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【明治文豪、令和を歩く】第75回:新聞おもうぞんぶん

喫茶店のテーブルには、朝刊が数紙置かれている。漱石は眼鏡を拭いながら、大きく広げられた紙面を苦々しく見つめ、荷風は隅の小さな三面記事を指先で追っている

夏目漱石                                                                                                                         

荷風君、新聞というものは、元日も平日も相も変わらず賑やかなものだ。私が朝日に入社した頃は、大学という『学者の巣』を離れて新聞屋になることが、世間では随分な大事件のように騒がれたものだがね。今や紙面は文字で溢れ返り、読む端から目が回るようだ。特に正月の号などは、まだ餅も搗かぬうちから『お目出たい』記事を無理に拵えて、屑屋に喜ばれるほどの重量を競っている。実質のない言葉を並べるのは、実に骨の折れる仕事だよ

                                                                                                                      永井荷風

先生、仰る通りです。しかし、私にとっては、この新聞紙ほど疎ましく、また因縁深いものもございません。かつて私がカッフェーに出入りしていた頃、都下の諸紙はこぞって私を筆誅し、給仕女との仲を面白おかしく書き立てました。彼らは個人の静かな生活を土足で踏み荒らし、毒筆を振るうことを以て使命と考えているようです。私は、新聞記者の顔色を伺って歩くくらいなら、雨が降ろうが槍が降ろうが、己の信じるままに銀座の街を彷徨ってやろうと決めたのでございます

ふむ、君も随分と叩かれた口だったね。新聞という装置は、一度標的を見つければ、寄ってたかって群がる癖がある。私は入社の辞で、新聞も大学も同じ『商売』だと喝破したが、どうも近頃の紙面を見ていると、真実を穿つことよりも、読者の好奇心を煽り立てることばかりに腐心しているように見える。私が講義をしていた時に吠えていた犬の方が、まだしも素直な声を上げていたかもしれん

左様でございます。新聞なるものが如何に個人を迫害し、嫌悪すべき社会の実例を積み上げているか。私は自らの身を以てそれを経験いたしました。彼らが大文字で語る『正義』や『刷新』の裏には、いつも卑俗な好奇心が渦巻いている。私は巴里の新聞を枕元に置き、ショコラの香りに包まれて、古き良き時代の追想に耽る方が、よほど心安らぐのでございます。現代の日本の新聞を広げても、そこには詩趣も、平和な生活への羨望もございません

言葉というものは、本来もっと大切に扱われるべきものだ。私は十二月の末に、まだ見ぬ元日の実景を想像して原稿を書く苦しみに悶えたが、それは読者に対して、せめて誠実でありたいと願ったからだ。今の新聞は、速さばかりを競って、言葉の重みを軽んじている。営業上の都合で、一年前の出来事をさも今起きたことのように仕立て直すような真似を続けていては、いずれ読者の心は離れてしまうだろう

ええ。私は三田の文学部を刷新しようという動きに誘われた際も、結局は権威や集団の運動よりも、独り机に向かうことを選びました。新聞がどれほど私を非難し、世間が私を落伍者と呼ぼうとも、私は路地裏の風俗を、江戸の残り香を、私自身の目で見極めたい。紙面の上で踊る空虚な活字よりも、竹縁に置かれた草餅や、銀杏の葉が散る掛茶屋の情景こそが、私にとっての真実でございます

どうやら二人して新聞を槍玉に挙げてしまったが、これもまた、我々がかつてその片隅で筆を執り、世間に向かって吠えていた名残かもしれん。荷風君、君の言う通りだ。明日の朝刊に何が書かれようと、我々はこの一杯のコーヒーの苦みと、窓の外に流れる季節の移ろいだけを信じていれば、それで十分なのかもしれんな

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