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【明治文豪、令和を歩く】第80回:まいっちんぐマッチングアプリ

喫茶店の窓辺、二月の明るい日差しがテーブルの上の白磁のカップを照らしている。漱石は手元のカレンダーを眺め、荷風は懐から取り出した古びた手帖に目を落としている

                                                                                                                          永井荷風                                               

先生、お久しぶりです。
こうして現代の風光を眺めながら、あなたと語らうのは悪くない心持ちです。しかし、近頃の男女の交際というものは、どうにも情緒に欠けるようですな。

巷で流行っている「マッチングアプリ」とやらを小耳に挟みましたが、あれはいけません。まるで三越の陳列棚から商品を選ぶように、指先一つで相手を値踏みする。かつての「妾宅(※)」を論じた漢文の滑稽さすら通り越して、もはや即物的な商売のようです。

西洋の風潮が極まった結果、恋の駆け引きまでが機械仕掛けになってしまった。先生はどうお感じになりますか?

(※)初出1981[昭和56年]岩波書店
夏目漱石                                                                                                                     

荷風君、君の嘆きももっともだが、僕にはあれが一種の「文明の利器」というよりは、現代人の孤独が生んだ奇妙な「自意識の標本箱」のように見えるよ。

自分の顔写真を掲げ、学歴や収入を事細かに記して、見知らぬ誰かに自分を「売る」。そこにはかつての文士が小説を世に問うた時のような、切実な自己呈示があるのかもしれない。もっとも、その中身は君が言う通り、極めて不純で混乱したものだろうがね。

しかし、会う前から条件を突き合わせるというのは、かつての「見合い」をより露骨に、そしてより無責任にした形だ。手紙のやり取りで相手の呼吸を測るような、あの奥ゆかしい間合いはどこへ消えてしまったのだろう。

全くです。昔の東京であれば、隅田川のほとりで偶然すれ違う視線や、寄席の帰り道に交わす何気ない言葉の中にこそ、恋の萌芽があった。
今の若者は、画面の中の虚像を相手に、失える恋や得たる恋の算段をしている。ダリヤの花を愛でるふりをして、その実は根っこの値打ちばかりを気にしているようなものです。

それに、あの仕組みでは「沈黙」の価値が全く認められない。白井君のように、物静かに相手の言葉を傾聴する美徳などは、あの喧騒の中では埋没してしまうでしょう。

確かに、あの場では沈黙は「不在」と同じ意味になってしまう。言葉を尽くして自分を飾り立てなければ、誰の目にも留まらない。それはまるで、僕がかつてロンドンで味わった、あの群衆の中の孤独を、自ら進んで再生産しているようなものだ。

君の言う通り、風土や伝統に基づいた情緒は、あのような平坦な画面の上では息絶えてしまう。だが、現代の若者たちも、その乾いた仕組みの中で、必死に誰かの体温を探しているのだと思うと、僕は少しばかり同情を禁じ得ないのだよ。

先生、あなたは相変わらずお優しい。
私には、あれは江戸の戯作者が描いた「色道」の成れの果て、いや、情緒を剥ぎ取られた骸(むくろ)に見えて仕方がないのです。
せめて、水仙の香りを嗅ぐ時に光琳の筆致を思い出すような、そんな心の余裕が、あの「アプリ」とやらの向こう側にもあれば良いのですが。

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