言われてうれしかったり心に残ったりする言葉たち〜「どうしたんだーい。おなかでも痛いのかい?」
いつまでも、心に残る言葉というのがある。
記事にも載せたことのある、不登校をし始めた息子への
「自分で決めたあなたは、とても立派だよ」
とか
黒柳徹子さんの
「あなたをね、認めてくれる人はね、必ずいますから」
とかもそのひとつ。
時々心に浮かぶ、過去に私がもらった言葉たちを残しておこうと思った。
長男が小1で登校しぶりを始めたころ。
そういうときは、私も一緒に登校した。
道行くコスモスの花びらの数を調べたり。
空の雲を眺めたり。
私自身が小学生の時、片道30分歩く中で毎日いろんな発見をしたり空想して想像の世界で遊んだりして、長い登校時間もそれなりに楽しかったので、息子にも味わってほしかったのだ。
でも、息子の足取りは重い。
歩いて10分の校門までの道が30分かかった。
校門に着くと、その足は地面にがしっと根が生えたように動かなくなり、私は―いま思い出してもあまりにひどい仕打ちで腸(はらわた)がひっくり返りそうになるけども―、その息子を力づくで引っ張り―ああ、、ひどい―、昇降口の近くまで連れて行ったりした。
息子は小さいながらも精一杯の抵抗をし、私のお腹を思いっきり殴ったり蹴ったりしてきた。
それでも、連れて行った。
そういえば私はそのとき、妊婦だった。
そういうことは、何回もあった。
先生は「連れてきてしまえば大丈夫ですから」「お母さん、ここでがんばらないと、このまま休んでしまいますよ」と言い、私ときたら「そうか」と思い、心をちぎられるような気持ちで、そのひどい行為をした。
※数年たったいまは、不登校は問題行動ではないとの文科省の指針があり、先生によるそのような言葉掛けや、無理矢理連れて行ったり強く登校を促したりする先生の存在はほぼなくなった。
息子の、どうしても学校が嫌だという気持ちよりも、教育のプロである先生による「お母さんは頑張らなければならない」というプレッシャーを、私は優先していた。
ある朝。
やはり無理矢理に連れて行き、昇降口まであと少しのところで、息子はもうてこでも動かなくなった。
そのとき。
そこで落ち葉を掃いていた教頭先生が、のーんびりした雰囲気で声をかけてきたのだ。
「どうしたんだーい?おなかでも痛いのかい?おなか痛かったら、おうちに帰って、お母さんと一緒にゆっくり過ごしてね」
あまりに牧歌的なその声は、私の涙腺を緩ませるのに十分だった。
先生の前で、涙を止められなかった。
「お母さん、いいんですよ。子どももね、行きたくないことはありますよ。ゆっくりさせてあげてください。学校は、つらい気持ちで来る場所じゃないですよ」
と、それはもう、朗らかに朗らかに。穏やかに。
思わず、泣き笑いをしてしまった。
息子が登校しぶりをしていることを知ってか知らずか、そんなふうに声をかけてくれたとき、私はふうっと、力が抜けた。
ちなみに夫が連れて行くと、まずは息子とふたり、校庭を眺められる石に腰かけて時間を過ごし、やはりだめならそのまま帰宅した。
夫のおおらかさがあったから、息子はなんとか無事だった。
子ども第一の教頭先生。
地区の中では大きな学校だったので、管理職としては苦労も多かったと思う。
この教頭先生の態度、言葉で心が軽くなった子どもや親の数は、かなり多かったに違いない。
その後別の小学校で、校長になった。
あたたかい学校だったのだろうと思う。
そしてこないだ、定年退職し、他の自治体で地域のために活動しているこの先生と、久しぶりに私と夫は会った。
「◯◯君、元気にしてますか?」
たった2年しか学校に行かなかった息子を、覚えてくれていた。
ずっと気にかけてくださっていたと知った。
夫が、「息子は通信高校に通って、楽しくやってますよ」と伝えると、あのころと同じような牧歌的な声で「そうですかぁ、それはよかった」と顔をほころばせた。
私の子育てにおける恩人のひとり。
あの一言で、私はずいぶん救われたのだった。
それからも長男の行ったり行かなかったりの登校は続き、「無理矢理連れて行くのは、もうやめます」と、明確に担任の先生に断言したのは、その翌年のことであった。
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