「ダブル・バインド」仮説の復権:統合失調症者にしばしばみられる「多重人格」的な近親者からの「虐待」経験の後遺症が、遺伝的「内因」と輻輳している可能性(完結)
ほんとうは学会発表まで伏せておこうと思っていたのですが、私が構想している、統合失調症についての、かなり野心的なはずのグランド・セオリーの新たなる提案について、やはりその概要を公開して、専門家の皆様や、障害当事者の皆様の意見を募りたくなりました。
「迷宮のしおり」関連はこのことを書いた後にしますね。
*****
振り返ってみてきて、私の記憶に残る、カウンセラーとしての成功例というのは、どういうわけか統合失調症と診断された(あるいは、されることになる)クライエントさんに、異様に偏っています。
もちろん、統合失調症が、心理療法なんぞで「全快」するなどということは、向精神薬がない時代のサリヴァンとかはそうだったかもしれませんが、彼は超ド級の天才統合失調症治療者でしたから、より平凡な私などにはとても手が届かない世界です。
統合失調症者に、遺伝的・先天的な脳神経系の認知統合機能脆弱性という障害のトリガーが備わっていて、それが神経症水準の場合のように、いわゆる「了解可能」な因果関係ではとらえきれない、実に些細な引き金によって急性発症、閉鎖病棟でのかなり長期間の入院と向精神薬投薬治療と「休息」でやっと「寛解」、というのがほとんどのケースの展開であるとは心得ています。
閉鎖病棟完備の単科精神病院の多くでも、臨床心理士や公認心理師を雇用する必要性を感じておらず、せいぜい精神保健福祉士(PSW)を置くことで済ませていることが多いのが日本の現実です。
つまり、臨床心理士や公認心理師による心理療法的アプローチの効果なんて、まるであてにされてないのが、日本の精神医療業界の本音ですね。
統合失調症の治療においては、何より急性期の入り口での早期発見と病院への収容と投薬治療開始が重要であるという認識を持っていることには、私も変わりありません。
妄想型統合失調症の発病の場合には、解体型(破瓜型)とは異なり、幸い激越な急性期ではなくて、静かに進行していた妄想形成がかすかに顕在化したタイミングでそれに治療者である私も気づき、本人のその苦しみをうまく受け止めた上で通院クリニックに向かうように求めるだけで、服薬治療と生活指導(ここで私はケースワーカー的な動きを、ご家族や会社上司や、必要あれば作業所やグループホームの社会福祉士相手に並行してかなりしますが)だけで、修学や勤務継続しての治療すら軌道に乗ることもあるというのが私の経験です。
(ロールシャハテストの使い手の心理士なら、同じ統合失調症でも、解体型と妄想型で、実は全然クライエントさんの反応が異なること、熟知してますよね。妄想型って、意外と健常者と似た反応をします。これ以上は一般の人にはバラせませんが)
ある意味では、妄想形成という経過で陽性症状が出ることは、クライエントさんの自我に健康な部分自我を温存し、そこからスプリット(split)させたところに病的自我(いわば、「狂気の自我」)を、普段は地味にテキトーに無害に発動させとく、みたいな自我防衛システムなのだと思っています。
妄想という、全体としては「非合理的な」内容になるのに、クライエントさん自身にとっては、むしろひたすら「合理的な」説明や自分の外的・内的状況理解を探し求めたがゆえの産物は、実はまさに、クライエントさんの「健康な」部分自我と、「狂気の」部分自我の「界面」で生じる妥協形成のようなもののように私には思われます。
つまり、適切な「アフォーダンス(敢えてこのギブソンの概念を使います)」による「立体視」の角度が見つかれば、一見奇妙な模様に見えていた「平面図」が、突如「立体視」上では鮮やかに像を結び、「了解可能」になる、みたいな仮説を私は持っています。

実は私はまだ一冊も解説書すら読んでいないのだが、「オープン・ダイアローグ」という手法も、最終的には統合失調症者とのやりとりを「了解可能」なものであるとみなせるように持っていく(?)技法だというのが、私のかろうじての認識水準である。
(おーい、ここまで読んできて、日本初のオープンダイアローグ国際資格者である、浅井伸彦さん、どう思う?どこか接点ある?)
*******
さて、今、私は、少なくとも寛解期になれば、統合失調症者の中に「健康な部分自我」と「狂気の部分自我」が共存して機能している可能性を示唆した。
この2つの部分自我の関係は、マスターソンの境界例についての図式と類似した形で"split"の心理機制の下にある、とは一応仮定できる。
しかし、私は更に一歩進めて「解離(dissociate)」の状態にある(場合もある)可能性を考えている。
つまり、「正気」と「狂気」の二重人格者というモデルである。
当然、交代人格という側面も持つことになる。
実はこのようにとらえると、寛解期の統合失調症者に継続的に接している専門家にとっては、どこか経験値的に「ピンとくる」ところはないであろうか?
一見安定していたかに見えたクライエントが、突如些細なトリガーで、かなり深刻な混乱状態になり、いかにも統合失調症らしい陽性症状を示す混乱と不安の渦中にあるフェイズ(phase)に「ガチャンと」切り替わる。
ところがそこから休息等を経てどうやら回復して平常心になると、今度はその混乱フェイズの時の記憶が、どうももう抜けているらしいのである。
*******
【事例】:
A子さん 申込時24歳 女性 独身 一人暮らし 人口数万の丘の多い地方都市B市近郊部に在住。
精神障害者2級手帳保持。
精神科病院より統合失調症の診断を13歳(急性発症)の時に受ける。
即入院して閉鎖病棟で2年。
その後の学歴はない。短期間バイトしたことはあるが、A型およびB型作業所の就労、あるいは自宅静養、短い入院を繰り返す。
母親は看護師の経験があるが、A子を産んだ後統合失調症を発症、入退院を繰り返す。母親は実家であるC市の母(A子からみて母方の祖母)のもとで同居、A子は離婚した父のもとで育つ。A子は21歳の時から一人暮らし。
父親は大企業(工業系)の部長まで務めるが数千万円の横領で現在は左遷されて、来談時にA子が独居していた町から山奥50キロのD町に住み、末端の支店に勤務している。A子からすれば、「信じられないようなひどいことを平気で言ってくる」時がある。それでも頼る時は頼るしかないと。
彼女の主訴のひとつは、
20歳頃に、ショートの髪のかわいい友人のまねをして美容室でショートにして、帰宅してふと家で鏡で見たら、男のような顔に見えた。
それ以来、「自分は男になるのではないか?」という妄想が頭から離れない。
それを何とかしてほしい。
そういう妄想が「生じてこない」ようにはできないか?
上記の記事では記載しなかった、その後の電話面接の経過がある。
紆余曲折を経て、私が最終的にたどり着いた、「鏡の中の男のように見えた顔」の正体の解釈は次の通りである。
その一回限りの体験が、なぜ、そこまで彼女に、その後も続く、「男性化恐怖」という「妄想」のトリガーになったのか?
その鏡を見た瞬間に感じた彼女の体験は、よほど戦慄すべき、忘れ難い水準のものであった、と想定すべきではないか?
恐らく、「急性発症期」精神病水準の時の「恐慌体験」の再来?
「男のように見えた」恐怖ではないのだ!!
西洋中世的に言えば、鏡の中に観たのは、「悪魔」としての自分の分身の凄まじい形相ではなかったか?
つまり、彼女は、急性発症期終了以降、「健康な自分」という「部分自我」の再建と引き換えに、自分から「解離」させ、「別人格」として延々潜伏させてきた、
戦慄すべき「狂人」としての「部分自我」
を、鏡の中に、久々に直視してしまったのではないか?
私は、この「解釈」を、彼女に率直に提案した。
彼女は、少し考えた後、
「まさにその通りかもしれません」
と受け止めた。
そして、その後の電話面接過程の中で、自然と父親との関係について、詳しく語るようになった。
「言葉で怒鳴りつけてくる時の父の言い方は、もう本当に怖くて、どうしてそこまでひどいことが言えるのか、信じられないくらいでした。
(「身体的暴力はなかったんだね?」という、カウンセラーである私からの問いかけに:)
ええ、私には。
でも(統合失調症だった)母への(身体的)暴力はかなりありましたよ。
母親はたまりかねて、一度父親に、台所の出刃包丁を向けて立ったことがあるんです。
その時、私は、
「この家庭、普通じゃない!」
と、心底思いました。
(私:ほんとうに、安心してくつろげる家庭の雰囲気ではなかったんだろうね。一見平穏に見えている中、いつ、突然、父親の怒号と、母親との言い争いが始まるか予測不能の、張り詰めた空間だったんだろうと想像するよ)
その通りです。
(私:あなたの統合失調症発症の背景には、いつも繰り返し言うように、生まれついての脳神経系の認知統合機能に関わる脆弱性のDNAがあったことは確かとは思う。でも、そういう「基本的安全感」のない子供時代からの家庭の空気が、あなたに絶えずストレスをかけていたことも、後天的な影響として否定できないと思う)
私のいとこと、いとこのお父さんは、心配して、時々仲裁に来てくれたんですが、焼け石に水でした。
(私:そういう、正常な家庭の重要人物にも見守られていたからこそ、君の健全さはあったのだと思う。・・・そういえば、あなたの母方のおばあさんは、すごく面倒見がよくて、愛情深かったって言ってたし、あなたの兄さんは、県庁主席合格の優秀な公務員で妻子持ちで幸せに暮らしていて、あなたとも仲良しと言っていたよね?)
ええ。
(私:そういう周囲の精神的健康度が高い人たちにも包まれていたからこそ、あなたの今の健やかな側面は育まれ、それこそ"Survivor"(モラハラからの「生き残り」)になれたんだと思う。)
・・・でも、父のことは、愛しているんですよ。
(私:・・・・・え???)
言葉で怒鳴りつけてくる時の彼は本当に憎くて殺してやりたかったくらいです。
でも、クリスマスのプレゼントとか、行動面ではホント優しくて。
その優しさは信じられました。
(私:そういえば、あなたがワンルームに引っ越す時も、バンを運転して荷物運んでくれて、快く手伝ってくれたって、言ってたよね?)
プレゼントをくれるのは、決して私を「懐柔」とか「洗脳」しようとか、世間体を気にして、自分は私に善人である、という「演技」をして「周囲を騙そう」とかしているのではないのはわかるんですよ。
父の「人格」の「善人」の時と「悪人」の時が「別人格」で、もう一方の人格でいる時のことを本人もまるで覚えていないらしい、ということはわかるんです。
ですから、行動面ではやさしい父のことは、ほんとうに愛していますし、これから時間をかけてでも、父の恩にはいつか報いたいとすら思っています。
私が残念なのは、言葉の上でのひどい暴力がない状態で、父と関わりたいという夢が、どうしてもかなえられないことでした」
クライエントは、父の、本格的な「解離」をした、行動面と言語面での「二重人格」ぶりには翻弄されていたわけです。
******
ここから先は、この直後に、彼女にも解説しながら話したことなんですが。
「ダブル・バインド」(二重拘束)理論という、哲学者、ベイトソンが提唱した、一世を風靡した理論があります。
ダブルバインドは、「メッセージ」と「メタメッセージ」が正反対な状況です。
わかりやすく言えば、例えば、親が、言葉の上では、
「あなたのことをほんとうに愛していますよ」
と言っているのに、態度や表情やたたずまいや声の調子やボディ・ランゲージの次元では、冷たく、拒否的である、
というような場合です。
当然、言われた子供の側は、大混乱します。
どっちが本音だ?
どっちに従えばいい?
こうした「矛盾した」メッセージにさらされて育つと、統合失調症になる可能性がある
というのが、ベイトソンの見解でした。
これは「分裂病の家族病因説」という形に単純化されて広まったのですが、その後、統合失調症の原因因子は、脳神経生理学に基礎を置く、認知統合機能の遺伝する脆弱性をトリガーとする(つまり、生後の養育環境を問題視することは避けた方がいい)という見解が優勢となり、過去の遺物として忘れ去られかかった時代もありました。
しかし、ベイトソンの哲学は、単に「ダブル・バインド」理論の提唱者というだけにはとどまらない、遥かに広汎で深淵なものであるという認識はむしろ時代と共に広がり、岩波文庫で訳されたのも、ほんの数年前のことです。
私は、そのベイトソン哲学の深淵さ全般について、皆様に紹介できる立場には、とてもございません(本を持ってはいて、適当にめくりはした・・・程度です)。
*****
しかし、では、
クライエントの生後の成育歴、経験という因子を、統合失調症者の場合に、全く考えなくていいのか?
この巨大な疑問符は残されていることになります。
単純に考えてみてもわかります。
クライエントのお母様も統合失調症だったように、統合失調症に遺伝的・血縁的な、恐らくDNAレヴェルでの連関があることを今日否定する専門家はまずいませんが、そういう近親者から「DNAレヴェルで」受け継いだのか、それとも、そういう、確かにどこかでアブノーマルな側面をかかえた近親者が「身近にいて」、「実際の」対人的相互作用として影響を受けて来たのかを厳密に識別することは不可能ということになりますよね?
控えめに言って、生得的要因と、実際の対人相互作用の影響の「二重写し」状態にある、と見なしておく方が賢明、ということになるかと思います。
実際、統合失調症の患者(クライエント、利用者)と関わられて、ご家族やご親族、配偶者や恋人・・・あるいは血はつながらなくても、同居人とか、場合によっては、非常に密接な関係にあった友人とか知り合い、それどころか、学校の先生、医療福祉等でサービスを受ける中で関係の深かった指導者まで含めましょうか・・・とも接して来られた専門家の皆様の経験値はいかかな判定でしょうか?
私の予想では、非常に高い確率で、クライエントと密接な関わりをそこそこ長期間持ち、クライエントがその人との関わりを自力では断ち切れなかった、誰の目から見てもかなり「厄介な」人物・・・は、たいていひとりやふたりは見つかるはずです。
控えめに言って、そういう人物とは、強度のモラハラ的関係の「共依存」状態にはまっていた、ということが、たいていキャリアとしてある、と思います。
時には、そこに身体的暴力、レイプ、近親相姦、援助交際、薬物使用、売春などの体験が、秘密裏に隠れていることなど、ごくありふれている、というのが、私の経験値です(今回取りあげたクライエントさんは、幸い父親からではありませんが、別の男性からレイプで処女を奪われていました)。
こうして、突如、非常に古典的な「経験論」的な世界で、「虐待」をキーワードとして、統合失調症者のライフ・ストーリーを「一応」確認しておく重要性を、多くの専門家は認識すべき、というのが、私のこの論考の最大の趣旨です。
目の前の統合失調症の人が抱えている症状や困難が、「内因性」だけでは説明できない、得てして「虐待的」な環境要因が、控えめに言って「輻輳」している可能性を考慮しなければならないのではないか?ということです。
そうなると、単なる向精神薬で解決するはずもありません。
ひどい時には、現在でも、その人物が実は「被虐待的」対人関係の渦中にいることに、周囲は気づいていないことになります。
そういう場合には、環境調整して、そういう人物からまずは引き離すことが最初専門家がすべきことですね。
ところが・・・言いたくはないんだけど、その「敵」が、なんと、その人を直接援助する立場にある、医療福祉看護介護心理法律関係という専門家集団それ自体の中にいることが、ままある・・・という、恐るべき事態が、ありふれています。
すでに別記事で書きましたが、特に怖いのが、ご当人は全くの善意で関わっているつもりの、「パターナリズム」的な対人援助専門家たちということは、すでに私は激しい口調で注意喚起するしかありませんでした。
いつまで映画「カッコーの巣の上で」やってんの?というしかありませんが。
*****
それはさておき。
いずれにしても、こうして統合失調症の人格力動パラダイムに、突如、虐待をモデルとする「解離」という心理機制で一本筋を立てて観なおしてみる、という方法論が浮上することになります。
これはすでに事例を提示する前のところから、ある程度示して来ましたよね。
もう一度復習すれば、急性期を脱した統合失調症者には「健康な部分自己」と、急性発症期の精神病的な恐慌体験が生々しく封印された「狂気の部分自己」という、交代人格があるという前提に立つ方が、実は臨床「実用」的にみて、非常にクライエントに関わりやすいアプローチになるということです。
こうなると、実際に統合失調症との鑑別がなかなか困難になる場合もある、虐待被害トラウマによる精神疾患全般、PTSD、それどころか「複雑性PTSD」の治療における既成の方法論の一部が、統合失調症の人の「治療」とまではいかなくても、控えめに言って「クオリティ・オブ・ライフ」の向上に役立てられる可能性が開けるということになります。
例えば、私の事例のクライエントさんに、EMDRを、私のできる範囲で教えたら、彼女は喜んで生活習慣の一部にしてしまいました。
まるで「準フラシュバック」とでも名付けたくなる強度で、突如生々しく感情を伴って思い出してしまう、嫌なモラハラ記憶と距離を取り、平静さを取り戻すのに役立つ場合がある、というふうに、本人自身が言うわけです。
****
最後に、もう一度、どういうかけかそういう統合失調症の当事者の生活史と経験世界で遭遇して関わりを深めてしまい、薬だけでは解消できない悪影響を残していく「困ったちゃん」たちについて。
恐ろしいのは、得てしてそれが、そのクライエントさんを囲む対人援助職ネットワークのただ中に今もいることもありふれている、という現実ですが、それはさておき。
そうした人物の側をどういう人格水準でアセスメントするかです。
例えば事例の彼女の父親ですが、彼女自身の語りと私のアセスメントがキレイに一致したラインでは、言葉の上ではモラハラそのものの悪口雑言の「悪い人」部分自我と、行動面では本当にやさしくて裏もない「いい人」という二重人格がころりころりと急性交代する、私が「ネオ・ダブルバインド」タイプとでも名付けたい、コミュニケーション様式を持つ人物と判断できる「一群」がいると想定できるかと思います。
彼女の父親はまだ二重人格なのでシンプルな方かもしれず、昔なら「精神病質」と分類されたような、もう、複雑怪奇で、心理機制のわけがわからん複合体で人を巻き込む悪質な人もいると考えられますが、ご本人にそれで人格の統合ができているという思い込みがなぜか成立している以上、それは「多重人格障害」のバラダイムでとらえると、一番現代的な整理と解析ができる可能性が開けるかと思います。
そういう人物がもし、犯罪者として裁かれる立場になり、精神鑑定を受ける際には、この際の私の提案です、「多重人格障害」モデルを仮にあてはめて、解析しようとしたら、その複雑怪奇で説明しづらい内面のメカニズムと行動原理が、複数人格の「共謀」という「法則」として抽出できるかも?と、この際「予言」しておきます。
最後に、もっとありふれた「困ったちゃん」になる、特に、ご本人は善意のつもりで無自覚な、クライエントを囲む専門家集団のメンバーの中の誰かですが(でも一歩間違えば、自分の利用者が自死するぞ、てめえ)、ありていに言えば、自分の自己愛性に無自覚というか、狭い世界にしか通用しない専門性と専門経験とやらをかさに着て、自分も判断を誤る可能性に謙虚にふるまえず、「小っちゃなプライド」守り、自分の「保身」のためにいつの間にかクライエントさんを事なかれ主義の「大人しい羊」に飼いならすという「人権蹂躙」をしていないか、くらい、私のこのアカウントの各記事を時には読んでみて、わが身を反省してね、としか言えませんね。
========================
◯この記事に関心をお持ちになった皆様からのご感想、ご相談(初回無料)をお待ち申し上げております。
阿世賀浩一郎
カウンセリングルーム ケー·エフ·シー
kfc20220801@gmail.com
TEL:080-2012-1311(電話番号変更いたしました。ご注意ください)

