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神水

【記録◆2025年5月20日】

『高佐士野(たかさじの)』とは何だったのか………と考えたら、
「古代の薬草園だったのでは」という気がしました。

『やまとの 高佐士野を 七行く(ななゆく)媛女(をとめ)』の先頭で、「みむろ山(三輪山)の初代祭主は、祭祀の準備をしていたのでは」と。

[注:『note』の記事は、学問を修めていない者が想像した内容で、歴史を学ぶ方の参考にはなりません。念のため。]

『高佐士野』という地名は、どこにも残っていません。だから、
「名前のない台地」が、高佐士野なのかもしれません。

 そこでは野花や野苺が根ざした土を、清らかな水が薄く覆っていました。
 台地の最も低い所には、かつて「真菰(まこも)」が生えていたのかも。

[5月12日に撮影]

 河川の護岸工事が進められるまで、「真菰」は国中に自生していたはず。
 古代には、「やまと」の湿地を埋め尽くすほど。

 かつては、神木に巻きつける藁蛇も、真菰で作ったのかも………
[龍神信仰の藁蛇については、以下の記事内。]

 真菰を大量に必要とする時は、大勢で湿地へ出たのかもしれないけれど、
「薬草」としては、姫巫女たちの「薬草園」で足りたのでしょうか。

 神話では二度も、「大国主」は命を奪われ、母神が生き返らせています。
 火傷で命を落としたときには、女神たちの手当てで。

 次に蘇らせた後、この先を心配して母神は、「大国主」を逃がしました。
 紀伊国の「大家毘古之神(オオヤビコノカミ)」の所へ。

 いま、紀伊国の神の名を知ったのですが、この記事を書きはじめるとき、「大屋姫」は、夫「イソタケ」や息子「タカクラジ」とともに木を植えた、という話から、「薬草園も作ったのでは」と考えていたのです。

 様々な植物の種は、「イソタケ」の父が、出雲に持ってきました。

「大国主」自身も、「因幡の素兎(しろうさぎ)」をたすけていますから、もともと皮膚の再生医療に詳しかったのでしょう。

「大国主」の娘「高照姫」に婿入りしたのが、「イソタケ」の父。
 このとき出雲に、薬草の種類が増えたのだとおもいます。

「高照姫」については以下の記事内。

「大屋姫」は、『丹波』を経由して『大和』に移り住み、いま『紀伊国』に祀られています。「大屋姫が住んだ『葛城』に現在も薬草園があるのでは」と考えて、調べてみると見つかりました。

 それから、いま、「五十猛(イソタケ)」の別名も判りました。その名は
「大屋毘古神(オオヤビコノカミ)」。

「大屋姫」の視界にあった風景は、以下の記事内に写真があります。

 最初に王国が造られたのは『葛城』ですが、「みむろ山(三輪山)西麓に姫君たちが移り住むとき、薬草の種や苗も運ばれただろう」と想像します。

 そこで思い出しました。「みむろ山」をご神体とする『大神神社』境内に『くすり道』という小径があったことを。

 そこに「COGY(足こぎ車いす)」で入っていけなかったため、わたしは遠回りして急坂を上ろうとしたのですが、断念しています[以下の記事]。

 調べてみると、「くすり道」には現在、たくさんの薬草が植えられていると分かりました。

「近くの遺跡で、大量の桃の種が発掘された」という話も思い出しました。
 先日に読んだ小説(無料の電子書籍)では、桃の種も薬だったはず。

 そういえば、江戸時代の御典医は、匙(さじ)で薬を処方するところから「おさじ」と呼ばれていたはず。

 では、『高佐士野(たかさじの)』は、「祭祀王の薬草園」という意味?[注:『note』の記事は、学問を修めていない者が自由に想像した内容で、歴史を学ぶ方の参考にはなりません。念のため。]

 このまえ「くすり道」に入っていきたかったのは、その先で、出雲神族が祀られているから。
 思い出しました。そこには、万病に効くという御神水が湧き出ています。

 地図を見ると、このまえ気づかなかった小径が表示されていました。
 実際の位置に表示されていないのか、建物の下を通っています。

 しかし、現地に行ってみると、以下のとおり。このまえ見えなかったのは
「初詣で混雑する時期に設けられるスロープ」が手前にあったため。

知らなかった道

 月参りをしている知人でさえ、この道は知りませんでした。残念ながら、ここも階段になっていて、「COGY(足こぎ車いす)」では進めません。

 でも、「小径の入口を見つける」という目的のために来たので、きょうは車椅子ではなく二本杖です。行ける所まで両腕で進んでみましょう。

活日神社

『活日(いくひ)神社』には、行けるとおもっていませんでした。
 小径の途中から急階段を、どれくらい上らないといけないか判らなくて。

 しかし、「行ける所まで行ってみよう」とおもったら、すぐ着きました。
 ここにだけは、誰も居ません。

 祀られているのは『高橋活日命』(酒の神さま)ですが、境内のどこより響き合える場であるように感じます。わたしはお酒が飲めない体質なのに。

 もしかしたら、この丘でも祭祀王が、祈りで天と地に橋を架けたのかも。
 そういう場で微生物(酒の酵母)は、最も活性化したのでは。

「女性は高い山に登らなくても天と繋がれる」と、どこかで読みました。
 男性はそうなるために高い山で修行する必要がある、とのこと。

「女性が修行に加われないのは、危険を冒す必要がないから」という話なら納得がいきます。「ひとを産む女性は神域を穢す存在」と考えたくないし、穢れは女性からではなく、ひとの心から生じるのではないでしょうか。

 出雲王家は、后が祭祀を司っていました。
 既婚女性を、「神事に関われない存在」と見なさなかったのです。

活日神社の後ろ

「ここを上っていきたい」と感じました。
 心は、身を離れて奥へ向かいます。

 禁足地ですが、古代人は尾根道を歩いて移動していたはず。
 麓を歩くより、ずっと早く目的地に着けたので。

振り返って

 もとの道まで下りて、先へ進みます。
『磐座神社』は、道に面していました。

「少名彦」は役職名で、出雲王国の八代目スクナヒコ(副王)が事代主。
 そして、『大神神社』に祀られたのは「事代主」。

(「正史」や「由緒」では、大物主と事代主を別人にしているけれど。)

「少名彦(副王)」は「大名持(主王)」とともに医療を全国に広めた、と伝わっていますが、この場ではそれを特筆しているように感じました。

磐座

 どこを撮る時にも、「撮らせていただいても、よろしいでしょうか」と、かならず申し上げた後、「失礼をお赦しください」と、頭を下げます。

 この磐座の後ろにも、駈けていきたい…………
(何も張られていなくても、入ってはいけないのは分かります。)


◇◇狭井神社(狭井坐大神荒魂神社:大神神社境外摂社)◇◇

「狭井(さい)」は、もとの意味だと「幸(さい)」なので、
『幸神社』と呼びたくなります。

鎮女池(しずめいけ)

 ここまで来る間に、清掃なさっている方がたくさんいらっしゃいました。
 すれ違うたび、「ありがとうございます」と、わたしは申し上げます。

 神域に神気が満ちるのは、場を整えてくださる方々のおかげだから。

新緑
薬井戸

 20年ほど前の初夏、三輪山登拝をするとき、井戸の水をいただいたので、「ボタンを押すと、下から水が出てくる」と覚えています。

 備え付けの紙コップを使わないで、小さい水筒(200ml)に汲みました。
(それだと、清らかな冷たさが、帰宅するまで保たれたのでした。)

狭井神社の鳥居
狭井神社のスロープ道

 神社に繋がっている道は、「COGY(足こぎ車いす)」で上れない階段か急坂になっています。「どうやって辿り着くのか」と、頭をひねりました。
 その道すじが、わたしにとっては解けない謎。

『狭井神社は 古来より病気平癒の神様として篤い信仰を集めています 特に 近年の高齢化社会に伴い 車椅子でのお参りが増えるなか[以下は略]』と、説明板には、スロープ道を奉納なさった方について書かれていました。

 上れない急坂は、「COGY(足こぎ車いす)」を自分で漕ぎつつ後ろから押してもらっても上れません。
 念のため、このあと坂の上から確認しましたが、たぶん下るのも無理。

[追記:その後、最大の謎を解くため、地図を何度も眺めています。いつか「COGY(足こぎ車いす)」で辿り着くために。]

市杵島姫神社

「市杵島姫」は、初代大王「ムラクモ」の祖母。

 市杵島姫が祀られている社は、他よりも可愛らしいように感じます。
[他の神社の写真は、以下の記事内。]

 帰りは、『くすり道』のほうへ行ってみました。こちらはひとが多くて、写真を撮れたのは一瞬だから、薬草や薬木までは撮れていません。

くすり道

 ありがたいことに、どちらの道も着地衝撃が少なく、楽に歩けました。
 この程度の段差なら、両腕に渾身の力をこめなくても進んでいけます。

大神神社の御神木

 以下の記事に、
「衰弱した御神木を、有用微生物群が復活させた」と書きました。

 初夏を迎えて、境内の樹々は、いっそう生き生きとしています。

裏参道の鳥居(境内から)

 記紀では、「大物主は祟り神となって疫病をもたらし、その子孫が祟りを鎮めた」という話になっているけれど、大物主が祟り神だったのではなく、「その子孫が、疫病を収めたのでは」と、以下の記事に書いています。

『大神神社』の境内や「みむろ山」の山頂で微生物が散布されているのは、この地に「出雲の知恵」が残っているためではないか、とおもうのです。

「飛鳥時代」にたびたび行幸先となった「吉野離宮」近辺には、はっきりと残っていたのではないか、と考えもします。

 広い『吉野川』によって侵食を免れた「大和(奈良)の出雲」が、医療や美容の知恵を、川の向こうから授けに来たのでは、と。

『櫻木神社』の御祭神や由緒から、対岸には疫病を退散させる知恵があったと読み解けるので。
[櫻木神社については、以下の記事。]

 さっきは、『大神神社』の拝殿で「巫女舞」が行われていたため、帰りに参拝をしました。

裏参道から

 まだ少し歩けそうなので、このまえCOGYで行った『成願稲荷神社』へ。

成願稲荷神社

 ここを知るまで、お稲荷さんは怖いように感じていました。でも、ここに参拝してから、「等彌神社の稲荷社」にも参拝しています[以下の記事]。

 それで正午の「高佐士野」にキツネさんが現れたのか、と考えついたら、楽しくなりました。
[狐の写真は、以下の記事内。]