【明治文豪、令和を歩く】第64回:振り込め詐欺たれこめ
現代の東京、とある落ち着いた喫茶店のテラス席にて。路地裏の静けさを好む二人の文豪が、カップを前に向かい合っている。

荷風君、近頃の世の中には『振り込め詐欺』などという、人を欺いて財をかすめ取る不届きな輩が横行しているようですな。かつて『渋江抽斎』の息子が父の蔵書を持ち出して酒代にしたという話がありましたが、あれはまだ身内の不始末。今のそれは、顔も見えぬ相手に電話という文明の利器を使って、親子の情愛や老い先短い者の不安につけ込む。実に嘆かわしいことです

全うな御意見です、先生。私も『来訪者(※)』という小説で、人を見る眼力がないことを嘆いたことがありますが、今の詐欺師たちはその眼力を逆手に取り、善良な隠居人の心の隙間に土足で入り込んでくる。電話の向こうで『私だ、助けてくれ』と偽るその声は、かつて私が寄席の高座で身振声色を使い、夢之助と名乗っていた頃の芸事とは似て非なる、魂を売った偽計でございますな

左様。芸としての虚構なら風流もあるが、これはただの略奪だ。人間が対面して言葉を交わすことを忘れ、機械越しの声だけで繋がろうとするから、こうした隙が生じる。私がかつて三田の慶応義塾へ招かれた際、上田敏君を通じて森先生からもお言葉をいただいたような、あの重厚な信頼関係……ああいうものが、今の浅薄な通信手段の中では霧散してしまっているように思えてならんのです

先生、仰る通りです。今の世は、便利さを追求するあまり、人間同士の『間』というものが失われてしまった。私はかつて、誰にも知られぬ古墳を訪ね、死者と無言の対話を交わすことに至上の興を感じましたが、今の詐欺師たちは、生きた人間の孤独を金銭に変えることしか考えていない。彼らにとって、他人の人生はただの『番号』や『資源』に過ぎないのでしょう。これでは、江戸の戯作者たちが描いた悪党の方が、よほど人間味があったというものです

ははあ、確かに。今の犯罪はあまりに即物的で、情緒の欠片もない。親を思う子の心、子を案ずる親の慈しみ……そうした、人間として最も尊い部分を泥足で踏みにじる。私はかつて、個人の自由と独立を尊ぶ『自己本位』を説きましたが、それは他者を欺いて己を肥やすことではない。むしろ、他者への深い洞察があってこそ成り立つものです。今の連中は、自己の欲求だけが肥大し、他者の痛みを感じる力が欠落している

全くでございます。私はもう、見知らぬ誰かからの呼び出しに応じるのは御免です。書斎に閉じこもり、古い漢籍や、かつて唖々子と語り合ったような旧事の中にこそ、真実がある気がいたします。先生、もし私の元にそんな電話がかかってきたら、『私は今、隅田川の霧の中に消えるところだ』とでも言って、静かに受話器を置くことにいたしましょう

それは名案だ。我々のような古い人間は、この騒々しい現代の罠にかかる前に、自ら幻影の中に隠居してしまうのが一番かもしれん。荷風君、今日はもう、妙な呼び出し音に惑わされぬよう、この静かな部屋で、昔の文人たちが残した清らかな言葉の数々に耳を傾けることにしませんか
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