【明治文豪、令和を歩く】第66回:ものおもう大相撲
五月場所の熱気が伝わってくるような、初夏の午後。漱石は机の上の原稿を脇に寄せ、荷風は新調した日和下駄を傍らに置いて、共にラジオから流れる呼び出しの声に耳を傾けている

荷風君、聞こえるかね。あの独特の節回し。大相撲というものは、どうしてこうも我々の内側にある古い記憶を呼び覚ますのだろう。現代のスポーツはどれも時計の針に追われているようだが、土俵の上だけは、時間の流れが明治のあの頃から止まっているような錯覚を覚えるよ

左様でございますね、先生。私はかつて回向院の国技館を眺めては、江戸の遺蹟と工業的な近世の対比に、どうにも言いようのない寂寥を感じたものですが……。今の土俵を見れば、力士たちの肉体そのものが、一つの動く古典芸術のようにも見えます。あの砂を噛むような真剣勝負には、今の軽薄な世相が忘れてしまった『重み』が残っておりますな

重み、か。確かにそうだ。彼らがぶつかり合う音を聴いていると、理屈や言葉を超えた、もっと根源的な生命の響きを感じる。近頃の私は、どうも物事を考えすぎて、頭の中が書物の重みで軋むような心地がすることがあるが、相撲を観ている間だけは、そうした雑念から解放される。ただ、立ち合いの一瞬に全てを賭ける潔さに、一種の清涼剤のような快さを覚えるのだよ

(微笑を浮かべて)先生が相撲に清涼を求められるとは、少々意外な気もいたしますが、よく分かります。私は、力士が土俵に撒く塩の白さに、何とも言えぬ情緒を感じるのです。あれは単なる清めではなく、これから始まる短い夢のための幕開けのような儀式。私はかつて落語家の弟子となり、夢之助と名乗って寄席の楽屋を歩き回ったことがありますが、あの土俵の上の緊張感は、高座に上がる前のあの何とも言えぬ高揚感に通じるものがあります

ふむ、夢之助君か。君のその多才さにはいつも驚かされるよ。しかし、力士たちも大変だろう。勝てば官軍、負ければただの巨漢として冷遇される。あの土俵という狭い円の中に、人生の縮図が凝縮されている。私が小説の中で描こうとしてきた人間の執着や葛藤が、あの短い数秒の間に、汗と共に飛び散っている。それを眺めていると、私の胸の奥も、言葉にできぬ熱を帯びてくるようだ

ええ。今の世の中は、勝ち負けをすぐに数字や効率で測りたがりますが、相撲には数字では表せぬ『型』の美学があります。負けてなお気品を失わぬ力士の姿に、私は滅びゆく江戸の残り香を見出したいのです。先生、今度場所が終わりましたら、また銀座か浅草の路地裏で、相撲の余韻を肴に一杯やりましょう。新しい鉄の橋を渡りながら、昔の川の流れを思い出すように

それはいい。君と歩けば、この騒がしい現代も、少しは風情のある景色に見えるかもしれん。土俵の熱狂を背に、静かな夜を歩くのも、悪くない心地だろうな
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