使えない手帳は売れない
私は何処にでもいる、普通の一般人。
まさしく中間の人だけど、少しは変な癖もある。
『地底湖の魚』でも書いた。
そんな私の数ある奇行の1つ。
使わないスケジュール手帳を、毎年買う。
買うけど書かない。でも買っちゃう。
そんな手帳の習慣を始めて10年は経つ。
今は七月。
もう一年の半分以上が過ぎたのに、相変わらず手帳はほぼ白紙…
私だって、普通に使えればそれが一番良いと思ってる。
でも…何を書けばいいんだろう?
私の場合、スマホを確認すればそれで済んじゃう。
手帳に書き直すのは、単に二度手間。(字も汚いし)
ちゃんと使いこなせてる人は、一体どういう事?
たぶん、約束が多い人。
これから先に合う人との約束。
未来の約束。
そういうのが多い人の為の道具が手帳。
私とは買った目的が違うのかもしれない。
いや、どうだろう?
そもそもが、うっかり、同じ手帳と思っていたけど、まったくの別物かもしれない。
もしかして、私が買っていたのは、スケジュール手帳じゃなくて、日記帳?
それだったら、過去を思い出して書けば空白ページを埋められる。
でも、ルーティーンな地味生活だし、大した出来事は無い。
考え事なら多いけど、そうすると書けるスペースが少なすぎる。
じゃあ、使い道はやっぱり無い。
…もしかして私、要らないモノを買ってる?
困りましたね、、、
どうしよう、、、
意外とお高い、例のブツ。
なんとか元は取れないものか…
……最近よく聞く、転売。
売ってしまえばいいのではないか?
半年くらい時間は経ったけど、文字を書いたのは10ページくらい。
ほとんど新品未使用な、状態「良」の中古品。
工夫次第でなんでも書ける便利な紙束だから、需要があるはず。
使い道はよく分からないけど、みんな買ってるみたいだし。
ゼロ円にはなるまいて。
いやいや、それどころか逆に、私が書いたから価値が上がる。
そういう言う可能性もあるかもしれない。
…もしかして、芸術作品?
私は芸術を仕入れていたのかもしれない。
本屋に並んでいる時点では、ただの新品の手帳。
この時すでに、新品の芸術作品だったのか?
そんな風には見えなかったけど。
…芸術に新品ってあるのか?
紙や絵の具は新品があるけど、創作物の絵画や彫刻は新品じゃなくて中古品。
誰にも評価されずに売れないなら、それは芸術?
(死後の©もあるらしいけど)
有名な絵画とかは、歴史の流れで人から人へ移ってるから、中古だと思う。中古の「ミロのヴィーナス」とか。中古の「モナリザ」とか。
私の芸術手帳は、状態「良」の未完のまま時間だけが過ぎて、いずれは勝手に完成品になってしまうのだろうか。
それもいいのかもしれない。
あえて完成させない、と言う芸術的な屁理屈。
まるで「サクラダファミリア」。
私の人生、一年分をかけて作った芸術作品。
『未完の手帳』
作品の進捗具合は半年かけて、大体半分。
、、、、でも、ちゃんとした完成品にすることも、実際は出来る。
今から思い出して、なんか適当なメモ書きにしてしまえばいい。
過ぎてしまった空白を、後から文字で埋めつくす。
『完成芸術ー中古品・状態不可ー』
作・中川がらん
未確定な未来や過去の再解釈など、人の余白を手帳に見立てた作品。
誰にでも手にできる実存する物体を使って表現している。
商業的価値としての需要が下がる中古品の概念を、量産された商品を使いながら芸術的価値へ変換するプレゼンテーション。
コンセプチュアルアートとする見方が、いつかは有力になるかもしれない。
販売価格はどんな相場なのか。
売るつもりなんてないけれど。
…そういえば、今年の手帳には、まだ半年間の未来がある。
その空白部分も勝手に埋めてしまってもいいものだろうか。
適当な落書きとか、空想思考散文とか絵空事、そういうやつ。
…10年手帳なんてブツも世の中にはあるらしい。
ちょっと欲しいけど…
さすがに我慢しよう。
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また、オカタイお偉いさんに怒られそうな記事になってしまったかも…
冗談好きな私の、ちょっとした無駄話だから大丈夫なはず。
喋りすぎる嫌いはあるかもしれない。
『喋りすぎる俳句』
万が一評価されて、インタビューなんてされたらどうしよう…
『記者風になった記事』
そんなことにはならないでしょう。
ただの『適当な好奇心』があるだけですから。
今回記事にした私の手帳。
結局、どんなことになったのか?
今現在の進行形の手帳の話がこの記事。
