完了形の用法はまやかしだ!!
「貞子と完了形」の続きです。
大仰なタイトルですが、読み物として楽しんで頂ければ幸いです。
※下線はリンクですので、クリックしていただければ、解説記事に飛びます。&ここでいう「日本語英語」とは、現学校教育で教えている英語(文法)を指しています。
なぜ、完了形はこんなにも難しいのでしょうか?
英語は、物理学や哲学のように、習得に自分の能力は依存しません。なぜなら、ネイティブは、子供だって自由に使いこなせているからです。
ではなぜ?・・・、何かがおかしい・・・。
そう、自分に問題が無いとすれば、その間を橋渡しをする日本語英語に問題があるのでは?と言うことにならないでしょうか。
今回、全く新しい視点で完了形の用法を解説故に、現状の日本の英語教育の前提を、否定しているので、戸惑いや拒絶、あるいは失笑が起こるかも知れません。しかし、こうすることで、とてもシンプルになり、完了形のみならず、仮定法、助動詞過去の時制の複雑性が解消する、だけでなく英語の特徴である俯瞰認知も統一できるのでご紹介します。
ひとつの考え方として面白いと思いますので、一読してもらえれば幸いです。
自問自答していますので、口語調ですがご容赦ください。
最初に本記事の結論。
完了形の用法は機能ではなく分類
順に説明いたします。
さて、
われわれ日本人が、完了形を理解し難いのは、単純に日本語に完了形がないからではないでしょうか。
無いから、言語的に完了形がない日本語だから、日本語で完了形を理解するのが非常に難しいのだと思われます。
だから、
完了形がない日本語からの世界認知ではなく、完了形が必須な世界観を構築しないと理解は不可能なのでは?
その世界観が、↓以下の『世界を時間で分けない』ことだと思うのです。
------------
present form(現在形の原語)
話者に関係がある、関与できる世界
つまり、話者がいる世界の描写
past form(過去形の原語)
話者に関係がない、関与できない世界
つまり、話者がいない世界の描写
------------
英語文法Grammarの"present form", "past form"と、日本語文法の「現在形」、「過去形」は、お手元の英語文法書を確認しても判るとおり、同一ではありません。
さらに、古英語では独立した動詞変化としてあった「仮定法」が現代英語で吸収消失したことを加味すると、その原意は以上のようになると思われます。
日本語英語で教えている、英語の現在形の意味である、現在の習慣、天体の運動、バスの運行、時間的に現在、etc・・・というのは、総括すると、上述の、
話者に
「影響する関与する」
事である。
と言うことで一つにまとめることが出来るからです。
例えば、
静岡駅で上りの新幹線に乗ったら東京へ、下りに乗ったら大阪へ。
でも、もし南北に静岡駅発の新幹線があったら(現実は無い)、新潟へも簡単に行けるのに。
今、あの高草山に登れば、富士山が一望出来る。でも、もし鳥になって高草山と同じ高さに飛べれば、いつでも素晴らしい眺望を見る事ができるのに。
静岡駅に今自分がいるのも現実。東に東京があるのも、西に大阪があるのも現実。
このホームから乗れば東京へ行くことも現実、反対のホームは大阪行くことも現実。
どっちに乗ろうが、直接自分に(あなたに)影響する関与できる現実の話(中学で習うif=直説法)です。
しかし、静岡発の南北の新幹線に乗るのは、実際には無いから自分にもあなたにも全く影響しない話です(高校で習う仮定法)。
高草山に登ろうが登らまいが、登れば富士山が見えるのは現実の話。自分が(会話しているあなたも)登れば見えます。直接自分に影響がある話(直説法)。
しかし、自分が鳥になって空高く飛んで眺望を楽しむのは、自分には(当然話している相手も)全く影響しない関係がない関与できないことです(仮定法)。
present formを現在形と訳したから、このなかの時間しか意味しなくなった。
だから、日本語英語の眼鏡を通すと、英語には現在形の意味が、幾つもあって多義的に見えてしまうのです。

一方、
単純過去形は、時間的に話者のいる今と完全に切れて関与出来ません。
昨日という過去の時間にいる彼女は、今日の私に声を掛けることは出来ません。同じように、現実不可も妄想も関与できません(妄想彼女が現実の私に声を掛けることは出来ません)。関与できない事で両者を一括りにし、一緒にしたという事です。
過去の彼女と妄想彼女は、理由は違いますが、影響できない、関与できないと言う意味について同じだからです(past formで描くのは結局、今わたしやあなたに影響できない、今のわたしやあなたがいない世界の記述)。
※詳細は「英語の言語構造におけるパラダイムシフト」と「過去形の多義性と三単現のsがある理由」にてご参考下さい。
ここで、
ようやく本題です💦
以下、T.D.ミントン著「ここがおかしい日本人の英文法」9章、11章から引用。
「現在完了形」は、その名が示す通り、過去に起こった事柄が、現在と極めて強いつながりを持つ時に使われます。
→とあり、その例として。※以降「→」はわたしの見解です。
------------
I’ve had lunch.
例えば、「昼食はもう食べてしまったので(折角ですが、あなたの昼食の誘いには応じられません)」とか「昼食はもう済ませたので(今は時間があります)」など
------------
→()内は発言していませんが、言外に言いたいこと。過去の出来事を理由にした今の状態。つまり、現在ときわめて強いつながりを持つこと。
また、別の例として。
------------
mother: Don’t forget to clean your teeth!
son: I’ve already cleaned them.(So I don’t need to do it now.)
A: When are you going to Sapporo?
B: I’ve already been.(So I have no intention of going there now.)
------------
→()内が実際には発言していないが、上述と同じように過去の出来事を理由にした今の状態=現在ときわめて強いつながりを持つこと。つまり、言外に言いたいこと。
三つの例文とも
話者に関与できないはずのpast(過去)を、今に繋げ、現在形のhaveで持って、present(現在)に関与させてます。
一方
河上道生著「英語参考書の誤りとその原因をつく」改訂増補版p376〜p398
この書物でのこの部分の論点は幾つかありますが、述べられていることから言えることは以下の通りです。
完了形(完了進行形)の「完了」、「継続」、「経験」は動詞、文脈によってまちまち。
「完了」の代表であるhave goneでさえも「継続」や「経験」の用法が用いられることがあるというのです(→p387参照)。
もう、ムチャクチャです。目眩がしてきます。
こんな支離滅裂な文法を我々は、どうやって理解し、使っていけばいいのでしょうか?
途方に暮れてしまいます。
しかも
John has been painting the door.
に至っては、ネイティブの言語学者によってでさえ、ペンキが塗り終わっているか終わっていないかが意見が違うのです。
まったく、一体これはなんなんでしょうか!??
Why American people!!!?
厚切りジェイソンじゃなくても、キレたくなります!!
そもそも、「完了している」ことと「継続している」は意味的に真逆のこと。それが、動詞や文脈、場合によっては聞き手によってでもマチマチと言うのは、あまりにもおかしいじゃありませんか。伝えたいことがコロコロ変わるなんて、意思伝達の言語としての機能が成りたたないです。そんなことが文法用法としてあっていいでしょうか?
いやない!
機能が一定しないどころか、真逆になるなんて!それじゃ、機能の用を成さないじゃないか!!
しかし、どんな状況でも変わらないことがあるとすれば、それは前述の
「発話時以前に起こった事柄が、発話時の『今』に関係する」
と言う点。
という事は
この『発話時以前に起こった事柄をネタにして言外に言いたいことがある』が、完了形が言い表す本質ではないでしょうか?「完了」、「継続」、「経験」の用法ではなく。
つまり
ネイティブが完了形を使うのは、「完了」、「継続」、「経験」を言い表したいのではなくて、過去の出来事が今、影響ある、関与する事を表現したいからだ。という事です。
過去が現在に一切影響関与できない(という英語の構造)から、今わたしに関与させるために、現在形のhaveで持つのであり、そのネタを分類すると、「完了」、「継続」、「経験」に分けられる、と言う事です。3つとも過去の出来事という事で一緒です。
そう
仮定法と同じく、表現したいところ大事なところが違っていて、見当違いな事をしているのです。※仮定法についての詳細は「仮定法はまやかしだ!!3」にて
つまり、
完了形には
「完了」、「継続」、「経験」の機能があるのではない。
完了形は過去の出来事を今に影響させる表現にすぎない。
こう言う事です。
今現在に関与させる話しの「ネタ」は、
下図のように、『そのネタは——発話時に終わった「完了」の時と、発話時でも続いている「継続」の時、発話時には既に終わっている「経験」場合の三種類に分類できる』と言うだけ。
そのネタを元に話を展開するのだから、そこには機能ではありません。ネタ元の分類だけです。
このように考えると、どんな場合も「言外に言いたいことが有る」ことの存在が変わらずあり、一方、用法は見解によって変わったり、曖昧だったり、二つの用法の意味があったりと、まちまちになるナゾの現象の説明がつきます。大事なのは分類ではなく、ネタ元が『今と関与出来ないpast』である事、一点だけです。
それなのに日本語英語は、ネタ元の『分類』を、『機能』としてしまうと言う、トンチンカンな事をしているのです。

ただし!
この考えは、一番最初に示したように、過去が現在と繋がっていない。完全に切れて影響できない、関与できない。と言う前提がないと成立できません。
逆に言うと、
日本語英語は、"present form", "past form"を「現在形」、「過去形」と時間の差しか示さない日本語の「現在」、「過去」にあてた。
だから、過去と現在が繋がっている上図のような『時間物差しスケール』を用いることになった。
しかし、このようにしてしまうと、過去と現在は切れていないので、関与できないはずの過去を、現在に繋げる(関与させる)必要性が無くなってしまった。
つまり、完了形の存在意義、完了形の意味がなくなってしまった。
という事です。
その結果、完了形の存在意義を持たせるために、繋げるネタ元の、ただの分類を『用法』と言う『機能』に持たせざるを得なくなってしまった。
だから
日本語英語の完了形は、用法にこだわる事になった。
そうしなければ、完了形の存在意義がなくなってしまうからです。
これでは、幾ら読んでも、どんな文法書をあたっても、本質と違うため、筋が通らず訳がわからなくなるのは当たり前です。
完了形が無い日本語で、完了形の概念をその日本語で理解させようとすることが、どだい無理な話なのです。
完了形がある英語で もっと正確に言うと『完了形が必然となる言語描写』でからでないと理解は出来ない。
その言語描写が日本語の現在形、過去形、英語のpresent form、past form の概念の違いなのだと思うのです。
完了形と過去形の違い
※時間物差しスケールを用いることのもう一つの重大な問題
先の、問題の『時間物差しスケール』を用いると、完了形の本質が見出せない。
だけでなく、結果的に、過去形と完了形の違いがなくなってしまった。
しかも、現在完了形はhaveの『現在形』なのに、過去形に日本語に訳すと言う、矛盾した現象まで発生してしまったのです。仮定法と同様、present, pastを現在、過去と言う日本語に訳さなければ、このような矛盾は生じないのです。
※下図の詳細は、前記事「貞子と完了形」にて。


ネイティブは過去形と現在完了形の違いについて、以下のように述べてます(T.D.ミントン氏同書p45-46)。
No one knows what happened to the explorer after he set out for the North Pole.
No one knows what has happened to the explorer since he set out for the North Pole.
「探検家が北極に向かって出発した後、どうなったかは誰も知らない」
日本文は同じでも、それに対する2つの英文は、非常に異なる意味を聞き手に伝えています。前者は、もうすべてが終わってしまって、探検家のことは忘れ去られ、もはや誰もその探検家を発見しようとか、どうなったか突き止めようなどとは思わない状態を表しています。一方、後者は、現在完了形が現在との明確なつながりを与え、状況は変化する可能性があることを伝えています。つまり、今後、探検家が発見されたり、あるいはどうなったかを私たちが知る可能性が残されていることがわかります。
引用終わり。
これは、Past form(過去形)が、今我々がいるPresent form(現在形)に、まったく影響出来ない、関与できない、関係がない事柄であるから、過去形はテレビや映画を見ているのと同じ。←TVや映画の中で起こっている出来事は視聴者には物理的に影響できない(貞子はTVから出てきて影響できるようになったから恐ろしいのです)。
と考えるとすんなり理解できます。
例文後者の完了形は、言外に言いたいことを、ミントン氏は示唆するだけで明言していませんが、その探検家がどうなっているのかわからない。だから、今、大規模な捜査隊を組織したとか、生存の可能性を見つけたとか、探検家を発見した。もしくは、残念ながら亡くなったことが判明したとかがあり、そういう事で、今現在と関係する、影響する、現在と極めて強い繋がりが有ることを表現したいから、切れて繋がりの無いはずの過去を今にhaveした表現を用いたと言うことなのです。
このように、完了形とは、過去の出来事を理由(ネタ)にした今現在の状態を表現する文法なのです。
現在完了形は、過去形ではないのです。
いまの状態を表す現在形なのです。
だから、現在完了形は"yesterday"とか"last year"とか過去を示す語句と一緒に使えないのです。
もっと根本的なことを言うと、日本語英語が、"Present form", "Past form"を「現在形」と「過去形」という時間の差しか無い日本語をあてたがために、日本語文法の「現在形」と「過去形」と同一視する事になってしまい、時間物差しスケールを用いることになってしまったと言うことです。※ちなみに、世界を時間で分けなければ、英語最難関である仮定法も簡単に解決します。詳細は「仮定法はまやかしだ!!」シリーズにて。仮定法過去が過去形なのに日本語の「現在形」に訳すのは同じ病理です。
整理すると完了形が理解困難になった理由は
日本語英語が
"Present", "Past from"を日本語文法の「現在形」、「過去形」と同一視した。
↓
時間ものさしスケールを用いる事になった
↓
pastはpresentと切れて関与出来ないのに繋がってしまった。
↓
完了形の必要性がなくなってしまった。
↓
その結果、完了形と過去形が同じになってしまった=現在完了形は現在形なのに過去形に訳すと言う矛盾が生じた。
↓
そこで、完了形の存在理由を、分類であった「経験」、「完了」、「継続」を機能にして求め、完了形とはこう言うものだ!!と強調することによって、現在形なのに過去形に訳す矛盾を、解決した(有耶無耶にした)。
そもそも、現在完了形(have)は現在形であり、過去完了形(had)は過去形です。
持っているのは過去形では無く、状態が転じた状態がそう変化したという「過去分詞」、受動態と同じ過去分詞を持っているのです。完了形の動詞変化とかの独自のしるし、というものは無いのです!
強引に結論付けましたがどうでしょう?💦
お手元の参考書や教科書のリーダーの完了形の部分を、ためしに、従来の完了形の用法を用いた日本語に変換せず、以上のように認知してみて下さい。ややこしい理解でなく、スムーズ理解になると思うのですが・・・。
ただ、参考書の場合、完了形の一文しか示されていないので、その一文が出る状況(空想)を膨らまし、言外に言いたい事を完全に自分で想像するしかありませんが💦。→先の北極の行方不明のように。
日本語と違い、英語は突然時制はズレない。
→現在形で語る中で、突然過去形の一文は出ない。
だから、過去の事柄を現在形のhaveで持つのです。
仮定法と同じく、一行を取り出すから、それが判らない。
今一度、リーダーの仮定法や完了形の一文がある長文を確認してみてください。
仮定法は、現在形で語る中で突然過去形を、過去形で語る中で過去完了を使って、時制の突然のズレとして存在していますよね?
逆に完了形は、過去のことを、今表現するときに、過去形を使っていませんよね。現在形のhaveなりhasで持ち出し、時制がズレていませんよね?
日本語英語は
仮定法が前後の文章の時制のズレで表現するのに、一文だけを取り出すからズレが判らない(→詳細は「仮定法の消失」にて)。
と同様、完了形も一文だけを取り出してその文法的な意味を審議するから、その真意がわからなくなるんじゃないんですか?
それだと言外に言いたいことも判りづらいから。
日本語英語は、英語を日本語と同一視しているから、こんなことが事が起こるんじゃ無いんですか??→詳細は「日本語英語の常識はまやかしだ!!!」、「couldの過去の一回限りの出来事について」にて
もう一度いいます。
お手元の教科書でも参考書(分厚ければ分厚いほど良いです)の「現在形」と「過去形」の項目を見てみて下さい。
どう考えても、日本語文法の現在形と過去形と同じじゃないでしょう。別物でしょう。
それなのに、日本語英語はイコール、同一視しているのです。
だから
言語の根幹が思いっきりズレているから
どんどん辻褄が合わなくなって、私のような、いくら勉強してもよく判らないという英語難民が生まれるのです!
完了形の真意は言外に言いたい事。だからこそ記していない。
ここまで読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。
あなたに幸あれ!
次は「悩ましい助動詞現在形+完了形」をお読みいただければ、さらに不明な点が明瞭になると思います。
※後記
村上春樹の『螢』の一節
寮のルームメイトの奇妙な行動を主人公が彼女に話した場面と、彼女と初めて出会った場面。
She laughed when I told her about my roommate's morning exercises.
I hadn't intended it to be funny, but I ended up laughing myself.
Her laughter lasted just an instant, and made me realize it'd been a long time since I'd seen her smile.
It was a Sunday afternoon in May.
We'd got off the train at Yotsuya Station and were walking along the bank beside the railway tracks in the direction of Ichigaya.
The rain had stopped around noon, and a southerly breeze had blown away the low-hanging clouds.
The leaves on the cherry trees were sharply etched against the sky, and glinted as they shook in the breeze.
The sunlight had an early-summer kind of scent.
Most of the people we passed had taken off their coats and sweaters and draped them over their shoulders.
A young man on a tennis court, dressed only in a pair of shorts, was swinging his racket back and forth.
The metal frame sparkled in the afternoon sun.
Only two nuns on a bench were still bundled up in winter clothes.
Looking at them made me feel that maybe summer wasn't just around the corner after all.
時制が違うことは同じ絵に描けない(時制が違う絵は違う画用紙で描いた絵)。
だから、時制が違うことを描くために、haveなりhadで持ち出して時制を合わせる。
→それを一般的には完了形と呼ぶけれど
We'd got off the train at Yotsuya Station and were walking along the bank beside the railway tracks in the direction of Ichigaya.
今描いているのは市ヶ谷の方へ歩いている絵。
四ツ谷駅で降りたのは時制が違う。
だから、完了形を使って時制を合わせている。
さらに、英語は、因果を結ぶ(原因とそこから導かれる結果をハッキリさせる)言語。
よって、その結果、結びを市ヶ谷の方向へ歩いていることで描写している。
つづく
The rain had stopped around noon, and a southerly breeze had blown away the low-hanging clouds.
も同じ。
描写したい、描写している絵は雲ひとつ無い快晴?であることで、雨が止んだことや、南風が吹いていることでは無い。
Most of the people we passed had taken off their coats and sweaters and draped them over their shoulders.
についても
描写しているのは、コートやセータを脱いだ絵では無くて、それらを肩に掛けている絵。
だから
この一番最初の
I hadn't intended it to be funny, but I ended up laughing myself.
も 最初から笑わせるつもりで、奇妙な寮のルームメイトのことを話したのでは無い。
結果的に笑ってしまったけれども←描きたいのはこの絵
したがって hadn't intended。
didn't intend ではなく。
I didn't intend it to be funny, but I ended up laughing myself.
は
ただ、単純に、
笑わせるつもりはなかった。でも結局笑った。
という並列。
一方、
I hadn't intended it to be funny, but I ended up laughing myself.
は
もとから笑わせるつもりで話したんじゃない。
でも話してみた結果、笑いが生じた
ということを描写している。
日本語訳では違いが無いけれども
つまり、完了形を用いることで時間的な立体性が描写されるのでは無かろうか。
