おひとりさまの老後|介護するとき 介護されるとき|許してくれる?
施設入居中の伯母は95歳になった。
今年になってから、ひとつ段階がすすんだなと感じていた。
今までと違う。わたしには、確かな違和感があった。
悔しさと悲しさ
面会のときに
「何かやりたいことある?」
って聞いてみた。
「た~くさんあるの・・。でも、体が動かないの」
って悔しさと悲しさが入り混じってた答えが返ってきた。
彼女は、和裁、洋裁、日本舞踊、書道、絵手紙など趣味も多彩で、しかもかなりの上級者だった。
そして、今、当時のように体を使えないこと、きれいな字をかけないことが悔しいんだろう。
「95歳で字がかけるってすごい」
「きれいな字を書く」
ってケアマネさんたちに驚かれるが、本人からすると
「きれいに書けない」
と、過去の自分と比べ、イライラと虚しさに包まれるのだろうと思う。
できないことじゃなくて、できることに目を向ける。
少しでも日常に彩りを持つには、何がいいだろうって考える。
安全な遊びは、ぬりえとかおりがみとかシールあそび…。
それらは、持ち込んだけれど、使われないまま棚にあった。
考えるけど、満たしてあげれない。
許してくれる?
彼女は、緑内障で片目を失明している。
それでも以前は、遠くからでもフォルムでわたしとわかり、喜んでやってきていた。
ところが、見えていないのだろうか、反応がない。
耳元で声をかけて、ようやく誰だかわかったようだ。
その日は、朝から体調が悪かったらしく、車いすで来た。
最近は、寝ていることが多く、朝晩の区別がつかなくなってきているとのこと。
「ここでは何もできない。
(わたしの家に)帰りたい。
許してくれる?」
と、再三いわれる。
「自分はできる。目薬も自分でつけている」
と主張する。
他の人が点眼をしてもらっている間、待っているのが嫌なようだ。
以前は、できる自分を誇らしげに語っていたのに、どちらかといえば、自分もしてもらいたいのかなとふと思う。
『目薬をつけることができる=自分は何でもできる』という発想がすでに認知の衰えだ…。
「部屋に、亡くなったみんなが来てくれるから楽しいよ」
って言う。
語り口も、スローペースで若干ろれつがまわっていないような気もする。
わたしが、車いすを押して居室へ連れて戻ろうとしたら、誰もいない玄関口に向かって
「ありがとうね、またきてね」
と手を振る。
やっぱり見えていないのだろうと思う。
ケアマネさんに報告と相談をする。
ケアマネさんからの報告によると、施設では、彼女も点眼をしてもらっているらしい。
本人の言うこともすべて事実ではなかったりするので、全部を真に受けていては身が持たないな…と自分の受け止め方もニュートラルでいようと思いつつも、してあげれないことの切なさは付きまとう。
これは普通のことで、受け入れるべきことなのだろうか。
相談するたびに、面倒な家族だと思われていないかと、余計なことが気にかかる。
春になったら
春になったら、お花見とかランチとか買い物とか連れて行ってあげたいって思っていたのに、この頃の認知の状態をみると、外出させることが逆に家へ帰りたいというスイッチを押してしまいそうで、ためらってしまう。
去年の夏は、家ができたから、連れてきてあげたいと色々手段を考えたりもしていたのに、それさえも現実問題として叶わず。
救急車で運ばれたまま、彼女は自宅には一歩も踏み入れていない。
「ずっと気がかりなんだ」
っていうけれど・・・片付けが完全に済んで、空っぽの家をみるのも逆に辛いかもしれないし・・・どんな感情を抱くのか、読めない。
あえて、刺激を与えない方がいいのではないかと思うようになってきた。
そして、これから先、どんどん不可能になっていくのだろう。
ごめんね。
希望を叶えてあげれない。
重く切ないエピソードでしたが、スキいただけると嬉しいです。
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