夏至|いちばん光が長い日に、内側の影を責めない
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
暦は、芒種から夏至へ。
芒種は、
種をまくころ。
種をまいたからといって、
すぐに実るわけではない。
見えないところで、
根が伸び、
土になじみ、
少しずつ育っていく。
だから、
急いで実らせようとしなくていい。
そんな話を書きました。
そして、夏至。
夏至は、
一年の中で、
いちばん昼の時間が長くなるころ。
光が長くなる日です。
明るい時間が増え、
季節は夏へ向かっていきます。
そう聞くと、
どこか前向きな感じがします。
外へ出る。
動き出す。
開いていく。
明るい方へ向かう。
そんな印象を持つ人もいるかもしれません。
でも、
光が長い日だからといって、
自分まで無理に明るくならなくてもいい。
夏至は、
光がいちばん長い日であると同時に、
光と影の関係を思い出す日でもあります。
今日は、
いちばん光が長い日に、
内側の影を責めない。
そんな話を書いてみようと思います。
夏至は、光が長いころ
夏至は、
一年の中で、
昼の時間がもっとも長くなるころです。
朝の明るさが早くなり、
夕方の光も長く残る。
外の世界は、
少しずつ夏の気配を帯びていきます。
緑は濃くなり、
空気は湿り気を帯び、
雨上がりの葉には光が残る。
梅雨の中にありながらも、
季節は確かに夏へ向かっています。
光が長い。
ただそれだけで、
少し動き出せそうな気がする日もあります。
朝の光に助けられることもある。
窓の外を見て、
少し呼吸が戻ることもある。
夕方まで明るいことで、
一日の中に少し余白があるように感じることもある。
光には、
人を開かせる力があります。
でも、
光が長いことと、
自分の内側が明るくなることは、
同じではありません。
光が長い日にも、影はある
光があるところには、
影があります。
強い光が差し込むほど、
影がくっきり見えることがあります。
木漏れ日。
葉の影。
カーテンの揺れ。
机の隅に残る暗さ。
光と影は、
どちらか一方だけではありません。
どちらかが欠けては成り立ちません。
これは、
心や体にも似ています。
明るい季節になっても、
自分の中に重さが残っていることがあります。
周りが動き出しているように見えても、
自分はまだ少し止まっていたいことがあります。
外は明るいのに、
心はまだ曇っている。
日が長くなっているのに、
体はまだ梅雨の湿度を引きずっている。
そんな日もあります。
でも、それは、
おかしなことではありません。
弱いからでも、
遅れているからでも、
整っていないからでもない。
人の中には、
光と影の両方があります。
夏至の日は、
その両方を思い出す日とも言えます。
明るい季節ほど、暗さが目立つことがある
季節が明るくなると、
自分の暗さが余計に気になることがあります。
みんなが元気そうに見える。
楽しそうに見える。
前に進んでいるように見える。
夏に向けて、
予定を立てたり、
外へ出たり、
人と会ったりしているように見える。
その中で、
自分だけが少し重いように感じる。
自分だけが、
まだ切り替えられていないように感じる。
自分だけが、
光に向かえていないように感じる。
でも、
本当に遅れているのでしょうか。
もしかすると、
外側の季節の速度と、
自分の内側の速度が、
少し違っているだけかもしれません。
体には、体の速度があります。
心には、心の速度があります。
思考には、思考の速度があります。
季節が進んだからといって、
自分の内側まで同じ速さで進むとは限りません。
外が明るくなっても、
心はまだ雨の中にいることがあります。
日が長くなっても、
体はまだ休みたがっていることがあります。
それを、
責めなくてもいい。
夏至の光は、
急がせるための光ではなく、
今の自分の内側を少し見えやすくしてくれる光です。
内側の影を、すぐに消そうとしない
自分の中に影を感じると、
私たちはすぐに消したくなります。
不安を消したい。
迷いを消したい。
疲れをなくしたい。
焦りをなくしたい。
落ち込みを早く抜けたい。
前向きになれない自分を変えたい。
人と比べてしまう自分をやめたい。
もちろん、
苦しさがあれば、
少しでも楽になりたいと思うのは自然です。
でも、
影をすぐに消そうとすると、
その影が何を知らせていたのかを、
見逃してしまいます。
不安の奥には、
大切にしたいものがあるかもしれません。
迷いの奥には、
雑に決めたくない気持ちがあるかもしれません。
疲れの奥には、
休まずに走ってきた時間があるかもしれません。
焦りの奥には、
取り残されたくない不安があるかもしれません。
落ち込みの奥には、
期待していた自分とのズレがあるかもしれません。
影は、
ただ悪いものではありません。
まだ言葉になっていないものが、
影として見えていることもあります。
だから、
夏至の日に、
内側の影をすぐに消そうとしなくてもいい。
まずは、
そこにあることに気づく。
ああ、今ここに影があるんだな。
それくらいでいいのです。
光は、影を責めるためにあるのではない
光があると、
見えるものが増えます。
部屋の中も、
机の上も、
自分の状態も、
少し見えやすくなる
でも、光は、
影を責めるためにあるのではありません。
暗いところを見つけて、
「ここがだめだ」と言うためにあるのではない。
影を照らして、
無理やり明るくするためにあるのでもない。
光は、
ただ、そこにあるものを見えやすくしてくれるもの。
今の自分の状態に、
少し気づかせてくれるもの。
それくらいの距離感でいい。
夏至の光も、
自分を急がせるためのものではありません。
もっと明るくなれ。
もっと動け。
もっと外へ出ろ。
もっと前向きになれ。
そんなふうに、
自分を追い立てるものではない。
むしろ、
今いる場所を少し照らしてくれるもの。
影がある自分も、
そのまま見てもいいと知らせてくれるもの。
そんな光として、受け取ってもいい。
影があるまま、光に触れていい
光に触れるために、
先に明るい自分にならなくてもいい。
元気になってから外へ出る。
前向きになってから人に会う。
整ってから動き出す。
気持ちが晴れてから何かを始める。
でも、本当は、
影があるまま光に触れてもいい。
疲れているまま、
窓を少し開けてもいい。
迷っているまま、
空を見てもいい。
不安があるまま、
深呼吸をしてもいい。
元気になりきれないまま、
朝の光を少し浴びてもいい。
影を消してから光に触れるのではなく、
影があるまま、
少しだけ光に触れる。
その方が、
今の自分にやさしいことがあります。
光は、
完璧に整った人だけに届くものではありません。
疲れている人にも、
立ち止まっている人にも、
迷っている人にも、
まだ言葉にならないものを抱えている人にも、
静かに届いていいものです。
夏至は、頂点であり、折り返しでもある
夏至は、
昼の時間がいちばん長い日です。
光がひとつの頂点を迎える日。
でも同時に、
ここから少しずつ、
昼の長さは短くなっていきます。
いちばん光が長い日は、
折り返しの始まりでもあります。
いちばん明るい日なのに、
そこから少しずつ、
陰の時間も戻ってくる。
頂点は、
ずっと続くものではない。
光のピークにも、
次の巡りが含まれている。
そう考えると、
夏至は、ただ明るい日ではなく、
光と影のバランスを思い出す日であるとも言えるのです。
ずっと明るくなくていい。
ずっと元気でいなくていい。
ずっと前向きでいなくていい。
光にも巡りがあり、
影にも巡りがある。
人の心と体も、
同じように巡っていく。
だから、
今日がいちばん光が長い日だからといって、
自分の内側まで無理に光で満たそうとしなくていい。
光の長さを感じながら、
自分の中にある影も、
一緒に見てあげる。
それでいいのです。
梅雨の中の夏至
夏至のころは、
まだ梅雨の中にいます。
空は曇り、
雨が降り、
湿度が高く、
体が少し重くなる日もあります。
夏至なのに、
光が見えない。
そんな日もあります。
でも、
光が見えないからといって、
光がないわけではありません。
雲の奥には、
ちゃんと光があります。
雨の日にも、
昼の長さはあります。
曇っていても、
季節は静かに巡っています。
これは、
自分の内側も同じかもしれません
今は光が見えなくても、
何もないわけではない。
気持ちが晴れていなくても、
中で何かが動いているかもしれない。
体が重くても、
休みながら次の季節に向かっているかもしれない。
梅雨の中の夏至は、
光を強く浴びる日ではなく、
見えない光を信じる日でもあります。
今日、少しだけ光を入れる
夏至の日だからといって、
特別なことをしなくてもいいと思います。
大きな目標を立てなくてもいい。
無理に外へ出なくてもいい。
夏らしいことをしなくてもいい。
ただ、
少しだけ光を感じてみる。
朝の明るさ
雨の隙間の白い空。
カーテン越しの光。
雲の奥にある明るさ。
夕方まで残る昼の気配。
それを少し感じる
そして、
その光の中で、
今の自分に戻ってみる。
今日の体はどうか。
心はどこにいるか。
思考は何を急いでいるか。
内側にどんな影があるか。
その影を責めずに見られるか。
光が長い日だからこそ、
自分を急がせるのではなく、
自分に戻る時間にしてみる。
それも、
夏至の過ごし方のひとつです。
今日の小さな問い
夏至の日に、
少しだけ問いを置いておきます。
今日、どんな光を感じましたか。
その光は、
強いものでしたか。
やわらかいものでしたか。
今の自分にとって、
少し眩しすぎる光はありますか
明るくならなきゃと、
無理をしていることはありますか。
今、自分の中にある影は何ですか。
その影を、
すぐに消そうとしていませんか。
責めずに置いておくとしたら、
どんな言葉をかけてあげたいですか。
今日、少しだけ光を入れるなら、
どこから入れられそうですか。
全部に答えなくていいです
ひとつだけでもいい。
夏至の光の中で、
自分の内側にも少し目を向けてみてください。
いちばん光が長い日に、内側の影を責めない
今日は、夏至。
一年の中で、
いちばん光が長い日です
でも、
光が長い日にも、
影はあります。
外が明るくても、
心がすぐに明るくなるとは限りません。
季節が進んでも、
体が同じ速度で進むとは限りません。
周りが動き出していても、
自分はまだ立ち止まりたいことがあります。
それを、
責めなくていい。
光があるからこそ、
見えてくる影もある。
その影は、
消すためだけにあるのではなく、
自分の状態を知らせてくれるものかもしれません。
夏至の日に、
無理に明るい自分にならなくてもいい。
強い光を浴びて、
急いで変わらなくてもいい。
今の自分のまま、
少しだけ光に触れる。
そして、
内側にある影を責めずに、
そっと置いておく。
光と影の両方を持ったまま、
今日の自分に戻っていく。
そんな夏至の過ごし方があってもいい。
いちばん光が長い日に、
内側の影を責めない。
今日の光が、
今の自分を急がせるものではなく、
少しやさしく照らしてくれるものでありますように。
ととのえ職人
五木田穣
関連記事
・芒種|種をまくころ、急いで実らせようとしない
芒種から夏至へ。見えないところで育つ時間を大切にする、今回の記事の前提になる二十四節気の記事です
・夏至の前に、少しだけ光を入れる
夏至を前に、無理に明るくならず、今の自分に届くくらいの光を入れる記事です。
・光が強くなる前に、影も置いておく
夏至前のととのい村限定記事として、光に向かう前に影を置いておくことを書いた記事です。
・梅雨の疲れは、怠けではなく調整のサイン
体の重さや気分の沈みを、怠けではなく季節の影響として受け取る視点を書いた記事です。
・雨の日は、前に進まないととのえ方
雨の日には、進むことより立ち止まることを大切にしてもいい、という記事です。
また、私が信頼する栄養士の長谷川智子さんの記事もご紹介させていただきます。
私の二十四節気シリーズの記事では、食については取り扱っていませんが、季節に合わせた食があります。ぜひ、ご参考にされてください。より、ととのうでしょう😊
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございました!
サポートも嬉しいですが、スキやコメントなどのリアクションもいただけると、とても励みになります☆