【明治文豪、令和を歩く】第65回:闇バイトやらないと
銀座のカフェの片隅。蓄音機から流れる古びた旋律が、現代の喧騒を僅かに遮っている。夏目漱石は琥珀色の紅茶を啜り、永井荷風は手帳を広げながら、窓の外を行き交う人々を眺めている

……荷風君、近頃の若い連中は、妙なことに手を染めるものだね。新聞の片隅に、例の『闇バイト』などという、およそ風情も何もない言葉が躍っている。金のために、顔も知らぬ誰かの指図を受け、見ず知らずの家に押し入るという。まるで魂をどこぞの質屋にでも預けてしまったかのようだ

(眼鏡を拭きながら)先生、あれはもはや市井の風俗というより、荒廃した路地裏の泥濘(ぬかるみ)そのものですな。江戸の昔にも悪党はおりましたが、あれほどまでに無機質で、情愛の欠片もない稼業は聞いたことがありません。カッフェーの給仕女が客を騙すのとは訳が違う。そこには物語も、身を滅ぼす覚悟すらも見当たりません

全くだ。私の知る人間というものは、もっと複雑な、割り切れぬ情を抱えて生きていたものだが……。今の世の中は、あまりに短絡的すぎる。スマートフォーンなどという薄っぺらな板切れ一つで、自らの人生を簡単に売り渡してしまう。彼らの内側には、一体どのような空虚が広がっているのだろうか。それを思うと、私の胸の中も何やらざわざわとして、落ち着かぬ心地がするよ

仰る通りです。私は常々、銀座の柳の下を歩く若者たちの、その断髪や洋装の裏側に潜むものを観察してまいりました。しかし、この『闇』と呼ばれる現象には、観察すべき『情』が欠けている。ただただ、乾いた風が吹き抜けるような、寂寥感ばかりを感じます。彼らは、自らが何者であるかも考えず、ただ『効率』という名の怪物に操られている。かつての戯作者たちが描いた、泥中の蓮のような美学すら、そこには存在しません

効率か。なるほど、それは文明が生んだ最悪の病の一つかもしれんね。手間を省き、苦労を避け、その果てに辿り着くのがあのような破滅だとは、皮肉なものだ。我々が筆を執り、一文字一文字に命を削っていた頃の苦心は、もはや過去の遺物なのだろう。彼らの行動には、自己という確固たる芯がない。ただ、浮草のように時代の悪臭に流されているだけだ

ええ。私は今日も手帳に、この移ろいゆく世相を書き留めておきましょう。後世の人がこれを見た時、昭和の浅草や銀座の灯火を懐かしむように、この現代の歪みをどう見るのか……。先生、私はやはり、今の時代の光があまりに強烈すぎて、人々の影が、かえって深く、黒くなりすぎているように思えてならないのです

影、か。その影に飲み込まれぬよう、我々はせめて、この一杯の茶の温もりの中に、人間としての手触りを探し続けるしかないのかもしれんな。荷風君、もう一杯、付き合ってくれるかね
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!