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【明治文豪、令和を歩く】第74回:退職代行再考

喫茶店の窓の外では、足早に駅へ向かう若者たちの姿が見える。漱石は手元の原稿用紙を片付け、荷風は古びた手帖を懐に収めながら、再び言葉を交わし始める

夏目漱石                                                                                                                        

荷風君、先刻あそこで電話に耽っていた若者の話が耳に入ったのだが、『退職代行』という商売が近頃は繁盛しているらしい。自ら主人に暇乞いをする勇気がないのか、あるいはそれほどまでに主従の情愛が枯渇したのか、第三者を立てて、ある日突然、職場との縁を断ち切るのだそうだ。我々の時代から見れば、随分と奇妙な世渡り術だとは思わないか

                                                                                                                     永井荷風

先生、それはまた、現代という時代の『薄情』を象徴するような話でございますね。私はかつて、寄席の師匠の引幕を背負って歩いた身。芸道であれ奉公であれ、去る時にはそれなりの寂寥と、義理のけじめがあったものでございます。自らの口で『さらば』と言えぬほどに、今の世の人間は、対面して情を交わすことを恐れているのでしょうか。まるで幽霊が夜明けと共に消え去るような、実体のない別れ方ではありませんか

全くだ。辞表の一枚を出すにも、そこには苦渋があり、覚悟がある。それが自己を形成する一つの儀式でもあったはずだ。それを金で買うた代行者に委ねるとは、自らの人生の主権を放棄しているのと同じではないか。私はかつて、自己本位ということを説いたが、それは決して責任を逃れることではない。むしろ、自らの足で立ち、自らの言葉で決別を告げる強さを持てということなのだが……。現代人は、そんなにまで他者との摩擦を忌み嫌うのかね

左様でございますね。私は、この東京の街が西洋の模倣に走り、江戸の情緒が失われていくのを冷笑を以て眺めてまいりましたが、この『代行』という仕組みは、冷笑を通り越して、一種の空虚を感じさせます。儒教の教えを引き合いに出すまでもなく、人と人との繋がりには、たとえそれが憎しみであっても、無視し得ぬ重みがあったはず。それを事務的な手続きとして処理してしまうのは、人生を単なる『徒事』として、安っぽく見積もっている証左に他なりません

文明が進歩して、不快なことを回避する術ばかりが巧みになる。しかし、直接ぶつかり合うことで得られる自己の発見というものもある。雇い主の罵声を浴びることも、あるいは引き止められて涙を流すことも、生きた人間が味わうべき苦みだろう。それを避けて通れば、心に澱のようなものが溜まっていくばかりではないか。私は、胃を病みながらも、常に世間と正面から向き合ってきた。この代行という流行は、どうにも私の腑には落ちないよ

先生の仰る通り、人生の寂寥や恐怖、あるいは別れの辛さから逃げてばかりいては、真の芸術も、深い思想も生まれはいたしません。私は、独り路地裏を歩き、誰にも看取られずに果てることを覚悟しておりますが、せめて最期の言葉だけは、自分の声で残したいものだと願っております。金銭で解決できる平和など、私には偽物の安らぎにしか見えませんから

ふむ。どうやら我々は、この便利な現代においても、やはり『旧阿蒙』のままでいる方が、よほど人間らしい生き方ができそうだ。荷風君、代行など頼まずとも、私はいつでも君との雑談を打ち切って、この席を立つ自由を持っている。それが何よりの贅沢だと思わないか

ははは、仰る通り。では、この冷めた紅茶を飲み干したところで、私はまた、誰も知らない古本屋の影にでも隠れることにいたしましょう

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