夜と枯れる華 1話
村で共同生活を送る少女シクンは、夜に森の奥から消えてくる歌声を聞いて、掟を破り村を抜け出す。そこにいたのは、人を残忍に殺すと言われている「ヤライ」と呼ばれる怪物であった。
月はなんと危ない存在なのだろうか。太陽よりも遥かにはっきりとした姿で空に浮かんでいるのにも関わらず、その光はとてもささやかで、輪郭まで見ようとじっくり観察しようとすると、人の手からつるんと抜け出す魚のように、逃げていってしまう。やはりあの空に浮かぶ月は夜が見せた幻なのだろうか。
15年の人生で初めて夜の森を歩く私にとって、夜の世界は恐怖と蠱惑的な空気に満ちていた。
王都の西側、小さな山2つと大きな山を1つ超えたところにあるその村には1つの破ってはならない掟があった。
『日が落ちた後、建物の外に出ては行けない。夜の空気は人間にとって害があり、夜の空気を吸いすぎると人ではない「ヤライ」へと姿を変えてしまう。「ヤライ」は陽の光を浴びることができず、人間を残忍に殺す化け物で、夜で歩くと「ヤライ」にならずとも、化け物に残忍に殺されてしまう。』
王都へ時々村の野菜や布を売りに行く行商の仕事をする者が代々村にいて、村には数十年前から科学と呼べるような知識が入って来てはいるが、それでもこの非科学的な掟は村のほとんどの人間が信じるところである。
私にとってもそれは同じことだ。村では時折行方不明になるものや、村の外れの森で凄惨な姿の死体が見つかるからだ。それに私の母も私が12の時に夜突然外に出て姿を消してしまった。
「シクン、そろそろ日が落ちるから夜戸を閉めてきてくれるかい」
少し前から腰を悪くしている祖父が水差しを寝所に準備しながら声をかけてくる。夜井戸の方まで水を汲みに行くわけには行かないので、寝所にはできる限り家から出なくて良い準備をしておくのだ。
真っ黒に塗られた木の夜戸を3つ、東側の窓から順番に締めていく。
夜でも灯りが煌々としている王都では夜戸のある家はほとんどないと母が昔言っていた気がする。
「そういえば、今日ノゲシさんのところに行ってきたよ。こっちの準備が良ければ明日にでもシクンをよこしてくれって言ってたわ」
洗い場から戻ってきた祖母がやけに上機嫌で話しかけてくる。
「そんなに急がなくても、16になるときには必ず行くから。もう少し待ってもらっといてよ」
「私たちのことは気にしなくていいのよ。できるだけ早めにお世話になりなさいな。あちらさんの気が変わってしまっては困ってしまうじゃない」
「わかったてるよ。気が向いたらね。それじゃあおやすみ」
私は今の居心地が悪くなって屋根裏の自分の寝所に引っ込んだ。
こういった話をしていると、祖父母は私を早く家から追い出してしまいたいのではないかと錯覚してしまうそうになる。行商をしていた父が事故で死んで、母が出て行ってから、祖父母は本当の親のように私を大事に育ててくれた。
だから、本当に私のことを思って、ノゲシの家との縁談を取り付けてきてくれたのだろう。両親のない私が婚約できること自体が相当幸運であることは分かっている。それにノゲシの家は南側の家では一番裕福な家であるので本来であれば断る理由など何一つない。ノゲシのところの息子と小さな頃よく遊んでいたことが理由になったのだろうか。小さいころといっても、記憶もおぼろげなくらいで、今では村で出くわしてもぎこちない挨拶程度しか出来ない。
あっちも私との結婚に賛成しているのかはわからない。身長は私より頭3つ分くらい大きくなって、肌も焼けて黒くなってすっかり昔の面影はない。それでも人一倍気が弱くて、頼まれたら何一つ断れないところだけは今も変わっていない。親に結婚しろと言われたらきっと断れないのだろう。あっちが乗り気なのかは知らないけれど。
あれこれと考えていたらどうにも寝付けなくなってしまった。最近こんな夜が多い。結婚とか祖父母のこととか、将来のこととか、そして時々両親のこととか。
昼間は村の仕事のこととかいろいろ考えているとあっという間に夕方になってしまうのだけれど、夜は時間が無限に続くような感じがして、体の疲れとは裏腹に頭だけが力一杯動いてしまう。
そして、そんな夜は無性に外が気になって仕方が無い。夜戸を音が鳴らないように少しだけずらして外を覗き見る。
見る日によって暗闇の濃さが違う。日が沈む前しか見たことはないけれど、夜は月が昼間よりも明るくて、見る日によって形が変わるのだという。今日の夜は一段と明るい。家の裏にある井戸やその先にある木々まではっきりと見える。それぞれが紺に染まって一色を水に溶かして濃淡だけつけたような素朴な絵にも見える。
あまり夜の空気を吸いすぎてはいけないのでそろそろ夜戸を閉めようと思った時、静かな夜の奥から微かに小鳥のように高く通る女性の声が聞こえてきた。
こんな時間に誰かが歌っているのだろうか。確かに夜が早い時期などはしばらく話をしたりする家もありはするが、今の時期は昼の方が時間が長く、ほとんどの人間は夜になるとすぐに眠ってしまう。
それにこの声は明らかに室内からではなくどこか遠くの外で聞こえるのだ。
あまりにも綺麗な声だった。言葉一つ一つは遠くからでは聞き取ることは出来ないけれど悲しい歌だというのはわかる。まるで誰かを待っているような儚げで、それでいてよく通る歌声。
しばらく夜戸に耳を近づけて歌声を聞いていた。
しかし、5分も経たないうちに歌が聞こえなくなった。
もっと聴いていたかったのに。もしかしたら、今日誰かがたまたま歌っていたのかもしれないし、実は毎晩のように歌っていたのに私が気づかなかっただけかもしれない。また明日歌ってくれるだろうか。
そんなことを考えながら布団に戻っていたつもりだったが、気づけば夜戸を音の鳴らないように大きく開いて、窓枠の縁に手をかけていた。屋根裏部屋といえど地面までの高さはそれほどない。窓枠に手をかけながら足を下ろせば怪我をすることなく外には下りられる。縁に足を乗せる。
本当に?今までだって、ほんの少ししか夜戸を開けたことはなかった。だから私はヤライになることはなかったし、危ない目にも遭わなかった。ただ歌声の主が気になるというそれだけで外に出てしまっても良いのだろうか。 もし将来家が火事になったりでもしたときには、夜の外に出なくてはいけないかもしれない。そのときになって、今日夜外の空気を吸いすぎたことが原因でヤライにでもなってしまったら・・・
だけど、これが必要の無い考えであったことはすぐにわかった。私はただ言い訳を探していたのだ。あの歌声に近づくために自分が勇気を振り絞らなくても良い言い訳を。
両足を窓枠に乗せる。木枠は高い音を立てて弛む。頼りない感触に怖じ気づきそうになるが、物音を立てぬように素早く足を外側の壁に当てて体を反転させる。飛び降りると足の裏に鈍く刺さるような痛みがあったが、それでも堪えられないほどではない。
あれほど体に良くないと言われ続けていた夜の空気は、不思議なくらいに体に馴染んでいて、もう自分はヤライになってしまったのではないかと思うほど、一呼吸する度にスッと爽やかなものが体中をみたしていくような感じがした。
歌声は私の家のさらに南の方から聞こえてきた。2つの家の横を通り抜けなければならないが、多少の足音は野良猫や小屋に繋がれた馬のものと勘違いされるだろうと思い、できるだけ足早に建物の横を抜ける。
その先にはだんだんと深くなっていく森があり、数百歩歩いた先には小川が流れている。声の主はそこにいるはずだ。
森の木が増えてくる前にふと、空を見上げる。丸い形をした月が空に浮かんでいた。丸いのは見て分かるが、輪郭がぼやけていて、まるで水面を揺蕩う葉のようにゆらゆらとしている。どうして、太陽は昇るのに月は浮かんでいると村の人間が言っていたのかよくわかった。誰かが、恐れ知らずにも外の世界で見てしまったのだろう。
不思議と初めての夜の世界に怖いと思うことはなかった。ただ見慣れたはずの景色が普段と違う色になっていることに対する興奮と、着実に声の主に近づいているのだという根拠のない期待に、胸が高鳴っていた。
夜の森ではあちらこちらから低く唸るような鳥の声が聞こえてくる。部屋の中から聞こえていた蛙の声もはっきりとうるさいくらいに響き渡っている。
進んでいくとだんだんと森は濃くなっていき、とうとう空を見上げても月が浮かんでいるところが見えなくなってしまった。狭くなっていく木の幹の間をただ、声のした方へとまっすぐ進んでいく。
途中の小川にさしかかったところで足を止める。村の東側にもう少し大きな川が流れていて、仕事で使うときなどはその川を使うので、森の川は子どもの頃に遊びに来た以外は、日常でほとんど見なくなっていた。思ったよりも遠くに歩いてきた気がしてきた。
引き返すのなら今なのかもしれない。もうすでに遅いのかもしれないけれど、もし祖母が夜中に私の部屋に来てしまったら、空になってしまった部屋をみて大騒ぎするかもしれない。昔、母はそうやって夜の間に消えてしまったのだから。小川の流れを見ながら、祖母の慌てる姿を想像して後ろめたくなってきた。今から帰れば誰にも気づかれずに部屋に戻ることが出来る。足は土で汚れてしまっているけれど、裏の井戸からこっそり水を汲めば何とでもなる気がする。祖父母を心配させるくらいなら今から帰るべきだ。
そう決心が固まってきたとき、森の奥、小川の反対側からまたしても、先ほどよりも鮮明に歌声が聞こえてきた。綺麗に透き通っていて、今にも壊れてしまえそうな声だ。私はもうあれこれと考えずとも森の奥へと足を進めていた。一歩一歩前に進む度に声が近くなる。唸るような鳥の鳴き声も蛙の喧噪も、踏んだ草木の音でさえも、その歌声以外は耳に入ってこない。
ただただ声のする方へと一心に向かっていく。辺りの木の数が減ってきてだんだんと明るくなってきた。
いつの間に移動してきたのだろうか、月は先ほど見上げたところよりも低いところを漂っていた。まっすぐ前を見つめて歩いていても視界の端に映り込んでくる。
歌声は更にはっきりとしてくる。言葉はやはりうまく聞き取れない。もしかして異国の言語で歌われているのかもしれない。視界の奥に背の低い草が生い茂った草原が見える。
森の終わりが近づいてきた。視界の右、草原に生えた一本の木の裏から確かに声がする。聴いたことなの無い言葉、それでも何かを訴えるような悲痛で、それでも優しい声の歌。私は足音を立てて歌の邪魔をしないように、森の終わりにあった声の主に最も近い木に近づいた。木を背にして隠れるようにその声を聴いた。声はどんどんと柔らかくなり、夜の空気に浸透して私の体を包む。ただ目を閉じて、いつまでもこの夜が終わらないでくれと思いながら聴き入った。
私の思いと裏腹に歌は長くまっすぐと震えるような響きを最後に終わってしまった。近くで聴けたのは少しの時間だったけれど、満足だった。初めての夜の冒険は本当に美しい宝物のような歌声をみつけることで終えることが出来た。
しばらくして、私は冷静になる。こんな夜に深い森の先で歌を歌っている人は何者なのだろうか。私たちの村の人々は普通こんな夜に出歩いたりしない。私と同じように家を抜け出して夜にここまで来て歌う人間がいるのだろうか。
いや、そうではない。きっとあれがヤライだ。もしかしたらあの歌は私のような人間をおびき出すための罠だったのかもしれない。だとするならば、いまここであのヤライに見つかってしまった場合、私はきっと村の言い伝え通り、想像も出来ないようなひどい方法で殺されてしまうだろう。こんな森の奥で叫んで逃げたところで誰も助けてはくれない。
ともかく、今となってはあのヤライかもしれない何かがこちらに気づかずにここを立ち去るまで、この木の裏でじっとしているしかない。そう考えた途端、体の震えが止まらなくなる。音を鳴らさぬように自分の体をきつく抱きしめながら、息を潜めて安全になるのを待つ。じっと耳を澄ませてヤライが去るのを待つ。
どれくらいの時間が経っただろうか。なおもヤライの動いた様子はなく、私は木陰でじっとしているしかなかった。長い長い時間が経ったような気がする。
「ねえ。君、出てこないの?」
優しくて綺麗な声でヤライが言った。というよりも話しかけてきた。
すでに私の存在に気づいていたのかと思うと動悸が激しくなって、一層震えが止まらなくなるが、それとは裏腹にあの声で話しかけられてことに私の耳は熱くなる。
本当はまだ気づいておらず、ただ鎌をかけただけかもしれない。ここで返事をしてしまえば、ヤライの思惑通りになってしまうのではないか。
「恥ずかしがることなんてないのに。ただどんな人なのか気になっただけよ」
ヤライの声は甘く頭を揺らす。
「私の歌を聴きに来てくれたんだよね。邪魔しないように音を立てずにきてくれたんでしょ。君は優しい人なんだね」
声の主は明らかに私に気づいている。どうにかしてここから逃げ延びなければ。しかし、考えが頭でまとまらない。”優しい人”とあの声で言われたことに顔が熱くなって、もっと彼女の声が聴きたいと邪な考えだけが頭を占拠していく。
「ちょっとだけお話ししよう。ううん。話さなくても、私の前で歌を聴いてくれるだけでもいいよ。一人で歌うのは退屈なの。あれこれ聞いたりしないから。ほんのちょっとだけ聞いてしまうかもしれないけれど。できる限り我慢するから。ね?そんなところで隠れてないで出ておいでよ」
ああ、このままここで隠れていたら、彼女はその声で私にずっと話しかけてくれるのかもしれない。それともいよいよ問答にも飽きて、その足でにじり寄ってきて私の体を残酷にも引き裂いてしまうのかもしれない。もうあと一歩のところで死んでしまうかもしれないというところで、私の心は正常な判断を下す力を失っていた。
蛙の鳴き声が五月蠅いのに夜は静かで、木々の匂いが立ちこめてクラクラするのに、空気は透明だった。ずっと屈んでいたせいで足が痺れているが、体に力を入れて私は立ち上がった。草むらの方へと体を向けると一歩の木の後ろから、不気味なほど白い脚がすらっと伸びて、地面に横たえてある。
「やっと出てきてくれた。こっちへ来て、月がよく見える」
ヤライはほんの少しだけ体を揺らして私を誘う。
私は意を決して、緊張でカラカラになった喉の奥から上擦った声を出す。
「あなたはヤライでしょうから、そっちへ行ったら私を殺してしまうのでしょうか。きっとそうなんでしょう。だったら1つお願いがあります。私を殺してしまう前に、もう一度だけあなたの歌を聴かせてもらえないでしょうか。死にゆく人間の最後の頼みと思ってどうか、もう一度だけ歌って欲しいのです」
私は足の震えをなんとか抑えながら、ヤライの元へと歩いて行く。前へと進みながら、祖父母に対してなんの不孝な人間であっただろうかと後悔した。掟を破り夜に何も言わずに家を抜け出して、ヤライに殺される。剰え命乞いの1つもせずに、ただ己が欲に負けてその身を差し出そうとしている。救いとも言えるべきは、誰もがこんな森の奥まで私の死体を探しに来る者はいないだろうと言うことだ。祖父母に私の最後の姿を見られずに済むのはありがたかった。
それに私を悩ませる将来のことや家のことをこれ以上考えなくて良くなるのかと思うと、このヤライに殺されるのならば死んでしまっても良いのではないかとも思う。
覚悟を決めながらゆっくりとヤライの元へと向かうと、残り2,3歩のところで突然ヤライは朝に鳴く鳥のようにコロコロと笑い出した。突然のことに私は足を止めてしまう。ヤライはスッと立ち上がって、体を一回転させながら木の後ろから姿を現した。
少しだけ見えていたように四肢はまるで月の光を反射したように白い。白いのは身体だけでなくて、彼女の身体に合わせて穏やかに揺らめく髪の毛もであった。綺麗な白髪は濃紺の世界ではまるでそれ自体が光っているのでは無いかと思うほどに眩しく見えた。物語で見たお姫様みたいに本当に綺麗だった。
思わず見惚れているとヤライは私の元へと歩み寄る。急に恐怖心が戻ってきて身構える。
「ごめんね。笑ったりして。まるで死ぬことよりも歌を聴くことの方が大事みたいなのに、声はやっぱり震えていて可愛いなって思っちゃっただけ。気を悪くしないでね」
ヤライは微笑みながら私に話しかける。私よりも背が高く、年もいくつか上に見えるが、口許のえくぼはまるでうら若き少女のように幼く見えて、私を安心させる。
「誰だって死ぬのは怖いです。ただ、どうせ殺されるなら、その前にちょっといい思いをしようと思ったんです」
不思議にも私は落ち着いて答えることが出来た。ヤライは化け物だというからどんなに悍ましい見た目をしているものなのかと思っていたので、美しい女性を見て、恐れる心も削げてしまったのかもしれない。
ヤライは少し困ったように眉をひそめて、なにやら考えたような仕草をしてから、草むらにもう一度座り直して、夜よりも深い漆黒の目で私の心の内まで見るようなまっすぐに見つめてきた。
「君、いくつか質問していいかな」
私は無言で頷く。
「君は今日私の歌を聴くためにここに来たの?」
「この森の方から歌声が聞こえてきたので、気になって出てきました。誰がいるかは知りませんでした」
ヤライは続けて質問する。
「私はあなたの知っている人だった?」
質問の意図がよく分からなかった。私にヤライの知り合いはいないし、多分の村の人間は誰もヤライの友達などいないだろう。
私は無言で首を振る。
「私の歌を聴いて、その・・・どうだったかしら?」
ヤライは目を私から目をそらして上目遣いで恐る恐るといった様子で問いかける。その仕草が、まるで親に怒られている子どものように、いじらしくて、スラスラと言葉が出てきた。
「誰かを呼んでいるみたいに悲しい歌だったけど、素敵でした。死ぬ前にもう一度聞きたいくらいに」
ヤライの顔が緩んで私は優しい瞳に見つめられる。
ヤライは立ち上がると、
「1つ君は勘違いをしているね。君は村の人にヤライは人を殺す化け物だって習ったのかもしれないけれど、ヤライは別に人を殺したりしないわよ。そんなことをしたってちっとも楽しくないし、何も生み出さないもの。だから怯えなくてもいいわよ。」
とても穏やかな顔でヤライはそう告げた。だけど、私はまだ疑っていた。 今まで村の人間で凄惨な殺され方をした人間の話は何度も聞いたことがあるし、一度だけ実際に見たことがある。
その人は歯は全て抜かれていて、耳がズタズタになっていた。彼女は村で一番笛が上手な人だった。ある日突然姿を消し3ヶ月後に村の北にある川で死体として見つかった。あれがヤライとかいう化け物の仕業で無ければ一体何だというのだろう・・・
「私たちは人間に危害を加える気はないの」
念を押すようにヤライが言う。少し首を傾げて寂しげにこちらを見ている。彼女の青みがかった綺麗な瞳が私を見つめたからだろうか、それともしばらく経っても襲ってくる気配のない彼女の姿を見て安心したからなのだろうか、彼女の言葉を信じないにせよ1度彼女の言うように振舞ってみるのが良いように思えてきた。
「それなら私は殺されないし、このまままっすぐ帰ってもいいってこと?」
ちょっとだけ強気に振舞ってみる。
「もちろん。それに君もう一度私の歌を聞きたかったんでしょ。1曲聞いて帰るのでもいいわ。それに—―」
ヤライは不自然に言葉を切って私に背を向ける。月はいつの間にか空の端まで降りてきていた。月光に照らされた彼女の体はやっぱり透き通るような白色で、まるでこのまま月に吸い込まれてゆくように、境界があやふやになっていく。
「私たちのこと君に知って欲しくなってきたの。また次も満月の時に村を抜け出して、ここに来て? あなたの目で、耳で、ううん、五感全部で私たちのことを理解ってほしい」
もう一度こちらを向いてヤライは手を伸ばす。
ヤライのことを理解しろと言われても、やはり私から潜在的に彼女を恐れる気持ちが消えることはない。村で15年生き続けた私にとってヤライは夜の空気を吸いすぎた人のなれの果てで、残虐な方法で人を殺す化け物だ。彼女がいくら私を襲う気がないと言ったって、この場でそんな様子を見せないからと言って簡単に信じることは出来ない。
今はその気が無くたって、次遭う時には気が変わって私をいとも簡単に殺してしまうかもしれない。次の満月の夜には私を凄惨に屠る準備をして待ち構えているのかもしれない。一度は死ぬ覚悟をしたからといって、やはり殺されてしまうと思うと怖くてたまらない。
だけど、彼女の声が、瞳が私を惹きつけて離してくれない。もっと彼女の歌を、声を聴いていたい。彼女のことを知りたい。不安と期待が境界を持たずに漂っている。輪郭を持たないなら、きっとそれは夜に浮かぶのがふさわしい。
私はヤライの手を取る。
「これから理解していくなら名前くらいは教えてもらわないとね」
ヤライは私の手を固く握る。
「マツリよ。あなたの名前は―――」
とりあえず、今夜は1つだけ。ヤライの手を握るとひんやりと冷たくて気持ちがいいということがわかった。
