複眼養成道場を始めます
柳川です。今日は本業の話ではなく、個人のサブプロジェクトの話です。
複眼養成道場を始めます
複眼養成道場という活動を始めました。
エニアグラム × インテグラル理論 × AIを組み合わせて、人と物事を複数の角度から見る目を鍛える場です。
セミナーでもスクールでもなく「道場」。知識を得る場所ではなく、鍛える場所です。武道の稽古と同じで、型を学び、対話を通じて自分のパターンに気づき、日常で実践して、また戻ってくる。
先日、オンライン説明会をやりました。20人が参加してくれて、2時間半。この記事では、説明会で何を話したのかと、そこで何が起きたのかをお伝えします。
なぜこんなことをやっているのか
僕は人間や社会のままならなさが好きすぎるんですよね。
同じ会議で同じ情報を見ているのに、出てくる結論が全然違う。同じフィードバックをしても、刺さる人と刺さらない人がいる。同じ「正しいこと」を言っているのに、ある人が言うと通って、別の人が言うと場が凍る。
なんでこんなに違うんだろう。
人間が、世界が、単純じゃないがゆえの葛藤、行き違い、すれ違い。そこから生まれるエネルギーがたまらない。「わかり合えない」は絶望じゃなくて、面白さの源泉だと思ってます。
でもね、面白がってばかりもいられない。
正しさで人を殴っていませんか
正しいことを言っているのに場が凍る。相手が黙る。関係が壊れる。
内容は合ってる。論理も通ってる。でも正しさは、振りかざした瞬間に鈍器になります。
ちなみに僕はどちらかというとその場を凍らせてるパターンの人間です。(みなさんご迷惑をおかけしております。)
で、なんで手放せないかっていうと、正しさが自分の存在価値と結びついてるからなんですよね。「正確であること」が自分の価値だと思っている人。「成果を出すこと」が自分の価値だと思っている人。「強くあること」が自分の価値だと思っている人。
人にはそれぞれ、これが満たされると気持ちいいというポイントがあります。正確さ、達成感、人からの感謝、独自性、知識の深さ、安心感、楽しさ、主導権、調和。どれも大事なものです。満たされると自分が自分でいられる感覚がある。
面白いのが、この自己価値って根源的な恐れの裏返しなんですよね。「間違った存在でありたくない」から正確さを求める。「無価値でありたくない」から成果を求める。「支配されたくない」から強さを求める。気持ちいいから求めてるんじゃなくて、怖いから手放せない。
問題は、それが行き過ぎるときです。
気持ちいいから手放せない。手放せないから、いつの間にか囚われる。自分の強みだと思っていたものが、気づけば一番の盲点になっている。正確さへのこだわりが完璧主義になる。達成志向が自分を追い詰める。人の役に立ちたいが「あなたのために」の押し付けになる。
そして、こうやって出来上がった性格が、本来の自分に蓋をしてるんですよね。自分を守るために身につけたはずの鎧が、自分自身を縛ってる。囚われている状態って、不自由なんですよ。自分らしく振る舞ってるつもりが、実はパターンに操られている。
ここに逆説がある。鎧を脱いだ先にこそ、鎧で守ろうとしていたものがある。 恐れから本質を守るために作った性格が、本質そのものを覆ってしまう。これが円環構造になってる。
これ、全員に身に覚えがあるはずです。
この「何を足場にしているか」「何に囚われやすいか」がタイプごとに違う。


「複眼」ってなんなのか ── 真善美の話
じゃあ複眼って具体的に何を見るのか。ここが大事なところです。
インテグラル理論には真善美という考え方があります。哲学のビッグスリーとも呼ばれるやつです。
真は客観的事実。数字、データ、論理、構造。科学が扱う領域。
善は間主観的な合意。人と人の間の規範、文化、関係性。「僕たちはどうあるべきか」の領域。
美は主観的な体験。個人の感覚、意味づけ、感情。「私はこう感じる」の領域。

この3つは全部大事なことなんです。でもほとんどの人は、このうちの1つか2つしか見てない。
「数字を見ろ」「データで語れ」は真だけ。正しいけど、それだけじゃ人は動かない。
「チームの関係性が大事」「文化を作ろう」は善だけ。大事だけど、事実を無視したら空中楼閣になる。
「自分はこう思う」「直感的にこれだ」は美だけ。その主観は大事だけど、それだけでは独りよがりになる。
複眼って、この真善美を行き来できる目のことです。データも見る。関係性も見る。自分の感覚も見る。そしてそれらがバラバラなままじゃなくて、一つの像として統合される。
昆虫の複眼は、小さなレンズが数百個集まってできています。一つ一つが違う角度から光を捉えて、脳が一つの像に統合する。やりたいのはそれです。
特に現代においては「美」は過小評価されがちです。
フラットランドに落ちるな
ここで一個、めちゃくちゃ大事な落とし穴の話をします。
インテグラル理論ではフラットランドという概念があります。真善美のうち真だけ、つまり客観的に測れるものだけで世界を理解しようとする状態のことです。
現代はフラットランドに陥りやすい。「エビデンスは?」「数字で示して」「再現性は?」。これ自体は正しい。でも、人間の動機や関係性や主観的な体験を、全部データに還元しようとした瞬間に、大事なものがごっそり抜け落ちる。
エニアグラムの文脈でも同じことが起きます。「あの人はタイプ3だからこう動く」と分析するのは真の目だけで人を見てる。でも実際には、その人がなぜそう動くのか(美:本人の内的体験)、その行動がチームにどう影響するか(善:関係性と文化)も同時に見ないと、理解したつもりの誤解になる。
タイプを知っただけで人を分かった気になる。これがフラットランド。カテゴライズは理解の入口であって、出口じゃない。
人の多面性を愛するというのは、フラットランドに落ちないということです。 一つの軸で人を説明しきろうとしない。ままならなさをままならないまま抱える。それが複眼。
じゃあどうやって複眼を鍛えるのか ── レベル・ライン・タイプ・ステート
真善美で世の中を見るのが大事だとして、じゃあ具体的にどうするのか。ここで道具が要ります。
インテグラル理論にはレベル(発達段階)・ライン(発達ライン)・タイプ・ステート(状態)という4つの次元があります。
レベルは、同じテーマでも見える範囲が変わる段階のこと。たとえば「リーダーシップ」一つとっても、「ルールを守らせる」段階、「成果を最大化する」段階、「メンバーの成長を支援する」段階、「対立を統合する」段階がある。どれも正しい。でも見えている範囲が違う。
ラインは、認知、感情、道徳、対人関係など、発達する能力の軸のこと。人はラインごとにバラバラに発達する。頭は切れるのに感情的には未熟、なんてことは普通にある。
タイプは、さっき話した人間の動機の違い。どのレベルにいても、その人固有のフィルターがある。
ステートは、今この瞬間の意識の状態。同じ人でも、余裕があるときと追い詰められているときで出てくるパターンがまるで違う。
ここが面白いところなんですが、レベル・タイプ・ステートは、エニアグラム一つで説明できます。
エニアグラムの9タイプがタイプ。健全度(統合方向と分裂方向)がレベル。ストレス下や安心時の移動がステート。一つの体系の中に、3つの次元が組み込まれている。ラインの全部はカバーしないけど、対人関係や感情の発達ラインはかなり深く扱える。
だからエニアグラムは、真善美の実践ツールとしてめちゃくちゃ優秀なんですよね。理論としてじゃなくて、道具として。
特にタイプが良い補助線になる
レベル・ライン・タイプ・ステートの中で、最初に手に取るべきはタイプです。
なぜか。一番実感しやすいからです。
レベルは自分で自分の発達段階を客体化するのが難しい。見えてないから見えてないわけで、「あなたは今この段階です」と言われてもピンとこない。ラインも同じで、抽象度が高い。
でもタイプは違う。「あなたが大事にしていること」「あなたが恐れていること」は、言われた瞬間に身体で分かる。あ、それ俺だ、って。
タイプは補助線なんです。数学の補助線と同じ。それ自体が答えじゃないけど、引くと構造が見える。
「なんでこの人はこんなことにこだわるんだろう」── タイプの補助線を引くと、その人の動機の構造が見える。
「なんで自分はここで毎回つまずくんだろう」── タイプの補助線を引くと、自分の囚われのパターンが見える。
「なんでこのチームはいつも同じところで揉めるんだろう」── メンバーのタイプの補助線を引くと、すれ違いの構造が見える。
そしてタイプが分かると、レベルやステートも見えてくる。「この人は普段こうだけど、今ストレス下にいるからこうなってる」「このタイプの囚われが強く出てるから、今この健全度だな」と。
タイプを入口にして、レベルとステートが読めるようになる。 そしてそれが、真善美の目で世界を見るための足場になる。
エニアグラムとインテグラル理論の関係
ここで改めて2つの関係を整理します。
エニアグラムは、真善美の実践ツール。タイプで人の動機(美)を理解し、レベルで発達段階(真)を把握し、ステートで今の状態(善:関係性への影響)を読む。具体的で、身体的で、すぐ使える。
インテグラル理論は、メタ認知の地図。真善美という枠組みそのものを提供し、四象限で見落としを防ぎ、フラットランドに落ちていないかをチェックする。抽象的だけど、全体像を見せてくれる。
杖と地図です。エニアグラムという杖を持って、インテグラル理論という地図を見る。そうすると初めて、自分が今どこにいて、何が見えていて、何が見えていないかが分かる。
説明会で何を話したか
説明会は2時間半でした。
まず「正しさ」の話から入りました。さっき書いたような話です。正しさがぶつかるとき何が起きるか。正しさで殴ってないか。なぜ手放せないのか。ここでまず「自分ごと」にしてもらう。
次にエニアグラムの基礎をさらっと話して、すぐにその場で診断を受けてもらいました。オリジナルの診断ツールを0から作ったんですよね。90問+追加質問。15分くらいで終わります。
診断が終わったら、結果を一緒に読み解いていきます。9タイプのスコアだけじゃなくて、3つ組みプロファイルというものが出る。
9タイプは3つずつのグループに分けることもできて、分け方が3種類あります。「ストレス下で最初に動くエネルギーは何か(センター)」「対人関係でエネルギーがどこに向かうか(社会的スタイル)」「困難に直面したとき最初にどう反応するか(ハーモニクス)」。この3つを組み合わせると、9タイプが一意に決まる。
たとえばチームで意見が割れたとき。自分の意見を通しにいく人(主張型)、何が正しいか確認して筋を通そうとする人(従順型)、一歩引いて観察する人(後退型)。どれが正解とかじゃない。入口が違うだけ。でもこの違いが、チームのすれ違いの正体だったりする。
理論を先に聞くより、自分のデータを持ってから聞く方が全然入り方が違います。
その後にインテグラル理論の話をして、最後に複眼養成道場の紹介をしました。
診断を受けると何が起きたか
20人がリアルタイムで診断を受けて、チャットに結果URLを貼り合いました。
結果が出た瞬間、「極端!」「とがってる!」って声が飛び交う。
ある参加者が、タイプ8の長所と囚われの話を聞いてこう言いました。
「推進力か、パワハラか」
これなんですよ。長所と囚われは表裏一体。自分の強みだと思っているものが、行き過ぎると一番の盲点になる。
別の参加者はこう言ってました。
「場面や会によって使い分けている気がする。全部当てはまる」
これもすごく大事な反応です。一つに決まらない。それが普通。タイプの確定はめちゃくちゃ大変で、何年もかかってもおかしくない。診断結果は「答え」じゃなくて「手がかり」です。
面白かったのが、診断中にこういう声も出たこと。
「ここに当てはまってるかもしれないと感じて、タイプで一貫した選択をしてしまいそうになる」
診断を受けてる最中に、自分のバイアスに気づいてる。これ、メタ認知が効いてるってことなんですよね。
参加者の言葉が深かった
正直に言うと、僕が話したことより参加者が言ったことの方が深かったです。いくつか紹介させてください。
「自分はこういう人だ、というバイアスを外すのってめっちゃ痛みを伴いますね。見たくないところも見ないとだから修行に近いかも。だから道場なのか」
そうなんです。だから道場。知識を得るだけなら本で十分。でも自分のパターンに向き合うのは痛みを伴う。稽古でしかできないことがある。
「自分のフィルターで自分を見てる時点でバイアスがかかりそう。だからこそ、コミュニティが有効?」
メタ認知のメタ認知問題。自分のフィルターで自分を見ている限り、自分のフィルターには気づけない。だから他者との対話が必要なんですよね。一人では見えないものが、違うタイプの人間と向き合うことで見える。
「逆仮面舞踏会」
これは、Discordで自認タイプを名前につけるという話をしたときに出てきた言葉です。仮面舞踏会は仮面を被る場。ここは仮面を外す場。うまいこと言うなと思いました。
「見えちゃう辛さありますよね、みんな笑顔なのにいまの状況の致命的欠陥に気づいちゃう視座みたいな」
構造的孤独の話ですね。見える範囲が広がると、見えなくてよかったものも見える。それは必ずしも幸せなことではない。でも見えてしまった人は、見えなかった頃には戻れない。
「8年前くらいに、社内LTでティールを目指そう!って話したのやったなぁ〜ってのを思い出した(表面理解しただけの状態で」
前後の誤謬のリアルな実例。「まだできない」と「もうやらなくていい」は表面上同じに見える。ティール組織が流行ったとき、本当に構造を理解してそこに向かっていた人と、言葉だけ使っていた人がいた。これは全員に心当たりがあるはずです。僕にもある。
人のままならなさを愛する
ここまで読んで、「で、結局エニアグラムを学べば人が分かるようになるの?」と思った人がいるかもしれない。
答えはNoです。分からないです。分かるようにはならない。
でもね、分からなさの解像度は上がる。
「なんか合わないな」が「この人はこういう動機で動いていて、今こういう状態にあるから、ここが噛み合ってないんだな」になる。解決するかは別の話。でも見える。
そして見えたからといって、コントロールできるわけでもない。人はままならない。自分すらままならない。さっき囚われの話をしたでしょう。分かっていても抜け出せない。それが人間です。
この道場は、ままならなさを解消する場じゃない。ままならなさを愛する場です。
分かり合えないことを嘆くのでもなく、分かり合えたふりをするのでもなく、分かり合えないまま一緒にやっていく。そのために複眼がいる。
「見える → 選べる → 動ける」
この道場で鍛えたい回路はシンプルです。
見える。 自分の無意識のパターンが見える。
選べる。 見えるから、自動反応ではなく意識的に選べる。
動ける。 選べるから、関係性の中で動ける。
知識を得るだけなら本で十分です。でも「見える → 選べる → 動ける」を身体に染み込ませるのは、本じゃできない。対話の中で、自分とは違うパターンの人間と向き合うことで初めて見えるものがある。
それは講義では起きない。稽古でしか起きない。
再度書く、なぜ「複眼」か
昆虫の複眼は、小さなレンズが数百個集まってできています。一つ一つが違う角度から光を捉えて、脳が一つの像に統合する。
この道場でやりたいのもそれです。
エニアグラムは人を複数の角度から見る目。同じ行動でも動機が違う。9つのOSの違いが見える。
インテグラル理論は物事を複数の角度から見る目。同じ事実でも立場・段階で意味が変わる。多次元で見える。
AIは訓練のパートナー。人には言いにくいことも試せる。反復できる。日常に持ち帰れる。
この3つで複眼を養成する。
もうちょっと踏み込んだ話もしたい
本音を言うと、もうちょっと踏み込んだ話もしたいんですよね。
去年は不特定多数に対してのnoteの発信をすごく頑張りました。それはそれですごく鍛えられたし楽しかった。でも不特定多数に向けて書くnoteでは、やっぱり書けないことがある。
たとえば、「あなたのチームが機能していない本当の理由」みたいな話。前提条件が揃ってないと誤解を生むような話。エニアグラムやインテグラルの共通言語がある上でしかできない話。
正しさの問題も、発達段階の問題も、一般向けに書くとどうしても角が丸くなる。でも道場なら、共通言語を持った仲間と、角を丸めずに話せる。
そういう話ができる場が欲しい。だから道場を作りました。
興味を持ったらどうすればいいか
まずDiscordに来てください。
自認タイプを名前につけてもらう非日常空間です。エニアグラムやインテグラルが共通言語として通じる場。逆仮面舞踏会。
一人で持ち帰っても、パターンは日常に溶けて見えなくなります。仲間がいると「あ、今パターン出てた」が続く。
Discordに入ったら、こういう道が開いていきます。
オンラインセッション ── 少人数で深掘り診断+対話。パターンの輪郭を探る
オフラインワークショップ ── 体験ワーク・対面の問答
メンバーシップ ── 深掘り記事・エニアグラムの話で人生相談
個別コーチング ── タイプ×発達段階の個別伴走
全部「複眼を養成する」ための道具です。
それか診断受けてみてください。ツールなのでこれで何かが確定するわけじゃありませんが、エニアグラムのことがなんとなくわかるかもしれません。
またメンバーシップも開催しています。メンバーシップでは、一般向けのき記事を、エニアグラムやインテグラルの考え方で書き直した記事を書いています。以下、参考記事です。
上記の記事を、以下のように書き直しています。
わかり合えないことを、わかり合う道
複眼養成道場のサブタイトルは「わかり合えないことを、わかり合う道」です。
無理に100%同期するのではなく、決定的な違いを前提として受け入れる。その上で、エニアグラムの地図とAIという翻訳機を使って、違うまま統合する。
「みんな違ってみんないい」では終わらせない。違うから諦めるのでもない。違うまま、やる。
面白そうだと思ったら、まずDiscordに来てください。
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BASE株式会社執行役員の柳川です。金融事業の事業責任者をしています。エンジニア→PdM→事業責任者というキャリアを歩んできました。
今日は本業の話ではなく、個人のサブプロジェクトの話です
