。今の若者たちは、菓子を貰えぬことを恥じ、贈らぬことを恐れているようですが、それは自らの心を他人の物差しに委ねているのと同じではございませんか。私は、雪解けの泥濘を歩き、墨堤の梅の蕾を探す方が、よほど風流を感じます

ふむ。君の『断腸亭日乗』には、季節の移ろいや日々の食卓のことが淡々と記されているが、そこには流行に流されぬ、確かな『自己』がある。私も、胃を病んでからは甘いものも控えているが、もし誰かからあの黒い塊を贈られたとしても、どう扱ってよいか困惑するばかりだろう。感謝の言葉を綴るのも、それはそれで骨の折れる仕事だ。結局、我々のような隠者には、この苦いコーヒーが一番の毒であり、一番の薬なのかもしれんな

(※)初出1947[昭和2年]『荷風日歴』扶桑書房

ははは、左様でございますね。チョコレートの甘みに酔うよりも、この一杯の苦みを噛み締め、世間の喧騒を冷笑を以て眺める。それが、我ら『旧阿蒙』の二月の過ごし方として、最も相応しいように思われます。先生、外は少し風が出てまいりました。春は名のみの風の寒さですが、この喫茶店の中にいる限りは、あの騒々しいバレンタインとやらも、遠い異国の出来事のように思えますな

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