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【明治文豪、令和を歩く】第68回:満員電車の傍観者

冬の夕暮れ、新橋停車場の待合室。大ぶりな皮張りの椅子に深く腰を下ろした荷風は、行き交う群衆を眺め、漱石は手にした切符を弄びながら、遠くから聞こえる蒸気機関の鋭い汽笛に耳を傾けている

夏目漱石                                                                                                                        

……荷風君、先ほどここへ来るまでに、例の満員電車というものに揉まれてきたよ。あれはもはや乗り物ではないな。人間を鮨詰めにするための巨大な木箱だ。爺さんが隣で『女を連れてくるのは罪だ、尻が大きくて乗り切れねえ』などと毒づいていたが、実際、あの混雑の中では、他人との距離というものが、物理的にも、そして心の余裕としても完全に失われてしまう。世界が一本の平面的な筋になって、寝返りも打てないほど窮屈だ

                                                                                                                      永井荷風

(苦笑しながら)先生、それは災難でしたな。私は今の時代、あの電車という空間が最も『美』から遠い場所だと感じております。かつて私が夢之助と名乗って寄席の引幕を背負って歩いた頃、東京にはまだ電車などなく、道行く人々の間には、互いの衣擦れの音を聞くほどの緩やかな間がありました。しかし今はどうです。停車場の待合室にこうして座っていても、外の雑踏からは、ただただ『早く行け、もっと詰めろ』という無言の鞭の音が聞こえてくるようです

全くだ。あの車内では、人間はもはや個としての存在を許されない。ただの肉の塊として、右へ左へと揺さぶられるだけだ。私は以前、漁師たちが嵐の中で、握り飯を食うことも忘れて沖の船を見つめていたという話を聞いたことがあるが、満員電車の乗客たちも、ある種、その極端な緊張状態にある。目の前の焦眉の急、つまり『いかにして次の駅で降りるか』『いかにして自分の足場を確保するか』。それ以外のことは一切、眼に入らなくなるのだよ。そこには、茶を品し花に灌ぐような『余裕』の欠片もありはしない

その『余裕』のなさが、今の東京の街を、ひどく無機質で、淋しい場所に変えてしまいました。私はこの待合室の椅子に座り、旅人のような心持ちで彷徨うことを好みますが、それは動いている生活の物音の中に、せめて自分だけの静寂を漂わせたいからなのです。満員電車の中で、鮨のように押し込められ、他人の吐息を間近に感じる……。そこには、私が愛する銀座のカフェエの喧騒にあるような、波瀾万丈な生涯の断片すら見当たりません。ただただ、不機嫌な沈黙が充満しているだけです

不機嫌な沈黙、か。言い得て妙だね。本来、人間がこれほどまでに密集すれば、そこには何らかの劇的な交流が生まれても良さそうなものだが、実際には互いを障害物としてしか見ていない。文明が発達し、移動が手軽になればなるほど、我々の心はかえって狭隘(きょうあい)になり、雍容(ようよう)とした味わいを解し得なくなっていく。あの仮橋を渡る軽便鉄道ののんびりとした横着さが、今となっては、どれほど贅沢なものだったかと思い知らされるよ

ええ。私はこれからも、なりたけ読みやすい本を片手に、この停車場の椅子で時間を潰すことにいたしますよ。あの殺伐とした車内の波に飲み込まれる前に、せめてこの広い一室で、誰にも気兼ねすることなく、自分自身の輪郭を取り戻しておきたいのです。先生、次の汽車が来るまで、もう少し、この自由で淋しい好い心持を味わっていきませんか

ああ、そうしよう。あの箱の中に再び身を投じる勇気が出るまで、もう少しだけ、ここで人間らしい呼吸をしていたいものだ

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