"Both Sides Now" Joni Mitchell/Judy Collins 〜 聴き比べながら歌の意味を探る
写真左は Joni Mitchell 作詞作曲の Both Sides, Now が収録された Joni 2作目のアルバム(1969年5月リリース)Clouds のカヴァーから, 右は作者 Joni 本人よりも先にスタジオ録音した Judy Collins のヴァージョン Both Sides Now が収められた Judy 6作目のアルバム(1967年10月リリース)Wildflowers のカヴァーから。今日は Joni と Judy の「青春の光と影」聴き比べ, そしてそれは歌の意味を探ることにもなり .. 歌詞和訳付き!
聴き比べてるうちに, この歌の意味を ..
聴き「比べ」て優劣つける必要など全くないけど, 好みで言えば 筆者は最初は Joni のヴァージョンの方がいいと思った。しかし 何度も聴くうちにアップテンポの Judy の方もいいという感じが増し, そもそも声質(*1)もだいぶ違うし(歌詞も若干違う), 結局はどちらもそれぞれの味わいがあっていいな, という辺りに落ち着いた。ちょっと意外に思うのは, まぁこれはとりあえずこの曲における比較でしかないのだけれど, リリース当時 25歳の Joni の歌声よりも 同じくリリース当時 28歳の Judy の歌声の方が初々しい印象を与えること。歳も上だし, Judy の方が なんとなく(決してネガティヴな意味合いでなく!.. そもそもがよく知らないままの誤解かもしれないけれど)「魔性の」という形容が似合いそうな女性に思えるのに。
さて, となると, この歌の邦題の「青春の光と影」により相応しいのは(「青春の」に重きを置くと尚のこと)Judy の歌声なんだろうか。あるいはこの歌の歌詞の中身から感じられる瑞々しさ(愛や人生を語りながらも醸し出される青春の「青さ」「瑞々しさ」)を想えば, それにより相応しいのは Judy の歌声なんだろうか。それがしかし, そうとも言えないんですね。
「青春」は 実は「初々しさ」「瑞々しさ」に満ちているわけではなく, 案外「物憂げ」なものだったりアンニュイ.. 物憂げとほとんど同じか(笑), しかし「アンニュイ」ってカタカナ外来語, 近頃あまり使われないような, 話が飛んだ .. だったり, 要するに, これは当たり前と言えば当たり前なんだけど, 一口に「青春」と言っても, 文字通り「青い」空, 青空が相応しいような晴れやかな日々ばかりではなく, 土砂降りの日々だってあるし, どんよりとした曇り空の日が続くことだってある。
しかしナンだね, どんよりとした曇り空ばかり続くのでは, 「アイスクリームのお城が 空に浮かぶ」とか「至るところに 羽根の峡谷」 とか想像して「私はそんなふうに 雲を見てきた」なんて言えなくなるけどね .. いや, どんよりとした曇り空, その雲は 要するに「だけど今や, 雲はただ太陽を遮るだけ, みんなの上に 雨や雪を降らせるの, すごくたくさんのことができたはずなのに, 雲が 邪魔をするからできないんだ」, あっちの側の雲だね(あらためて .. この曲が収録された Joni のアルバムのタイトルは Clouds, 雲)。
ともあれ, だからまぁ, 色んな日がある。結局, 瑞々しい輝きを放つ時もあれば, 悩みばかりで思い切り憂鬱な時もある。"Both Sides, Now" の Joni 曰く「私は 雲を両側から眺めてきた」。
だからそうか, この歌の作詞作曲者 Joni の歌声もこの曲に合ってないなんてことはないね。いや, 歌詞全体から感じられるのは漠然とした気分の重さだったり倦怠感のようなものだったり「も」する(「青春の光と影」はまぁまぁ程度にはイケてた邦題だったのかな)。となると, やはり作者 Joni の歌声や歌い方が この歌に相応しいのか .. うーむ, I really don't know that at all.
ところで, Joni はこの歌で「愛のことなんて 本当には何もわかってない」, 「人生のことなんて, 本当には何もわかってない」要するに「生きることの意味なんて, 本当には何もわかってない」って言ってる。しかし考えてみると, これは「青春」時代の悩み, 若い時の悩みというばかりでもないよね。30歳になれば, 40歳になれば, 50歳になれば, 60歳, 還暦(!)になれば, それで「愛」や「人生」が 本当に分かるんだろうか。筆者はいま 65歳(1年余り前が "When I'm Sixty-Four"), まぁ若い人よりは経験の積み重ねにモノを言わせて 400字以内で何か語れとか強制されれば(笑)それなりに語るのかもしれないけれど, しかしそれでも結局は「本当には何もわかってない」って辺りに行き着くのかもしれない。
65歳の話どころじゃない。自分は故郷に幸いにも 97歳, 94歳でそれぞれしっかりした頭の働きと共に(何もここまで仔細に書くこともないけれど厳密に記すと97歳の父の方はいくら何でもの「寄る年波」が勝り物忘れ的なことは以前より多くはなったものの.. )先日「結婚70周年」(!)を迎えた両親がいる。この年末年始, 田舎に帰省して 70周年のお祝いをしたりしたんだけど, 母と話していたら, 94歳の我が母曰く「なんのために生きているのか, わからないよ」。94歳にしてこの言葉, 流石に印象に強く残り, 故郷からの所要数時間の帰路, 65歳の次男坊である筆者の頭に度々浮かんできたのだった。
「愛のこと」「人生のこと」「生きることの意味」, こういうことは実は古(いにしえ!)の昔から人類(の中の個々人, 偉大なる哲学者から「市井の人」まで)が考えてきたことですね。個人個人がそれぞれの頭で考えたというだけでなく, 二人三人で話し合われたり, あるいは大勢で議論されたり, 何か「わかったようだ」という偉い人から講義がなされたり .. 古代ギリシアの哲学者だって考えたことでしょう。きっと, ソ, ソ, ソクラテス だって, プラトンだって, アリストテレスだって。
でも結局, どれだけ「人生のこと」や「生きることの意味」が わかっただろうか。はっきりしていることは, 人生は永遠ではないということ。古代ギリシアの異人いや偉人さんたちの世から3-400年後の世界を生きた古代ローマの詩人, ホラティウスに教えを乞うなら, 彼はただ(「ただ」ってことはないね!)こう言うのだろう。「その日を摘め」, "Carpe diem".
いや, ウィキペディアよりも(笑)スクリーンの世界に頼ってみたらどうか。映画 'Dead Poets Society' のキーティング先生に "Carpe diem" を 語ってもらうとか。あるいは, 映画 'Blade Runner" の反逆レプリカント, ロイ・バッティの最期の言葉にも, "Carpe diem", "Seize the day" につながるものがあるような気がする。いや, 間違いなく, それはある。
ロイ・バッティ 曰く (1:48 ~)「俺は お前たち人間が信じられないようなものを見てきた。オリオン(*1)の肩口(*2)で 炎上する攻撃艦を見た。タンホイザー門(*3)近くの暗闇で Cビーム(*4)が 煌めく(きらめく)(*5)のも 見た。それらの瞬間の全てが, 雨の中の涙のように, 時の流れのなかで 失われていく(*6)。… 死ぬ時が来た(*7, 8, 9)。」.. (*の向こう側に関心を持たれる稀代の読者の方は '「ブレードランナー」反逆レプリカント, ロイ・バッティの最期の言葉を 紐解く' へ, 牽強付会いや我田引水, 笑)
さてさて, 「いま, 両側」の Joni, Judy 聴き比べをしているうちに, 歌詞の意味, ひいては 愛の意味, 人生の意味, 生きることの意味を考える深みに嵌り, いや深みに嵌りそうになって逃げ, 話が広がってしまいました。
何はともあれ, I really don't know life at all .. 私は「人生のことなんて, 本当には何もわかってない」「生きることの意味なんて, 本当には何もわかってない」。
*1 最後に思い切り脱線, いやそう思い切る程には脱線してないかもしれないけれど, でもそもそも *1 は何処にあったのか, 今やかなり上までスクロールしなくてはならないのですが, それはつまり, 本章の冒頭にまで!
聴き「比べ」て優劣つける必要など全くないけど, 好みで言えば 筆者は最初は Joni のヴァージョンの方がいいと思った。しかし 何度も聴くうちにアップテンポの Judy の方もいいという感じが増し, そもそも声質(*1)もだいぶ違うし(歌詞も若干違う), 結局はどちらもそれぞれの味わいがあっていいな, という辺りに落ち着いた。
というわけで, 「声質」の件, Joni や Judy の「声質」の違いの意味をどう読むのか .. いや, その話ではなくて(!), 「声質」の読みは 正式には「せいしつ」らしいんだけど, 筆者は普段, これは「こえしつ」と読んでるし, 話す場合もそう言っている, という話。
だいたいやね(故・竹村健一氏は好きな著名人ではなかったけれど, バカボンのパパ式「脱線の脱線なのだ」), 「せいしつ」なら「性質」や「正室」がある。「上様, 正室にはどちらが」なんて話じゃないんだ, やっぱり「声質」は「こえしつ」と読んだ方が座りがいいだろう, 具合がいいだろう。因みに筆者の 97歳の父, 近頃はあまり言わないけれど, もう少し「若い」頃までの口癖のひとつは「具合よくやれよ」でした。そうだ, 因みに上の例の「上様」の読み方は「うえさま」であって「かみさま」ではありません。しかしあの二文字は「かみさま」と読む場合もあって, そのときの意味は妻, 「かみさま」は妻の尊称。昔々は貴人の妻に使ったらしいけれども, それは「今は昔」, 昔のこと。筆者は貴人ではないが(もちろん?奇人でもない!), 筆者の妻は「かみさま」だ。神様がおられるかどうかはわからないが, まぁこの宇宙の何処かに, あるいは其処彼処に, おそらくは物理学的な意味合いで偉大な力は存在するでしょう, 話が飛びました, ともあれ, 私には「かみさま」がいる。まぁ普通は「かみさん」と言って(というか, 書いて)いるんだけど。いずれにせよ, 「正室」云々は江戸時代までのエライさんの世界の話, 私は私の「かみさん」ひとりで十分いや十二分だ, それに私は I really don't know love at all じゃなくて, 「愛のことなんて 本当には何もわかってない」じゃなくて, 愛のことなら少しぐらいはわかるつもりだ,
と, 最後に強引に "Both Sides, Now", その歌詞(詩)の中身に少しはつなげて, そろそろ脱線話し過ぎないよう気をつけながら次章「"Both Sides, Now", その歌詞(詩)について」にいこう!
"Both Sides, Now", その歌詞(詩)について
There Goes Rhymin' Mitchell 〜 ほら, ミッチェルが また韻 踏んでるよ
英語ネイティヴの人なら, 歌をそのまま(メロディ付きで)聴いても「韻を綺麗に踏んでる」歌詞をその通りに(つまり「韻を綺麗に踏んでるなぁ!」と)感じることが出来るのかな。もしもそうじゃないとすると, 歌の歌詞(歌詞なんだから「歌の」は言わずもがなか, ならば「歌のメロディやリズムに乗せる詩」!)において韻を踏むことの意味はなんだろう? まぁしかし(自問自答の自問から離れるこの早さ・速さ, この段落の括弧の多さ・しつこさ!), 少なくとも歌メロや曲のリズムから離れて歌詞をシンプルに詩として味わうことはあり得るし(*p), 且つ, おそらくは筆者のような非「英語ネイティヴ」にとってはその場合の方が「韻を綺麗に踏んでる」歌詞の心地よいリズムが際立つのではないかと思う。
この歌 Both Sides, Now, 英語の原詞 を一度読んで(朗読して)みることをオススメします。とにかく綺麗に, 見事に, 繰り返し繰り返し, 韻を踏んでいて, "There Goes Rhymin' Simon" ならぬ "There Goes Rhymin' Mitchell",
「ほら, ミッチェルが また韻踏んでるよ」「ミッチェルが 韻を踏みながら行っちゃったよ」という感じ。
でもそんな誉め方したら, ボブ・ディランを ディスる(いいぞいいぞ!)くらいの Joni Mitchell なら, 案外「ポール・サイモンの二番煎じみたいに言うのはやめてよね」とか言うかも。でもまぁ, ジョニさん, ポール・サイモンのことはなるべくディスらないでほしい(笑)。
*上の引用部分は「"Both Sides, Now" (Joni Mitchell) 歌詞和訳」第1章第2節「訳注 および 解説(歌詞解読)」その *9 より転載。
*p "歌メロや曲のリズムから離れて歌詞をシンプルに詩として味わうことはあり得る", そう, それはあり得る。本節の上掲本文よりも長く(縦幅が長く)なってしまうことを懸念しつつ続けると, これは「ほら, サイモンが また韻踏んでるよ」「サイモンが 韻を踏みながら行っちゃったよ」の Paul Simon の, しかしアルバム "There Goes Rhymin' Simon" 収録曲ではなく, 且つ彼のS&G時代の歌で, そして彼の歌の歌詞としておそらくは珍しく "韻を踏んだかと思わせる箇所はほんの少し" しかない歌 The Dangling Conversation の歌詞の朗読。
英語の歌の歌詞を和訳しようとするなら, 原詞(詩)の語順通りに逐語訳するような方法を採ることは有り得ない。そんなことをしたら元の歌詞の趣はなくなるし, 日本語としても意味が通りにくい一節や詩になってしまう。とりわけこの歌の歌詞のような場合。
和訳を試みながら, 今さらながら大きなことに気づいた気がする。ポール・サイモンの歌の歌詞は, ほとんどの場合, 見事に, かつ綺麗に, 韻が踏まれている。しかしこの歌の歌詞を見ると, 韻を踏んだかと思わせる箇所はほんの少しだ。
これは明からに, 意図的に韻を外したのではないだろうか。恋人同士(だった)と思われる二人の関係が色褪せていく様子を歌ったこの歌の中身に, 韻をほとんど踏まず, 詩としてのリズムを外したかのように思える言葉選びは, かえってしっくりくるところがあるように感じられるのだ。
上の引用部分は, 以下の過去 note「The Dangling Conversation 宙ぶらりんの会話 by Simon & Garfunkel 〜 歌詞和訳」その第2章「The Dangling Conversation 〜 歌詞和訳」からの転載。
ではでは!
"I've looked at clouds that way" 〜 「私はそんなふうに 雲を見てきた」
Joni Mitchell 作詞作曲の "Both Sides, Now", この歌は clouds(「雲」), love(「愛」), life(「人生」)をそれぞれ both sides(「両側」)から「見てきた」と言っていて, [Verse 1] [Verse 2][Chorus] で clouds について語り, [Verse 3] [Verse 4][Chorus] で love について語り, その後, life について [Verse 5][Verse 6][Chorus] と続け, 更に Joni のヴァージョンでは 最後の [Chorus] を(I've looked at life from both sides now, from win and lose のラインだけ from up and down に代えて)もう一度繰り返して終わる。
「愛」や「人生」は 今日は第1章で触れたので(そりゃもう「触れた」だけです), ここでは「雲」を。
これ, 次章や次々章にリンクを載せる '初出 note' の中で既に少しやってはいるんだけど。つまり,
「天使の髪が列を為して流氷のよう, それに空に浮かぶアイスクリームのお城, そして至るところに羽根の峡谷, 私はそんなふうに 雲を見てきた」と言う(歌う)Joni Mitchell, 彼女は人一倍 感性が鋭いかもしれないが, しかし似たような経験は多くの人がしているのではないかと思う。というのは, おそらく「感性」人並み程度に違いない筆者も, 子供の頃など特に, 雲を見て「そんなふうに」想像力を働かせた思い出があるくらいだから。例えば, 夏に見る雲などは 大海の大波, 巨大な波に見えたりして, 自然の脅威いや驚異を感じたりしたものだった。
春夏秋冬, 雲は確かに, 見る者の想像(想像力)を掻き立てる。
ところで, 雲 と言えば .. まぁこっちは形容詞, ニュアンスもそれなりに違うけれど,
Cloudy from Simon & Garfunkel's 1966 album Parsley, Sage, Rosemary and Thyme ♫
Cloudy
The sky is gray and white and cloudy
Sometimes I think it's hanging down on me
And it's a hitchhike a hundred miles
I'm a ragamuffin child
Pointed finger painted smile
I left my shadow waiting down the road for me a while ..
Cloudy ..
で, 雲った空なら,
曇った空の浅い夕暮れ, 雲を浮べて煙草をふかす … それは はっぴいえんど の「かくれんぼ」。
しかしこの "雲った空" はおそらくどんよりと "雲った空" で, たくさんの晴れ間と "天使の髪が 列を為して" できた "流氷" や "アイスクリームのお城" や "羽根の峡谷" などが混在するような空ではなく, 要するに青空に色々なかたちの雲が浮かんでいるような空ではなく, それは空一面 "雲った", そんな曇り空なんだろうから, これは少なくとも どちらかと言えば "だけど今や, 雲はただ太陽を遮るだけ, みんなの上に 雨や雪を降らせるの, すごくたくさんのことができたはずなのに, 雲が 邪魔をするからできないんだ", そっちの方の雲だね。
いや, 今日は「かくれんぼ」ではなく「いま, 両側」。
"Both Sides, Now" by Joni Mitchell 〜 歌詞和訳
"Both Sides, Now" from Joni Mitchell's 1969 album Clouds, 歌詞和訳
Both Sides, Now from Joni Mitchell's second studio album Clouds, released in May 1969
英語原詞
https://jonimitchell.com/music/song.cfm?id=83 (*9)
天使の髪が 列を為して流氷のよう (*1)
それに 空に浮かぶアイスクリームのお城
そして 至るところに 羽根の峡谷
私はそんなふうに 雲を見てきた
だけど今や, 雲はただ太陽を遮るだけ
みんなの上に 雨や雪を降らせるの
すごくたくさんのことができたはずなのに
雲が 邪魔をするからできないんだ
私は 雲を両側から眺めてきた
上からも下からも, それでもなぜか
私が思い出すのは 雲が描いた幻影だけね
雲のことなんて, 本当には何もわかってない
巡る月と 6月と, 観覧車 (*2)
めまいがするほど踊ってるように感じる
おとぎ話が現実になるたびに
私はそんなふうに 愛を見てきた
だけど今や, 愛はただのショーに過ぎないの
去る時には みんなを笑わせておかなくちゃ
気になるのなら, 彼らには気づかれないようにね
自分をさらけ出したらだめなの (*3)
私は 愛を両側から見てきた
与える側からも 受ける側からも, それでもなぜか (*4)
私が思い出すのは 愛の幻想だけね
愛のことなんて 本当には何もわかってない
涙と恐れと, 誇りを感じること
「愛してる」と声に出して言うことに
夢と計画とサーカスの群衆 (*5)
私はそんなふうに 人生を見てきた
でも今は 旧友たちの振る舞いがおかしくなってる
首を横に振って, 私が変わったって言うの (*6)
確かに何かを失ったわ, でも何かを得たんだ
毎日を生きるなかでね
私は 人生を両側から見てきた
勝つことと負けること, それでもなぜか
思い出すのは 人生の幻影だけ
人生のことなんて, 本当には何もわかってない
私は 人生を両側から見てきた
上からも下からも, それでもなぜか
思い起こすのは 人生の幻影だけ (*7)
生きることの意味なんて, 本当には何もわかってない (*8)
…… ♫ …… ♫ …… ♫
*訳注および解説(歌詞解読)は, 次節にリンクを載せる初出 note の中で。
初出 note 〜 "Both Sides, Now" (Joni Mitchell) 歌詞和訳
以下, リンクおよび目次。
【 目次 】
1. Both Sides, Now 〜 歌詞和訳
1) "Both Sides, Now" from Joni Mitchell's 1969 album Clouds, 歌詞和訳
2) 訳注 および 解説(歌詞解読)
3) Both Sides Now, リリース前のライヴ音源
4) "Both Sides Now" from Joni Mitchell's 2000 album Both Sides Now
5) Clouds 〜 Joni Mitchell's 1969 album
2. Joni Mitchell と CSN と Judy Collins 〜 Both Sides Now
3. 付録 〜 「脱線」 および 個人的「派生」話題
1) ディランをディスる 〜 ジョニ・ミッチェル曰く「ディランは盗作者よ」(LAタイムズ), 本人曰く「それは言ってない」けど, 一方で 「ディランは音楽的にあまり才能がないわね」
2) 我が家から歩いていける公園を カミさんと歩きながら, 紅葉・黄葉を鑑賞 〜 コリーヌ・ベイリー・レイ が, ニール・ヤング に答える
4. The Circle Game
"Both Sides Now" by Judy Collins 〜 歌詞和訳
"Both Sides Now" from Judy Collins' 1967 album Wildflowers, 歌詞和訳
Both Sides Now from Judy Collins' sixth studio album Wildflowers, released in October 1967
英語原詞 https://genius.com/Judy-collins-both-sides-now-lyrics
天使の髪が 弓なりになって流れ (*1)
アイスクリームのお城が 空に浮かぶ
そして 至るところに 羽根の峡谷 (*2)
私はそんなふうに 雲を見てきた
だけど今や, 雲はただ太陽を遮るだけ
みんなの上に 雨や雪を降らせるの
すごくたくさんのことができたはずなのに
雲が 邪魔をするからできないんだ
私は 雲を両側から眺めてきた
上からも下からも, それでもなぜか
私が思い出すのは 雲が描いた幻影だけね
雲のことなんて, 本当には何もわかってない
巡る月と 6月と, 観覧車 (*3)
めまいがするほど踊ってるように感じる
おとぎ話が現実になるたびに (*4)
私はそんなふうに 愛を見てきた
だけど今や, 愛はただのショーに過ぎないの
去る時には みんなを笑わせておかなくちゃ
気になるのなら, 彼らには気づかれないようにね
自分をさらけ出したらだめなの (*5)
私は 愛を両側から見てきた
勝つことと負けること, それでもなぜか (*6)
私が思い出すのは 愛の幻想だけね
愛のことなんて 本当には何もわかってない
涙と恐れと, 誇りを感じること
「愛してる」と声に出して言うことに
夢と計画とサーカスの群衆 (*7)
私はそんなふうに 人生を見てきた
でも今は 旧友たちの振る舞いがおかしくなってる
首を横に振って, 私が変わったって言うの (*8)
確かに何かを失ったわ, でも何かを得たんだ
毎日を生きるなかでね
私は 人生を両側から見てきた
勝つことと負けること, それでもなぜか
思い出すのは 人生の幻影だけ
人生のことなんて, 本当には何もわかってない
…… ♫ …… ♫ …… ♫
*訳注および解説(歌詞解読)は, 次節にリンクを載せる初出 note の中で。
初出 note 〜 "Both Sides Now" (Judy Collins) 歌詞和訳
以下, リンクおよび目次。
【 目次 】
1. "Both Sides Now" by Judy Collins, 歌詞和訳
1) "Both Sides Now" by Judy Collins, 歌詞和訳
2) 訳注 および 解説(歌詞解読)
3) 「脱線」「派生」話題, その 1-1, 青い眼のジュディ 〜 "Helplessly Hoping" & "Suite: Judy Blue Eyes"
4) 「脱線」「派生」話題, その 1-2, 青い眼のジュディ "Suite: Judy Blue Eyes" 〜 49年後の Stephen と Judy
5) 「脱線」「派生」話題, その 2, "Who Knows Where the Time Goes?" (Sandy Denny) by Judy Collins, Sandy Denny 〜 "Blues Run the Game" (Jackson C. Frank) by Sandy Denny, Jackson C. Frank, Simon & Garfunkel
2. "Both Sides, Now" by Joni Mitchell, 歌詞和訳
1) "Both Sides, Now" from Joni Mitchell's 1969 album Clouds, 歌詞和訳
2) 初出 note 〜 "Both Sides, Now" (Joni Mitchell) 歌詞和訳
3. Joni Mitchell と CSN と Judy Collins 〜 Both Sides Now
