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太平洋島嶼国のAIガバナンス / 多国間協調の可能性 雑感


Ⅰ 技術開発の周縁とリスクの偏在

 巨大な計算資源を持つ少数の企業や国家が人工知能の開発を主導する一方で、その恩恵から地理的・経済的に隔絶された地域が存在する。法の機能とは単に新しい技術の普及を追認することではなく、技術力を持つ主体と持たない主体の間に生じる権力の非対称性を是正し、リスクの偏在に対処することにあると筆者は考える。オーストラリアの非営利組織Good Ancestors Policyが2025年5月に公表した報告書"Empowering Pacific Islands in the AI Era: Protecting Local Interests, Shaping Global Norms"は、技術開発の周縁に位置する太平洋島嶼国が多国間協調を通じて自国の利益を守る道を論じており〔注1〕、MITのAIリスク研究者ピーター・スラッテリーもその意義を評価している〔注2〕。技術力を持たない国家がいかにして地球規模の規範形成に関与しうるかは、法と権力の関係を捉えるうえで一考する価値がある。

1 脅威の構造と国内規制の空白

 同報告書によれば、大半の太平洋島嶼国には正式なAI戦略、倫理ガイドライン、規制枠組みのいずれも整備されていない〔注3〕。フィジーがデジタル戦略を公表し、パプアニューギニアが導入フレームワークを模索している例外はあるが、地域全体としては基礎的なデータプライバシー法や消費者保護法といったAIガバナンスの前提となる立法そのものが欠けている国も多い。この状況は意志の欠如ではなく、行政キャパシティの絶対的不足から生まれている側面が大きい。

 リスクの具体的な輪郭も報告書から読み取れる。2022年11月にバヌアツを襲ったランサムウェア攻撃は、政府機関や病院のネットワークを11日間にわたり麻痺させた〔注4〕。AIによるサイバー攻撃の自動化が進む中、十分な防衛手段を持たない国家が受けるダメージはさらに大きくなる。経済面では、IMFが世界の雇用の約40%がAI主導の変化にさらされていると推計しており〔注5〕、計算インフラを持たない国は人的資本の競争力を失う一方でAIが引き起こす混乱のコストだけを負担させられる構図になりかねない。

 文化的・認識論的側面も見過ごせない。大規模言語モデルは先住民の知識、言語、文化的視点を著しく過小に反映したデータで学習されており、太平洋地域の文化がデジタル空間において周縁化されるリスクがある。報告書はこれを「デジタル植民地主義」の一形態と位置づけており〔注6〕、AIが中立的技術でないことを改めて示唆する。大規模モデルの学習に伴う環境負荷についても同様の不均衡がある。AIインフラの拡張がもたらす気候変動の帰結を不均等に受けるのは、データセンターを持たない太平洋の島々である。

2 制度的余白がもたらす連帯の契機

 単一の国家による法制度の構築には限界がある。しかし逆説的に、強固な国内規制が未整備であるという事実は、多国間フォーラムにおいて各国が足並みを揃えやすいという戦略的な利点をもたらしうる。各国が独自に硬直化した規制を敷いていないからこそ、AIの安全性を共通の越境的課題として捉え、国際的な議論の場において統一した立場を形成することが可能になるという論理である。

 もっとも、この連帯が自動的に実現するわけではない。Government AI Readiness Index 2024によれば、フィジー(スコア44.22、順位90位)からキリバス(スコア34.45、順位142位)まで〔注7〕、AIガバナンスへの備えには差がある。この差は、ASEAN諸国がデジタル格差ゆえに統一的なAIガバナンス立場を取れないでいるのと類似した構造的問題を将来的に生む可能性がある。共通の脆弱性を自覚し、それを外交資源として活用する意識的な営みが必要である。

Ⅱ 国際機関における議決権の逆転構造

 開発企業に対する直接的な統制手段を持たない国家群にとって、国際法的な枠組みを通じたアプローチは合理的な防衛策となる。

1 非対称な投票力という外交資源

 同報告書が提示する論点の中でとりわけ注目されるのは、国際連合における議決権の構造的特性である。国連総会では各国が1票を保有するため、太平洋島嶼国の人口あたり投票権は米国市民の300倍以上、中国やインド市民の1,000倍以上に相当するとされる〔注8〕。

 技術力や資本力において劣勢に立つ小国であっても、多国間システムにおいては強大な潜在的交渉力を有する。特定の国家群が結束して投じる票は、少数の大国の意向に対抗しうる外交的手段となりうると思料する。もっとも、票の数が交渉力と直結するわけではなく、専門人材、情報収集能力、持続的な外交資源の裏づけが伴わなければ形式的な権利にとどまる点は留保が必要である。

2 集団行動によるルール形成の実績

 太平洋島嶼国がこの潜在的地位を現実の影響力に変えた前例は存在する。核兵器禁止条約(TPNW)の交渉過程では、核に汚染された環境への救済義務と被害者支援を条約本文に組み込むことを主導した。主要支持国であるオーストリアやメキシコでさえ当初は難色を示したが、太平洋島嶼国はカリブ共同体諸国、コスタリカ、教皇庁などへの働きかけを通じて賛同を拡大し、これらの義務を最終的に条約に盛り込むことに成功した〔注9〕。

 バヌアツが主導したICJへの気候変動に関する勧告的意見の請求も同様の文脈に置かれる。18カ国の中核グループとともに提出された国連総会決議は無投票で全会一致採択され、132カ国が共同提案国となった〔注10〕。この成功は、太平洋島嶼国がソフトロー形成を通じて国際的な規範醸成に参与しうることを実証している。

 AIガバナンスへの応用も理論上は可能である。2025年2月のパリAIアクションサミットでは米国と英国が共同声明への署名を拒否し〔注11〕、大国主導の取り組みがいかに脆弱であるかが浮き彫りになった。太平洋島嶼国が気候変動で培った連帯の実績と、AI安全保障を超国家的問題として位置づける枠組みを組み合わせることで、議論の場に固有の視点をもたらしうると考える。

Ⅲ むすびにかえて

 AIガバナンスをめぐる議論は、大国間の覇権争いや企業の自主規制に終始しがちである。しかし報告書が指摘するように、技術の負の外部性は開発元から遠く離れた対応能力の乏しい地域にこそ波及する。産業界による自主規制が市場シェアと利益を優先する以上〔注12〕、独立した国際的な規律の必要性は高い。

 法制化の遅れを逆手に取り、多国間枠組みの効用を最大化しようとする同報告書の視座は、法と技術の関係を見定めるうえで示唆的である。小国が国際機関の議決権構造を活用してルールの書き換えを試みるこの構図は、利益を独占する強者がルールを決定する現状に対する実効的な牽制機能を持ちうる。

(参考)

〔注1〕 David Hua, Arshia Jain, T Nang Seng Pan and Rickard Vikstrom, "Empowering Pacific Islands in the AI Era: Protecting Local Interests, Shaping Global Norms," Good Ancestors Policy (May 2025).

〔注2〕 Peter Slattery, PhD (MIT AI Risk Initiative | MIT FutureTech), LinkedIn投稿(最終閲覧日2026年2月17日)。

〔注3〕 AI Asia Pacific Institute, The State of Artificial Intelligence in the Pacific Islands (Singapore: AI Asia Pacific Institute, 2024), 29-31, https://aiasiapacific.org/wp-content/uploads/2024/08/The-State-of-Artificial-Intelligence-in-the-Pacific-Islands.pdf.

〔注4〕 "Vanuatu Government Crippled by Ransomware Attack," ABC News, November 10, 2022, https://www.abc.net.au/news/2022-11-10/vanuatu-government-cyber-attack-ransomware/101637480.

〔注5〕 International Monetary Fund, Gen-AI: Artificial Intelligence and the Future of Work (IMF Staff Discussion Note, January 2024), https://www.imf.org/en/Publications/Staff-Discussion-Notes/Issues/2024/01/14/Gen-AI-Artificial-Intelligence-and-the-Future-of-Work-539633.

〔注6〕 Arora, Payal, and Ulises A. Mejias, "After the Digital Revolution: Decolonising Digital Development," International Journal of Communication 17 (2023).

〔注7〕 Oxford Insights, Government AI Readiness Index 2024 (Oxford Insights, 2024), 5.

〔注8〕 Hua et al., 前掲注1, Executive Summary.

〔注9〕 Matthew Bolton, "The '-Pacific' part of 'Asia-Pacific': Oceanic diplomacy in the 2017 treaty for the prohibition of nuclear weapons," Asian Journal of Political Science 26, no. 3 (2018): 371-389.

〔注10〕 Nathaniel Khng, Kevin Chand, and Lucía Solano, "Res. 77/276 on Request for an Advisory Opinion of the ICJ on the Obligations of States in Respect of Climate Change (UNGA)," International Legal Materials 63, no. 1 (2024): 47-64.

〔注11〕 Masha Borak, "US and UK refusal to sign Paris declaration shows divergence in AI strategy," Biometric Update Newsletter, February 13, 2025, https://www.biometricupdate.com/202502/us-and-uk-refusal-to-sign-paris-declaration-shows-divergence-in-ai-strategy.

〔注12〕 Tom Wheeler, The three challenges of AI regulation (Washington D.C.: Brookings Institute, 2023), https://www.brookings.edu/articles/the-three-challenges-of-ai-regulation/.


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