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短編88「墨塗りのさけび」 本のかみさまはミステリに揺蕩う#5

登場人物紹介(最新話を元に構成・更新しています。そのため本編のネタバレとなる場合がございますので、閲覧にはご注意ください)

あらすじ
図書室で名作の一節が墨で塗りつぶされる事件が発生。リンの遠隔推理で犯人の苦悩を特定する中、クラスメイトの千帆が……。

 また起こる、謎のミステリ。
 そして新たな謎がまた、僕たちの前に現れた。

 真人まさとは朝になって、自宅の玄関を出た。今日の天気は、晴れ。
 自宅を出る前に1階の古本屋『ねこのおまもり』のシャッターを開ける。店内に入って最低限の照明を付けると、カウンターの上で黒い塊が、ふわぁ、と声をあげた。本を枕にして眠っていたボンベイの黒猫・リンが、天を仰いで大きな欠伸をしていたのだ。
 その傍らでは、桜柄の着物を着た未華みかが、カウンターに突っ伏してすやすやと眠っている。見た目は8歳ぐらいの少女だが、実際は幽霊だった。

「おう、早いな」
 入口から父さんが入ってきた。頭をぼりぼりとかきながら、眠そうに欠伸を噛み殺す。
「じゃあ僕は学校行くからね」
「おう」
 彼らに見送られて、僕は高校に向かった。

 教室で自分の席に座り、ぼんやりと外を眺める。広い青空が温かい光を落としてくれていた。
「真人、おはよー」
 その声に振り返ると、クラスメイトの千帆ちほが欠伸をしながら声をかけてきていた。
「おはよう、千帆。眠そうだね?」
「うん、昨日ちょっとさあ……読みたい本に夢中になってたら、空が明るくなっててえ……」
 彼女はもう一度欠伸をした。それに僕は苦笑いを返す。

 昼休みになって、図書室へ向かった。これはもう日課で、お昼を食べない僕は図書室で時間を過ごすのが日常だった。
「あ、山上くん。ねえ、ちょっと聞いてよ」
 声をかけてきたのは、僕より身長が高く、眼鏡と長い黒髪が印象的な女性だった。名札は小豆色で、2年生ということが分かる。図書委員長の加古 央子かこ ひろこだった。

「加古先輩、どうしたんですか?」
「これ、見てよ」
 加古先輩は一冊の本を手に持っていて、それを広げた。太宰治の『斜陽』。広げたページの一部が、墨で黒く塗りつぶされていた。
「ただのイタズラにしては……」
 僕は思わず呟く。本文の一部を塗りつぶすという行為は、単なる悪ふざけとは思えない意志を感じたからだ。
「そうなの。塗りつぶすという行為も許せないけど、犯人のなんらかの意志を感じるのよね」
「確かにそうですね」
 僕は言って、腕を組んで考え込んでしまった。
「……これ、撮影していいですか? 帰宅してから、家族と見ながら考えます」
「そうね。そういう目的ならいいわ」
 加古先輩の許可をもらってから、僕はスマートフォンのカメラで該当のページを撮影した。

 僕は帰宅して、そのままねこのおまもりへと向かう。目的はもちろん、リンに見てもらうためだ。
「リン、図書館の本が墨で塗りつぶされるってイタズラがあったんだ」
 言って僕はスマートフォンで撮影した画像を彼女に見せた。
「『けれども、私はこの世に生れて来て、すみませんでした、と云う心だけは、持たないでいたい。』という一節ね」
 期待通り、リンは即座にそれを見抜いた。
「苦しんでる誰かの犯行じゃないかしら? 情報が足りないわ」
 彼女の言い分はもっともだった。

 翌日、真人はまた昼休みに図書室へ向かう。
「あ、山上くん。見てよ、これ……」
 加古先輩がまた、本を手に声をかけてくる。持っている本は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』だった。
 またページが塗りつぶされている。

 下校してからまた、ねこのおまもりに向かう。画像をリンに見せると、彼女は眠そうな顔で答えてくれた。
「『さういふ者に わたしはなりたい』という一節ね。前回と同じ犯人だと仮定すると……うーん、絶望の後に希望を塗りつぶすのは、それを失うのが怖いのかしら」
 リンはそう呟いてから、また身体を丸めた。
「……犯人はなにか、板挟みになってるんでしょうか?」
 未華が首を傾げながら、そう呟いた。
「そうね、未華の言う通りだわ。恐らく犯人は、希望と苦悩の板挟みにあって、高い志に折れそうな人物かもしれないわね。真人、心当たりある?」
「いや、まったくないなあ……」
 僕は素直な言葉を返した。

 そして翌日。
 真人は図書室へ向かうと、また加古先輩が対応に追われていた。
「もしかして、三冊目……ですか?」
「そう! そうなの! 本当に、本に対して失礼だと思わない?」
 加古先輩が持っているのは、中島敦の『山月記』だ。開くと、やはり黒塗りにされている行がある。

「『しかし、いくら、きばってみても、才能というものは、そんなに容易に磨けるものではない。』という一節ね」
 やはりリンは画像を見ただけで見抜く。
「一度、内容をまとめましょうか」

1.けれども、私はこの世に生れて来て、すみませんでした、と云う心だけは、持たないでいたい。
2.さういふ者に わたしはなりたい。
3.しかし、いくら、きばってみても、才能というものは、そんなに容易に磨けるものではない。

「これだけ読むと、なにか行き詰まってる人っぽいですね」
 未華が素直な感想を述べると、僕とリンは頷いた。
「苦悩から希望、そして感じる限界……過大なプレッシャーに苦しむ人物像が浮かび上がるわね」
 リンは肉球をグルーミングしながら、考察した意見を共有した。
「ねえ真人。図書室の防犯カメラって見れないの?」
「え? うーん、僕一人じゃ無理だろうから、加古先輩に聞いてみるよ」
「うん。あとインカム用意して? 私はここにいながら、話を聞くから」
 猫用インカム? そんなもの、存在するのだろうか……僕はそう思いながら、ECサイトのページを開いた。

 それから数日後、真人は昼休みになってまた、図書室へと向かった。そこに加古先輩の姿を見つけると、声をかける。
「あの、加古先輩。ちょっと聞きたいんですけど、図書室の防犯カメラって見れますか? 僕も犯人探しに協力したくて」
「ありがとう! その気持ち、とても嬉しい。……あれ、山上くん、眼鏡かけてたっけ?」
 その言葉に彼女は少し驚いた顔をしてから、柔和な笑顔を見せる。
「はい、たまにかけます」
「そうなのね、まあそれは置いといて。ちょうど手元に動画データが来てるんだけど、忙しくて見れてなくて……」
 加古先輩は言ってカウンターの中に僕を招き入れると、パソコンを立ち上げた。デスクトップのファイルを開くと、動画データが開く。
「そのね、これ……事件があった日の前後合わせて、5日ぶんあるの。ここが開いているのが1日10時間だから……」
「ご、50時間ぶんのデータがあると……いや、これは大変だ……」
 僕の素直な言葉に、先輩はなんとも言えない苦笑いを返す。
「大変なこと押し付けてごめん。でも、助けてくれると嬉しいな」
 それに僕も苦笑を返してから、動画を再生し始めた。

「リン、聞こえてる?」
 僕は口を手で覆って、小声で言う。
「聞こえてるわ」
「映像は?」
「うん、見えてる」
 言って僕は、眼鏡を指で押し上げた。
 今日の眼鏡には、小型カメラとマイク、それに骨伝導スピーカーが仕込まれている。猫用のインカムなんてあるわけがなく、改造して作る流れでこの眼鏡を作った。
「聞こえてたと思うけど、動画データが50時間あるらしいから、4倍速で流すよ」
「了解」
 そして僕たちは動画を確認し始めた。

「あ、真人。いまのところ、もう一度」
 リンの声に僕は動画を少し戻して、一時停止させた。
「この人怪しいわ。『斜陽』を取ってからわざとカメラの範囲から出て、しばらくしてから戻ってきてる」
 見ると、髪の短い生徒だった。名札が緑色なので3年生であることが分かる。
 言われてみると、彼の動きは不審だった。本棚から本を取り、カメラの範囲から出る。しばらくしてから、その本を持って戻ってきて棚に戻すのだ。
「本当だ……もしかして、他の本も同じように?」
 僕たちは映像を見続ける。彼は『斜陽』と同じように、『雨ニモマケズ』『山月記』も持ち出してしばらくしてから戻す、ということをやっていた。
「これで確定ね」
 リンが言う。その後に続けて、ふにゃあ、という欠伸の声が聞こえた。

 犯人らしき人物が写ったところで動画を止めて、僕は加古先輩を呼ぶ。
「これ……3年の、松井先輩だわ。何度か貸出の対応をしたことあるもの」
「――おそらく、彼が犯人です。見ての通り、塗りつぶされた本を取り出して、また棚に戻している。その間、これらの本に触れたのは彼だけでした」
 加古先輩は腕を組んでから右手を顎に当てて、ふむ……、と静かに頷いた。
「話を聞く必要がありそうね。……あ、真人くん巻き込んでごめんね。あとは私たちの仕事だから、大丈夫。いつかお礼するね」
 言って彼女は、嬉しそうに微笑んだ。

 やがて本日の授業が終わり、放課後。僕は帰宅して、制服から着替えるとねこのおまもりに戻った。なんだかんだ言って、僕の生活はここが中心になっている。
 カウンターでは未華が絵本に覆いかぶさって寝ており、その横でリンが全身をグルーミングしていた。
「リン、ありがとう。あとは加古先輩に任せたので、解決できると思う」
「そう。それは良かったわね」
 素っ気ないリンの言葉からは、意図はよく見えない。遠方で参加したのであまり楽しくなかったのだろうか?

 がちゃ、と入口のドアが開く音。
 僕はお客様かなと思って反応すると、そこに立っていたのは千帆だった。
「千帆……?」
 正直、驚いてしまった。
 特に仲が良いわけでもなく、彼女がこの店の場所を知るはずはない。仮に探して来たのだとしても、そうする理由が僕には思い当たらない。
「ねえ真人、聞いたよ? 図書室の本を汚した犯人、見つけたんだって? 凄いね!」
「……!」
 反応したのはリンだった。その黄色の瞳を、すっ、と彼女に向ける。

 ――違和感。
 圧倒的な違和感。

 松井先輩の話は、とてもセンシティブな問題だ。そうそう噂になるとも思えない。
 図書委員でもない千帆がなぜ、今日の昼に起こった出来事を、もう知っているんだ――?

「あ、その子が例の、喋る猫ちゃんだね?」

 リンの視線を見つめ返して、千帆は無邪気にそう言った。
 それには流石に、僕もリンも戸惑った。
 リンの声を理解できるのは、父さんと僕と未華だけ。それ以外の人には鳴き声に聞こえるらしいし、リンも人前では日本語を離さないように気をつけているからだ。
「あなた――」
 リンは思わず呟いていた。彼女が動揺する姿を見たのは、初めてかもしれない。
「あなた、じゃなくて、私は千帆。よろしくね!」
 そんな空気を気にせず千帆はリンに歩み寄って、前足を持って握手する。

 ――千帆は、リンの言葉を理解している。
 それがなにを意味するのか、いまの僕には分からなかった――。

 翌日の昼休み、図書室に向かうと加古先輩が声をかけてきた。
「真人くん、ありがとう。あれから先生を交えて松井先輩と話して。本人も反省しているようだから話を大きくしないで、本を弁償するってことで解決したわ」
「そうなんですね、良かったです」
 加古先輩の話によると、松井は受験の重圧と自己否定の感情から逃れられず、犯行に及んでいたとのことだった。

「真人くんのおかげ! 本当にありがとう!」
 先輩は無邪気に僕の両手を握ると、上下にぶんぶんと振った。身長が僕より高いので少し痛かったが、彼女は嬉しそうなので余計なことは言わないでおく。

「いつか、お礼するね。本当にありがとうね」
 加古先輩が無邪気に喜んでいるのに、僕は微笑んだ。
 どこかもやもやした気持ちを、抱えながら。 


注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。


最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。

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