“Hello”から始まった恋—スポーツクラブで出会った彼が、止まっていた時間を動かした—第5章
※この物語はフィクションです。
登場人物・団体等は実在のものとは関係ありません。
あらすじ
夫と別居中の40歳の香織は、スポーツクラブで働きながら毎日を淡々と過ごしていた。そんなある日、カナダ人のジョンと出会う。彼の明るい笑顔に惹かれ、そして香織は英語を学び始める。
言葉や文化の違いに戸惑いながらも、少しずつ距離を縮めていく二人。ジョンのまっすぐな優しさは、自信を失っていた香織の心を少しずつ癒やし、止まっていた時間を動かしていく。
しかし、大人だからこその現実や、それぞれが抱える事情は、二人の恋を思いがけない方向へ導いていく――。
恋を通して「自分らしく生きること」の意味を見つけていく、一人の女性の再生を描いた、大人の恋愛小説。
第5章 友達じゃいられない
あの日、ジョンにキスをされた頬がいまだに熱い。
外国人ならではの挨拶だということは分かっている。
それでも私は日本人だ。
頬だけでも十分意味のある行為に思えてしまう。
ジョンの私を見つめるまなざしだって、ただの友人ではないと感じた。
「Kaori~ Are you listening?」
ああ、今はレッスン中だった。
ジョン先生の話なんて上の空だ。
「Sorry~」
ジョンが私の心を乱したくせに、平然としているなんてくやしい。
勝手に心の葛藤を人のせいにしている私。
仕事中でも、レッスン中でも、家事の最中でも、
気が付くとあの日のシーンを思い出してしまう。
もっと抱きしめ合いたいと思ってしまうのは、
――私だけ?
誰かに抱きしめられたのはいつぶりだろう。
別居中の夫との記憶も遠い昔だ。
夜には一人で自分の気持ちをどうすればいいか持て余す。
熱いコーヒーの湯気を眺めながら、ぼんやりしていると、
ジョンからLineが来た。
今度職場のみんなで飲み会があるからぜひ来てと誘われた。
・・・どうしよう。
英会話スクールの先生たちと飲み会だなんて。
おしゃべりなんてできる?
どんな立場で行けばいいの?
ジョンはどんなつもりで呼んだの?
さっきまでぼんやりしていた頭をフル回転させ、
飲み会に行く理由を必死で考えた。
――でも行きたい。
ジョンが同僚とどんな感じなのか知りたい。
私を呼んでくれた意味を知りたい。
―そして、少しでも一緒にいたい。
「Thank you, I’d love to !」
とうとう返信してしまった。
もう行くしかない。
どうしよう・・・
何着ていく?
いい感じのリップあったかな?
フリートーク用の英会話をおさらいしようか・・・
急にその夜は忙しくなった。
――約束の日。
息子は近くの実家に遊びに行っている。
足早に居酒屋に向かった。
すでに集まっているジョンやレオたち。
「Hi, Kaori~」
「Hello~」
ジョンが笑顔で近づいてくる。
少し頬を赤くしたジョンが私を紹介してくれた。
「She is my friend.」
そうだよね。
――友達だよね。
当たり前のことだけど、少し悲しかった。
ではなんと紹介されたら納得がいったのか・・・
彼女でもないし、
スポーツクラブの店員さんだけでもない。
妥当な紹介なのに、なんだか悲しい。
しょんぼりした気持ちを悟られてはいけない。
明るく乾杯をして、カシスオレンジを一口飲んだ。
この甘酸っぱいカクテルがまるで私の気持ちのようだった。
英語の飛び交うおしゃべりは楽しかったが、
わからない言葉も多く、ついつい目の前のサラダを持て遊んでしまう。
そんな私に気が付いたのか、レオが話しかけてくれた。
「Are you having fun?」
「Yeah! Thanks for inviting me!」
優しいレオとおしゃべりしていたら、同僚の女性がジョンに絡みだした。
なにやら早口で何を言っているのかわからなかったが、やけにべたべたとスキンシップしていた。
あんなにくっつかなくてもよくない?
あの人、ジョンのことが好きなのかな?
ジョンもまんざらでもない感じで話している。
私を誘っておいて・・・
グラスの氷をストローでくるくる回した。
気にしないふりをする。
でも視線は何度もジョンの方へ向かってしまう。
胸の奥が少しずつ重たくなった。
なんだか居場所がなくなったようで、思わず立ち上がった。
「I'm afraid I have got to go.」
「Really?」
ジョンがあわててそばに来た。
いいよ。――もう。
自分の分の飲み代を渡して、みんなに挨拶をして居酒屋を出た。
ジョンも追いかけてきた。
「Sorry」
悲しそうな表情のジョンがかわいそうになったから、
「No problem」
ジョンの口癖を真似してみた。
それを聞いて安心したのかジョンは微笑んだ。
二人で駅までの道を歩いていると、自然と手をつないでいた。
これって友達以上だよね?
でもさっきはfriendって言ってたよ。
確かめる勇気はなかった。
ただジョンの手のぬくもりが暖かくて、うれしかった。
――最寄りの駅に着いてしまった。
ジョンも一緒に電車を降りた。
「I want to spend a little more time with you.」
私ともう少しいたいなんて・・・もちろん私も。
二人で近くの公園まで散歩することにした。
お酒の匂いを漂わせたジョンは、今日はやけに距離が近い。
いつの間にか、つないだ手は恋人つなぎになっていた。
公園の人影は少なく、時折夜のジョギングをしている人とすれ違った。
夏の虫がにぎやかに鳴いている。
二人でのんびり歩いていると、ふとジョンが立ち止まった。
「Kaori・・・」
真剣な表情で私を見つめる。
えっ?
だんだんとジョンの顔が近づいてくる。
・・・これって、
――もしかして。
両手で優しく私の顔を包み込み、
顔を少し斜めに傾けて、
そっと唇に触れた。
一度唇が離れたあと、
私の目を見つめたかと思うと、
二度目は激しかった。
胸の鼓動が聞こえそうなくらい高鳴り、どちらの鼓動かわからないくらいに抱きしめ合った。
また顔を見つめ直すと、ジョンは言った。
「Kaori・・・I'm crazy about you.」
本当に?
さっきは友達って紹介したくせに。
すねた気持ちを察したのか、
ジョンが私の両方のほっぺたを軽くつまんだ。
「How do you feel about me?」
私の気持ち・・・
ここでちゃんと言わないと。
「ジョン・・・大好き!」
ジョンはその日本語を知っていたのか、嬉しそうに私を抱きしめた。
もうこれ以上はだめだと思いながらも、
これ以上を期待する自分がいた。
ジョンの体温を感じながら、
ただこの瞬間がずっと続けばいいと思っていた。
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