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帰ってきたアメリカ某州高校留学体験記・外伝:本編に入らなかった小ネタ集1 “The Capital of Japan is J”

※登場人物は実在の人々をモデルにしていますが、個人特定を避けるためにイニシャルで表記し、エピソードには適度なフェイクや時系列の再構成を施しています。半分ノンフィクション、半分思い出補正の混ざった「記憶遊び」として読んでもらえたら嬉しいです。


#0. はじめに:本編の補完としてお読みください

この文章は、『アメリカ某州 高校留学体験記』シリーズ本編にて書ききれず、カットした自分自身や友人のエピソードの中で、お蔵入りにするには惜しい、あるいは書いた後に改めて思ったことを、気分のままにオムニバスっぽく書き殴ったものである。

好きな物でも食べながら、もしくは酒でも飲みながら、各々の気楽なシチュエーションでお楽しみいただきたいです。

※先に本編を読んだほうが理解はしやすいですが、この記事単体でもお楽しみいただけます。

★留学体験記本編リンク【マガジン】※前編・中編・後編

※ドラム、友情、スクールカースト、そして恋愛……覚悟を決め、筆者の甘酸っぱい?自分史を素っ裸で描いてます。

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#1. 今思えば:留学の裏きっかけ

“My Linguistic Joke : Does It Make Sense ”

留学前の私は既に、音楽オタク、かつ覚醒前の言語オタクであった。

ある日の英語の授業。たぶん中3か高1の時だったかと思う。
英文ジョークを黒板に書いた。
「何か知ってる単語を使い、面白いことを考えて発表してみよう」的な実習だった。

“Where is the capital of Japan ?”
“J.”

野暮だが解説する。capitalは通常「首都」という意味の単語なので、
“Where is the capital of Japan ?” は「日本の首都はどこですか?」になる。

だが、capitalは多義的だ。「大文字」という意味もある(capital letterとも言う)。そこで、「日本のcapital=首都はどこですか?」と聞かれ、「capital=大文字」と捉えた受け手側がJと答える。そんな言語的ジョークを書いた、つもりだった。渾身の出来だと思った。

通じなかった。
生徒はともかく、英語教師にすら。
「ジョークの詳細を説明する」というシチュエーションの、何とみじめなことか。

私自身は「これは面白いはず」「ちゃんと意味が通じるはず」と信じていた。にもかかわらず、説明しないと伝わらないという現実。このズレこそが、私を外へ押し出したきっかけのひとつだったかも知れない。

言語そのものを体感できる外へ。留学とは、ジョークの文脈を探す旅、自分のセンスが正しかったと証明する旅、というと格好つけ過ぎか?

結果は本編でも記載したとおりだ。
終戦後のベビーブームのキャッチコピーを書くというアメリカ史の授業。

Don’t get sweat on the battlefield.
Just do it in your bed.
(戦場で汗をかくな、ベッドでかけ)

このタグラインは、大勢の英語ネイティブを笑わせた。英語圏で生活して初めて、「言葉の機微」「文脈による意味の跳ね方」「英語が伝わる・ウケる」という質感に触れることができた。

日本で全く受けなかった小さなジョークが、私の大きな一歩になったのだ。

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#2. Lと私の共通点 ―― 性癖?

“Odds and Ends : But We Were Cool, Or Hot ”

さて、私の中で半ば神格化された存在、ある種の偶像、留学の象徴のような娘でもあった、元ガールフレンド(彼女)のL。

本編の描写の通り、彼女は私にとって当然魅力的だったが、アメリカの学校社会では決して「ど真ん中でモテる」タイプではなかった。言い方はアレだが、「マニアックにモテる」女の子、と言ったら伝わるだろうか。

おしゃべりで、私のようなエイリアンにも初めから屈託なく接してくれ、バンドクラスのコンペへ向かうバスの中で脈絡なく私の頬にキスをしてくる自由さと奔放さがあり、hang out(デート)の車の中でも運転しながらトークが止まらない(さすがに映画を観ている時は比較的静かにしていたが)。そして、そんな彼女をとても好ましく思っていた。

“oddly hot” という言葉が英語にはある。直訳すると「奇妙に魅力的」。
hotの通常の意味は「熱い」だが、ネイティブは「魅力的」「エロい」「色気がある」といった文脈で(男女どちらにも)使うことが多いので、その系統の表現だ。

Lはまさに “oddly hot” だった。愛嬌のある顔。モデル体型などでは決してない分、それがかえって色気に繋がる雰囲気。今で言うところの「骨格ストレート」だったと思う。
あと、自らをNerdだと躊躇なく言い切る性格、テンションが上がると止まらないおしゃべりなども含めて。

日本の文化に置き換えるとすれば、「体型は細すぎない、バラエティではトークしてイジられつつもファンに愛されるタイプのアイドル」ぐらいが近いかもしれない。分からんが。

今の時代で例えるなら、インフルエンサー兼グラビアアイドルの桑島海空辺りか……?
骨格とか、笑うとちょっと無防備になる感じが、何となくLと重なるのだ。顔とか髪型とか髪色は全然違うけども。

一方の私は、存在自体が初めから “odd” (奇妙)。その土地の文化を知らない日本人で、ステレオタイプの大人しいイメージとは違い妙に積極的で(いきなり選択制のマーチングバンドクラスに飛び込むなど)、カーストなど気にせず横断し、ギリギリ許容範囲の性的ジョーク(前述の「戦場で汗をかくな、ベッドでかけ」のフレーズ)も授業中にぶっこむ。
大袈裟に言うと、トリックスター?のような。

ここからは推測だが、もしかするとLも私と同じ “odd” に惹かれる性癖の持ち主だったのかも知れない。でもなければ、同じバンド所属で、アメリカ史の授業で少し噂になっていたからって、スクールバスでいきなり話しかけてくるだろうか。
私たちはお互いに “oddly” フェチとして接近し、お互いを “oddly hot” “oddly cool” だと見ていたのかも……。

と、全ては分析に見せかけた、遥か昔の自分自身へ贈る、私の願望だ。

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#3. JAと、グラミーのエミネム & エルトン・ジョンのコラボを観る

“Marshall and Elton : Weren't They Sweet"

2001年のグラミーでは、とある最高のパフォーマンスが披露された。
エミネムとエルトン・ジョンのコラボレーション。それをホストブラザーにして友人のJAとテレビで観ていた、というだけの話なのだが。

このエピソードの「面白さ」を楽しむには、ふたりの歴史的アーティストの当時の社会的立ち位置や、彼らがコラボしたエミネムの楽曲《Stan》の内容を知らないと多分、理解できない。

音楽に詳しい方には既知、釈迦に説法だろうが、しばしお付き合いを。少し長くなる。

●《Stan》というエミネムによる「人間の暗部と弱さの描写」

《Stan》はDideの《Thank You》というバラードをサンプリングして曲間に挟みながら、「エミネム(歌詞内では一貫してSlimと呼ばれる)のストーカー的ファンであるスタンが、ファンレターとして書く手紙の文章」をラップとして奏でる、という内容である。

エミネムから返事が来ない状況に苛立ち、壊れていくスタン。最終的にはウォッカをたらふく飲み、妊娠中の彼女を巻き込んで(トランクに監禁)車を運転、死に至る。

終盤では、忙しくてファンレターを書けなかったエミネム本人の、スタンへの返事が展開される。そして、数週間前の交通事故のように君がならないようと心配する瞬間、その事故の犠牲者がスタン本人であることに気付き、曲は終わる。
“It was you …… damn.”

超絶技巧な韻の踏み方、複雑なリズムを破綻させずに紡ぐセンス、声に込める場面ごとの感情の乗せ方、手紙の文章さえもラップにしてしまうソングライティングの力、「ペンを走らせる音」すらもリズムやビートの一部として成立させるアレンジなど、彼のラッパー&トラックメイカーとしての天才性がよく表れているナンバーだ。

●エミネムは、当時アメリカ保守教育界にとって最大の問題児であった

同性愛者への揶揄、有名人へのディスなど、「過激さ」を挙げればキリのない白人ヒップホップスター、エミネム。その「教育に悪い」作風で、「子どもに聴かせたくないアーティストランキング」不動のトップだった。

教育的じゃない? いや、それを言い出したら『人間失格』も『罪と罰』も全部アウトだろう。芸術は「綺麗なこと」だけを描くものじゃない。特にヒップホップというジャンルは「現実の叫び」を言葉にする文化。

エミネムは過激なのではなく、アーティスト的にはむしろ誠実なのだ。痛いくらいに。

怒りも悲しみも憧れも歪みも全部ひっくるめて、人間という存在の強さと脆さを、音楽という鏡で映しただけ。まさに「聴く文学」。
だから「教育に悪い」という批判こそが、むしろ彼の価値と勝利を証明していた。

●エルトン・ジョンとの関係性

説明不要のUKピアノロックのレジェンド、エルトン・ジョン。彼がゲイであることをカミングアウトしているのは有名だ。

そんな彼がエミネム(表層的にはゲイの敵)と共演する。しかも、「極めて非教育的」な《Stan》で。エミネムがラップし、エルトンがキーボードを弾きながら《Thank You》のバラード部分を熱唱する。

大きな批判が巻き起こった。エルトンを「裏切り者」と糾弾するメディアもあった。

そんな状況を、ふたりは圧巻のパフォーマンスとその後のコメントで黙らせた。演奏後のふたりの熱いハグ。熱狂する観客。スタンディングオベーション。
彼らに比べて、Creedの演奏が何と薄く感じたことか(Creedファンの方、ごめんなさい)。

【グラミーでのパフォーマンス動画】

エルトン・ジョンのその後のコメントの要約。

「マーシャル(=エミネム)は誤解されてる。彼は同性愛嫌悪者なんかじゃない。知的で、クリエイティブで、ひねくれたユーモアの持ち主。そして歴代の偉大なアーティストと並ぶ存在だ(※)」。

※ふたりは「ゲイの当事者」と「それを揶揄する者」の壁を越えて親交を深めている。エミネムがドラッグ依存で苦しんでいた時期、エルトンはずっと彼を電話で支え続け、エミネムは「エルトンだけがマジで俺を助けてくれた」と感謝の意を述べ、後に彼の結婚祝いで、エルトンからダイヤのペアリングを贈ってもらったという逸話もある。タイプの異なる天才同士の共鳴だろうか。

あっという間にメディアは手のひらを返した。グラミーという、最大公的な音楽アワードの場で異端と主流が手を取り合ったあのステージ。表現者の覚悟と信頼が「世論というモンスター」をねじ伏せた瞬間だった。

――――――

長くなった。家のテレビでそんな「歴史的パフォーマンス」を目の当たりにした私とJA。

私はふたりのハグの場面で無意識にこう呟いた。

“Sweet……”
(素晴らしい……)

その囁きを聞いたJAが一言。

“Sweet ? No, it's quite bitter.”
(甘い? いや、苦い。苦すぎる)

いや違うJA!確かに《Stan》の歌詞は、とってもビターだけども!
多分この世で最も苦い曲のひとつだけど!
私はふたりの熱いパフォーマンスや関係性にsweetと言ったのであって!

結論を言えば、ふたりの感想はどちらも正しい。

私のsweetは、ふたりの和解・尊敬・超次元のステージに対する感嘆反応。

JAのbitterは、歌詞の文脈(ストーカー・DV・死・愛の暴走)に対する読解反応。

つまり、《Stan》という曲が持つ多層構造の魅力(汚いのに美しい)を、ふたりのリアクションで分解してしまったわけだ。

「高度に複雑なアートには、感情のレイヤーが幾重にも存在する」を表す、完璧な例だった。

と言うには、あまりにコメディチックな出来事だったが。何気ない日常の一コマ、それゆえにとても印象に残っている。

なお、あの曲のヒット後、“I stan you” “I’m a stan” など、現代の英語表現で “stan” は「熱狂的ファン」を意味する単語になった。

《Stan》はやはり、恐るべき名曲だ(※)。

※なお、大人になって改めて聴き直し、彼のリリックや韻の踏み方、声に乗せる「演技力」の凄まじさを文章で言語化しようとしたのだが……高度過ぎて(あと語るべきことが多過ぎて)、いったん白旗を上げてしまった。降参。
いずれ再チャレンジします。

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#4. JとD:「完璧なカップル」の板挟みに合う

“Wall of Japanese : Stuck in the Middle"

《Malcolm in the Middle》(マルコム・イン・ザ・ミドル)という作品がある。2000年代に人気を博した、FOXのテレビドラマ。ある日「IQ165の天才」であることが判明してしまった少年マルコムが、個性的な親や兄弟、友人たちとのトラブルに巻き込まれるコメディ。日本語に訳すと「板挟みのマルコム」みたいな感じか。

脈絡なく話が飛ぶが、そういえば本編ではJとの出逢いの詳細を描写していなかった。
初めて知り合ったのは数学のクラスにて。
アメリカの高校の数学は、日本のそれと比較して「極めて簡単」だ(高2の授業なのに、二次方程式とか因数分解とかを普通にやっていた)。日本のほうが進んでいると言ってもいい(既にアメリカの大学入試レベル)。

なので、数あるクラスの中でもかなり「余裕を持てる」ほうで、あまり集中せずともよく、彼とは授業中でもかなり私語を繰り広げた。

本編でも説明の通り、「アメフト部という体育会系の陽キャなのに、日本のアニメ好き」という極めて珍しい属性持ちの彼が、ジャパニーズである私へ最初からフレンドリーに接近してきたのは自然な流れだった。
例のチアガールhang outの事件も実は授業中でのことだったが、それは置いておいて。

彼は米国の学校文化でいう典型的な “Popular Kid” 。文武両道、アメフト選手としては比較的小柄なほうだが、ぱっちりした瞳のベビーフェイス系でルックスも良い「勝ち組」だ。
にも拘らず、(確か弟の影響で)日本のサブカルに詳しく、私が知らないアニメも相当知っていた。私からは日本文化やひらがな・カタカナ・漢字のシステムなどを教えつつ、彼からは「アメリカの学校文化・生き残り方と日本のサブカル両方」を学ぶという、なかなか奇妙な異文化交流と相成ったわけだ。

類は友を、人気者は人気者を呼ぶ。程なくして、Jの友人たちを紹介された。特に仲良くなったのは、JのガールフレンドのDである。

彼女もまた勉強・スポーツ共に得意、さらに外見も可愛いと来た。色白、薄いブロンドのまっすぐなロングヘアー、スタイルも良い。

JとD。アメリカ社会が求める「理想の」パーフェクトカップル。

ホストブラザーのJAと並び、彼らがいなかったら私の留学生活はもっと暗闇の中をもがく毎日になっていた、確実に。一緒にホームパーティーに参加するなど、「典型的なアメリカティーンの遊び方」も彼らと共に楽しんだ(なおJAには別の友人グループがあり、そちらと遊んだことも何回かあるが、よりウマが合うのはJとDのグループ、そしてもちろんLやバンド仲間だった)。

さて、そんな「どこから見てもパーフェクト」なふたりであったが、やはり全てが思い通りにはいかないらしい。
というか「完璧」だと思っていたのはあくまで私の主観であり、男女の仲である以上、大なり小なり悩みが尽きないのは日米共通である。

「彼女とそういう関係に至れていない」ことをJと互いに相談したことは本編にも書いたが、実はDからも同時期に相談を受けていた。どんなタイミングだったかは失念したが、場所は学校の廊下。放課後だったかな。内容が内容なだけにJはいなかった。それは確実だ。

Dは何故私に相談したのだろう。もちろん仲が良いのもあっただろうが、恐らく「私が期間限定の身分であり、後腐れの心配が薄い留学生」だったから、というのも大きかっただろう。あと、そもそも解決を求めていない愚痴のようなものだった、ということもある。

D曰く。「日本人の君に相談するのも気が引けるんだけど……私ね、彼の “あの” 趣味だけは理解できないの。もちろん彼のことは愛してる!それだけになおさら」

「もちろん愛してる」か。
やっぱアメリカ人の愛の伝え方はストレートやなあ、わいも参考にしよっと。

……違う違う、現実逃避してる場合じゃない。

つまり、Jの日本のアニメ趣味に、Dは興味が持てないということだ。

私「ふたりでアニメを観たりしたことは……なさそうだね、俺も君たちが一緒にアニメ楽しんでる場面なんて一度も見てない」

D「そうなの、しかも子どもっぽいと思ったら凄く残酷なシーンもあったりするし、正直混乱する。ねえ、どう彼に伝えればいいと思う?」

……なぜ、私に聞くのさ。ふたりのアメリカ人の間にそびえる、日本人という名の壁、または板、それが私。まあ、Dは割とクリスチャンだと言うのは本人からもJからも聞いているし、その価値観からすればしょうがない部分もあるよなあ……(※)。

※Jのお気に入りジャパニーズアニメは『A KITE』。(私は当時知らなかったのだが)元々ポルノアニメとして製作され、無国籍風の美術描写、銃撃戦などの映像美、ハードボイルドな世界観が絶賛され、性的な部分をカットして改めてアメリカでもリリースされた、というカルト的人気のある作品である。なお、性的描写を除いても、かなり残酷でグロいシーンがある。なので検索は自己責任でお願いします。

私「うーん、彼はアニメ観るのをやめないだろうし、それでも君は彼のこと愛してるでしょ?正直に言うのが一番だよ。例えば、君がいる時は見て欲しくはないけど、その趣味を否定はしない。君と一緒じゃない時はアニメを楽しんで。でも君がいる時は君を最重要にしてほしいな、とか」

D「そうだね、君の言う通りかも。ありがとう。やっぱり留学生って頭いいんだね。日本では成績良かった?」

……彼女が納得したかは不明(多分してない)だが、なんと話題転換の上手いことか。さすがは人気者の陽キャ。しかもさりげなく相手を褒めるフレーズを、息をするように自然に入れる。Jにもそういうところがある。

やっぱり似た者同士、とてもお似合いの「理想の」カップルですよ、君たちは。

日本人にしてドラマのマルコム少年の気分を味わうという、ある意味レアな異文化体験であった……とは言えない。
むしろこれは、「日本人もアメリカ人も、ティーンエイジャーはあんまり変わらん」という共通性の話である。日本でも私はそういう立ち位置になることが多かったので。

留学生は基本的には「カーストピラミッドの外」にいる、ヒエラルキー適用外の立場だが、条件によっては「母国でのヒエラルキーをそのまま輸入することもある」……と、無理やり文化論稿っぽくしたところで。

両国家の愛すべき友人たちへ。何でいつもいつも、私を男女の間で板挟みにすんねん!

……青春とは、かくも美しかった。

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#5. 選ばれしエリート:ジャズバンドクラスという教育要領

“The Valley : We're Both Students, But Different”

本編にて、「アメリカの学校教育は実質的なエリート養成である」と書いた。

その時の例としては、「スポーツエリートであるJocksとそれ以外で、体育の枠自体が異なる」ということを語ったが、これは体育だけに限らない。英語の授業はもちろん、バンドクラスまでもがそうだった。

という話と、別軸として、「米国のハイスクールの授業で学んだ、大文字の本当の意味」についても記述したい。

一般生徒の体育クラスは、せいぜい「肥満解消・予防のための運動プログラム」程度だった。ぬるい。とってもぬるい。私はスポーツがめちゃくちゃ好きというわけでは無いが、NBAは大好きだし走るのも得意。割と「運動できる」ほうだった。あくまで一般クラスでは。その授業には当然、運動音痴も多かったから。

その傍らで、本格的なウェイトトレーニングを「授業中に」行なうスポーツエリート達。あれを見れば誰もが思うだろう。住む世界が違うと。

前述の通り、そんな教育はマーチングバンドにも存在し、バンドの中でも一握りのエリートがオーディション(トライアウト)を経て、別枠として「ジャズバンド」クラスに所属できる。ギターやベースももちろんいる(彼らはマーチングでは別の楽器)。
ドラマーとして、MやNはもちろん所属。Aは在籍していなかったが、彼はドラマクラスも兼任していたのが理由だろう。実力的には彼も明らかに「入る資格がある」レベルだった。

すこーしだけ専門的な話になるが、ロックやポップスなどのジャンルでは、ドラムセットの土台は「スネアドラムとキック(バスドラム)」だ。
極論、シンバルを刻まずとも、そのふたつだけでビートは成立する(Queenの《We Will Rock You》を思い浮かべると分かりやすい。ドンドンタン、ドンドンタン)。

だが、ジャズドラムは根本の構造がまるで違う。
プレイの軸はシンバルレガート(チーチチチーチチ、みたいなあの音)にあり、「私が叩けるドラム」においては主役のスネアやキックが「装飾的な扱い」になる。
つまり、シンバルを細かく刻むのを土台とし、他のパーツは極端に言えば「全てが装飾とアドリブのための材料」になるのだ。

私は未だに、あのジャズドラム構造が頭では分かっていても身体には染み付いていない。何となくの真似事が辛うじてできるレベルだ。
映画『セッション』(英題:Whiplash。むち打ちの意 ※)の演奏を見ても、はー、凄えなー、で終わる。

※サイコパス的鬼音楽教師と、自分をエリートと信じるドラマーの青年の確執を描く映画。凄く面白いが、同時にぶっちゃけ怖い。

通常のバンドクラスでは仲良く、親しみと一体感を持って同じ目標に向かっていた「友達・仲間」が、フォーマルな装いでクールなジャズを演奏する。私には到底叩けそうにない、高度なドラムソロも。その時、知ってるはずの彼らが全く異なる人に見えた。格好良いと思った。そして、私は「音楽エリートではない」とも。

英語(≒国語)ですら、アメリカの教育ではレベルによって授業が違った。私は当然というか、非ネイティブ向け(留学生や移民など)のクラス。
基本的な文法から始まり、比較的簡単な小説を読んで、その感想を述べるなども行なわれた。当初は大苦戦だったが、日本での勉強の貯金もあり、徐々にこなしていけるようになった。

だが、「英語」の意味を最も強く実感したのはアメリカ史の授業だった。私の鬼門的な教科。

 “Prohibition” という語が出てきた。1920〜30年代、アメリカの史実として起こった「禁酒法時代」の意味だが、「 “prohibition”(禁止) じゃないの、これ……?」と戸惑う私。一般的な単語だからだ。

しばらくして気付いた。「もしかして、文頭が大文字だからか?」
結論から言うとその通り。

capital(大文字)は単なる文法のルールじゃない。文化の符号だ。先頭が小文字なら汎用的な名詞、大文字なら時代や国の重要物などを象徴する固有名詞。

“civil war”(内戦)はどこの国にもあるが、“The Civil War” となった瞬間、それはアメリカにおける「南北戦争」という、彼らの記憶と物語を指すことになる。

他にも例を挙げると。

●revolution(革命)
→The Revolution(アメリカ独立戦争)

●constitution(憲法・構成)
→Constitution(合衆国憲法)

●god(「一般的な意味での」神)
→God(キリスト教での神)

god→Godなんて、現地を体感しなければ一生意識しなかっただろう。
日本で培った英語スキルだけでは、絶対に気付けなかった意味の重みだった。

教室の外で英語を使うためには、教室の外で語られてきた歴史を知る必要がある。そんな当たり前のことに、アメリカ史のクラスで気付かされた。

その瞬間、私は知識ではなく「文脈」を叩き込まれた気がした。そして、軽い運命も。第1章で述べた、capital(首都/大文字)を利用した、「理解されなかった」ジョーク。それがアメリカの地で再会を喜ぶかのように、教科書の中から私に知恵の実を齧らせてくれたのだ。

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#6. 留学生の「価値」とは何だったのか

“Kids From Outside : We Exchanged Something, Maybe"

「留学生」は英語で “foreign exchange student” と言う。やや形式的な表現だが、そこには本来、文化を一方的に「学ぶ」のではなく、双方向で「交換する」という意味が込められている。

けれども、そのexchangeが本当に成立したかどうかは、アメリカでの日々で実感できるものではなかった。

当時はただ「ドラム叩いて、汗かいて、寝落ちして、時々泣いて、遊んで、勉強して、恋をして、笑っていた」だけだった。

それから十数年後、日本での一夜のこと。
とある行きつけの居酒屋で、アメリカ西海岸部から来たというカップル観光客に出会った。居酒屋のマスターがちょっとコミュニケーションに困っていたので、私が通訳を買って出た。

「観光客向けじゃない、“リアルな日本” が味わえるって聞いて来たんだ」と彼らは言っていた。

お勧めの一品を聞かれたので、私は迷わず「鶏の刺身(タタキ)」を挙げた。ふたりは目を丸くして叫んだ。

“Wow, it’s illegal in our State ! ”
(うわ、それ、うちらの州では違法だよ!)

と言いながら、彼らはまるで「異文化に口をつける」ように、それを噛みしめていた。もちろん、美味しそうに。
「現地のローカルな雰囲気を味わうための彼らの旅」に、何かを提供できた瞬間である。

しばらく雑談したあと、どういう話の流れか、バスケ(NBA)の話になった。

“My GOAT is Iguodala”
「僕にとって最高の選手はイグダーラだね(※)」

と私が言うと、彼氏のほうがすぐに反応した。

“Awesome ! You KNOW what NBA is ! ”
(素晴らしい!君、NBAを「分かってる」よ!)

※アンドレ・イグダーラ
主にNBAのゴールデンステイト・ウォリアーズ(GSW)に所属し、チームの2010年代中〜後半の連続優勝を支えた王朝の一角。
永久欠番9。
アスレチックで華麗なダンク、トップクラスのディフェンス力、本当に必要な時だけ決めるスリーポイント、戦術理解力、針の穴を通すようなパスセンス、場合によっては司令塔も務める万能性で活躍。
「シックスマン(スタメンより重要なベンチプレイヤー)」の代表的存在。主にベンチスタートだったプレイヤーで史上唯一、ファイナルMVPを獲得している。

GSWでのイグダーラはチームの輪郭を整え、普段は脇役、必要なときだけ主役になる人だった。それは、自分自身が異国の中で演じてきた役割にも、どこか重なっていたのかもしれない。

留学を終え、日本に戻り、別の外国人を助けながら笑っていた自分。
ここにようやく、exchangeの答え合わせ、意味が浮かび上がった気がした。

それは派手な成功や称賛ではなく、“You know what NBA is.” と言われるような、誰かの文化の機微を本当に「分かってる」と伝えられる瞬間。そして鶏の刺身。

この章の副題、
“We Exchanged Something, Maybe.”

そう言えるくらいには、私は確かに、何かを貰っていたし、与えることもできていた。

文化は、一度交われば終わるものではない。交換留学が終わっても、exchangeはずっと続いていく。鶏の刺身とアンドレ・イグダーラの向こうに、私はそれを見た。

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