【明治文豪、令和を歩く】第76回:ブラック企業ぐらつく
喫茶店の奥まった席。漱石は卓上の原稿用紙を睨みつけ、荷風は手帖の端に何やら書き留めている。店内の空気は静かだが、外の通りからは絶え間なく車の音が響いてくる

荷風君、先ほどから隣の席の若者が、何やら『ブラック企業』という物騒な言葉を口にしていた。聞けば、朝から晩まで休む間もなく酷使され、心身をすり減らしてなお、報われることのない勤め先のことを指すらしい。我々の時代にも、工場で働く女子たちの悲惨な境遇を記した『女工哀史』のような話はあったが、現代の知識階級の端くれまでもが、あのような不条理な労働に喘いでいるとは、文明の進歩も疑わしいものだな

先生、それはまた、なんとも無粋で殺伐とした話にございますね。私がかつて見聞きした寄席の世界や、あるいは花柳の巷でも、苦労というものはございました。しかし、そこにはまだ、芸を磨くという誇りや、人情の機微という救いがあった。今の世のそれは、ただ機械の歯車として人間を使い潰し、その生気を最後の一滴まで絞り取ろうという、冷徹な計算に基づいているように見受けられます。私は、そのような場所に身を置くくらいなら、路地裏で古本を友とし、飢えを凌ぎながら独り静かに暮らす方を選びます

全くだ。私も以前、新聞社に入った頃は、毎日原稿を埋めることに追われ、執筆の苦しみに悶えたものだ。しかし、それは自らの内なる要求と、読者への責任という、いわば『自己本位』の延長線上にあった。今の若者たちが直面しているのは、己の矜持さえも土足で踏みにじられるような、逃げ場のない隷属ではないか。主人が召使を、あるいは資本家が労働者を、単なる道具としてしか見ぬようになった時、世の中はこれほどまでに寒々しいものになるのだな

ええ。私は、森鴎外先生がかつて記された『渋江抽斎』の伝記を読み、古き良き時代の豊かな精神生活に思いを馳せることがございます。あの時代には、たとえ貧しくとも、人間としての品格を保ち、自らの時間を愛しみ、趣味に生きる余地がございました。現代の『ブラック』とやらに囚われた人々には、夕暮れの空の色を愛でたり、野薔薇の香りに足を止めたりする余裕さえ奪われているのでしょう。それは、生きながらにして死んでいるのも同然でございます

生きながらの死か……重い言葉だ。私は『土』という作品の序を頼まれた際、作者の根気と精力を讃えたが、それは彼が自らの意志で、大地に根を下ろして書き上げたからだ。他人に強いられた過酷な労働は、ただ魂を摩耗させるだけで、何一つ価値あるものを生み出さない。人間が人間を使い捨てにするような組織が跋扈する世の中など、到底、文明の名に値せんよ。私は胃の腑を病みながらも、せめて自らの意志で苦しむ自由だけは手放したくないと願っている

左様でございます。私は、世間から『生活の落伍者』と指を差されようとも、この断腸亭で独り、季節の移ろいを書き留める生活を愛しております。あのような、人の尊厳を奪うような場所からは、一刻も早く立ち去るべきでしょう。雨の日の泥濘を歩く不自由さはあっても、自らの足で行きたい場所へ行く。それが、我々のような隠者に残された、せめてもの抵抗にございます

ふむ。君のように、世俗の価値観から潔く身を引く強さを持つ者が、今こそ必要なのかもしれん。荷風君、我々は幸いにして、こうして静かにコーヒーを啜りながら、世を。憂う自由がある。この一時だけは、あの『ブラック』な喧騒を忘れて、言葉の海に浸ることにしようじゃないか
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