【英国文豪、令和を歩く】第17回:Paralympic spirit rises—epic, never tragic, always magic.
京都、寺町通の片隅にある、琥珀色のランプが灯る古風な喫茶店。使い込まれたビロードの椅子に、二人の人物が向かい合っている

(デミタスカップをソーサーに戻し、窓の外で車椅子を巧みに操りながら坂道を登っていく青年を、深い敬意の眼差しで見つめて)
……ウィル、あのアスリートを見てごらん。先ほどまで電子書籍で「パラリンピック」の記録を追っていたのだが、実に驚嘆すべきものだよ。私の友人ホームズは、かつて「無益な肉体的労働はしないが、いかなる場合にも処せるだけの力を養っている」と評したが、彼らの鍛錬は、その次元を遥かに超えている。

(扇子をゆっくりと動かしながら)
パラリンピック……。肉体の枷を脱ぎ捨て、魂の輝きだけで競い合う、現代のオリンポスね。私が描いたリチャード三世は、その不自由な身体ゆえに世界を呪い、王冠を求めたけれど……この競技場にいる彼らは、己の欠落を呪うどころか、それを新しい「力」に変えてしまっているわ。

まさにその通りだ。義足や車椅子という「道具」が、あたかも身体の一部、あるいはそれ以上の精密な機械(マシン)として機能している。あの「臨時急行列車」を走らせた強力な機関車のように、彼らの意志は一直線の線路を突き進むエネルギーに満ちている。かつて「不可能なことを除外していけば、残ったものが、いかに信じがたいことであっても真実だ」と説いたが、彼らは「不可能」という言葉そのものを除外してしまったようだ。

(目を細めて)
ええ。弓を引く姿、水面を切り裂く腕、あるいは視界を失いながらも風を感じて走る足。そこには、どんな詩人が紡ぐ言葉よりも雄弁な「生」のドラマがあるわ。ドイル、あなたが書いた『黄色な顔』の物語でも、隠された真実が明かされた時、そこには深い愛と受容があったでしょう? パラリンピックの舞台も同じよ。違いを認め、それを誇りとして掲げる姿は、観客の胸を激しく打ち鳴らす「独白(モノローグ)」そのものだわ。

論理的に分析すれば、技術の進歩が彼らを助けている面もあるだろう。だが、最後の一押しを決めるのは、いつだって人間の精神だ。ベーカー街の私の友人が、退屈を紛らわすためにコカインに手を出すような脆さを持っていた一方で、事件となれば精力絶倫に活動したように、人間には計り知れない「爆発力」が備わっている。彼らはそれを、最も気高い形で証明しているんだ。

ふふ、素敵ね。もし私が彼らの物語を書くなら、タイトルは『嵐(テンペスト)』にしましょうか。逆境という名の嵐を乗り越え、自らの島(可能性)を見つけ出した英雄たちの物語。……ねえ、ドイル。彼らのあの輝きは、金メダルという「物質」よりも、もっと永遠に近い場所にあると思わない?

ああ。数字や記録で割り切れるものではない、人間の尊厳の極致だよ。……おっと、また珈琲が冷めてしまった。だが、彼らの熱い戦いの記録を読んだ後では、この冷めた珈琲さえも、心地よい静寂のように感じられるな。

ええ。さあ、ドイル。私たちも負けていられないわ。彼らが限界を塗り替えるように、私たちも「言葉」という杖を振って、新しい物語の地平を切り拓いていきましょう。……もちろん、次の一杯を飲み干してから、ね?
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