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【明治文豪、令和を歩く】第77回:ガンダムなあんだ

喫茶店の片隅、漱石は「ガンダム」と記された雑誌の図解を、老眼鏡をずらして熱心に眺めている。荷風はその色彩の派手さに眉をひそめつつ、窓外の景色に逃避しようとしている

夏目漱石                                                                                                                         

荷風君、この『ガンダム』という代物を見てみたまえ。人の形をした巨大な鋼鉄の塊に、若者が乗り込んで宇宙を駆けるのだそうだ。かつて我々がロンドンや巴里で見た科学の夢も、ここまで来ると一種の狂気を感じるな。しかも、単なる兵器の自慢話ではなく、あの中に乗り込む若者たちが、皆一様に割り切れぬ思いを抱え、迷い、苦悩しているという。鉄の鎧を纏いながら、中身はひどく脆い人間そのものだ

                                                                                                                         永井荷風

先生、私はどうもあのような原色の機械には馴染めそうにございません。帝国劇場の舞台裏で見た書き割りの方が、まだしも情緒というものがございます。しかし、その鋼鉄の巨人が、星々の間を漂いながら、故郷を想い、あるいは敵味方の枠を超えて対話しようとする様は、どこか寂寥とした詩情を感じさせなくもありません。かつて私が巴里の空の下で感じた、異邦人の孤独にも似た響きが、あの宇宙の闇の中にもあるのでしょうか

ふむ。この物語の筋を追ってみると、単なる勧善懲悪ではない。敵対する側にも、それぞれの正義があり、守るべき生活がある。私がかつて『自己本位』を説いた際、それは他者の『自己本位』との衝突を免れぬと覚悟したが、このガンダムという物語は、まさにその衝突の極致を、巨大な機械のぶつかり合いとして描いているようだ。互いに理解し合いたいと願いながら、引き金を引かねばならぬ不条理。これは、現代の若者たちが抱える、行き場のない焦燥の表れかもしれん

先生の仰る通り、あのような巨大な力を手にしながら、結局は人の心の機微に振り回され、涙を流す。それは、文明の利器を誇りながらも、愛着や憎しみといった古い情念から逃れられぬ我々人間の、滑稽で悲しい姿そのものに見えます。私は、あの冷たく光る金属の肌よりも、路地裏の湿った土や、古びた格子戸の影にこそ、救いがあると思いたい。ですが、あのように宇宙へまで飛び出さねばならぬほど、今の世は窮屈で、余裕を失っているのでしょう

余裕か。確かに、この物語の登場人物たちは、皆一様に張り詰めた糸のようだ。少しでも引っ張れば、ぷつりと切れてしまいそうな危うさがある。私はかつて、茶を品し、花に灌ぐ余裕こそが人生を豊かにすると説いたが、戦火の中では、そんな雍容たる味を解する暇もないのだろう。だが、荷風君、この『ニュータイプ』とかいう概念はどうだ。言葉を介さずとも、魂の奥底で通じ合える人間。それは、我々が文学を通じて追い求めた、究極の共感の形ではないかね

言葉を介さぬ対話……。それは美しくも、恐ろしい夢にございますね。私のような隠者は、言葉のニュアンスの中にこそ真実が宿ると信じておりますが、もし魂が裸のままで触れ合えるのなら、あのような重たい鋼鉄の鎧も、本当は必要ないのかもしれません。現代の若者が、あのような空想の翼を広げて、遠い銀河に思いを馳せるのは、この騒々しい東京の街に、もはや彼らの居場所がないからではないでしょうか

そうかもしれん。しかし、どれほど技術が進み、人が宇宙へ進出しても、結局は胃を病み、恋に悩み、自らの居所に迷う。この『ガンダム』という巨大な玩具は、そんな変わらぬ人間の業を、最新の意匠で包み直したものに過ぎない気がするよ。荷風君、我々もいつか、あのような鋼鉄の馬に跨って、俗世を遥か下に見下ろしながら、静かに議論を交わしてみたいものだな

ははは、先生、それは私には少々荷が勝ちすぎます。私はやはり、この泥にまみれた地上の、名もなき市井の徒として、銀河よりも銀座の柳を眺めて過ごす方が、性に合っておりますよ

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