【明治文豪、令和を歩く】第67回:節分気分
冬の午後の柔らかな日差しが、書斎の畳に長い影を落としている。漱石は火鉢の炭を丁寧に熾し、荷風は懐から出した煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせている

荷風君、表では子供たちが騒がしいね。『鬼は外、福は内』か……。豆を撒いて災厄を払うというのも、考えてみれば随分と無邪気な儀式だ。だが、今の世の中を見渡すと、追い払わねばならぬ『鬼』は、案外、豆をぶつけられる側ではなく、それを投げている我々の内側に潜んでいるのではないかという気がしてくるよ

(煙を吐き出しながら)先生、それはまた随分と深い洞察ですな。私は、この節分という行事の、どこか滑稽で、それでいてひっそりとした情緒を好みます。かつて江戸の町角で、追儺(ついな)の儀式がもっと生活に密着していた頃には、人々は自らの不運や業を、あの乾いた豆の音に託して、せめて一晩だけでも忘れようとしたのでしょう。しかし現代の節分はどうです。恵方巻などという、出所も知れぬ流行に踊らされ、無言で太い寿司を頬張る姿は、美学というよりは、何やら奇妙な強迫観念のようにも見えます

ははは、恵方巻か。あれも文明開化の成れの果て、商業主義という名の新しい鬼が仕掛けた罠かもしれんね。私がかつて『三四郎(※)』や『それから(※※)』で描こうとした、あの時代の行き止まりのような閉塞感……。今の若者たちも、豆を撒くことでその閉塞感から逃れようとしているのかもしれんが、彼らの表情はどこか虚ろだ。自らの内にある影を直視することを避け、ただ形式的に豆を放り投げている。それでは、本当の福など舞い込んではこないだろうに
(※※)初出1909[明治42年]東京朝日新聞

仰る通り。私は、あの落語家の弟子として『夢之助』を名乗り、寄席の楽屋に出入りしていた頃を思い出します。あそこの連中は、もっと泥臭く、もっと正直に自分の欲や弱さと向き合っていました。鬼を外へ追い出すのではなく、鬼と共に酒を飲み、笑い飛ばすような強かさがあった。現代の清潔すぎる都会では、鬼さえも居場所を失い、行き場をなくした悪意が、かえって地下深く、あるいはあの薄っぺらな電脳の世界へと潜り込んでいるように感じます

地下深く、か……。確かに、目に見える鬼は怖くない。本当に恐ろしいのは、自覚のないままに肥大していく、自己本位という名の怪物だ。私はこの頃、机に向かっていても、どうにも落ち着かぬ心地がすることがある。それは、世間が言うような外的な要因ではなく、私自身の内側にある未解決の何かが、節分の豆のようにバラバラと音を立てているからかもしれん。荷風君、君は自分の内なる鬼と、どう折り合いをつけているのかね?

(ふっと目を細めて)私はただ、その鬼を観察し、手帳に書き留めるだけです。私は生涯、孤独という名の路地裏を歩き続ける放蕩者ですから。鬼も福も、過ぎ去ればただの風景に過ぎません。先生、今夜は豆など撒かずに、あの隅田川のほとりで、寒空の下に消えていく人々の足音でも聴きに行きませんか。それが、我々のような古い人間にとっての、一番の厄払いになるかもしれません

隅田川か。それはいい。冷たい風に吹かれれば、この胸のざわつきも少しは鎮まるだろう。鬼を追い払うのではなく、ただ静かに見送る……。そんな節分も、悪くないな
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