112.白鳥の騎士②
画像は以下のサイトから転載。
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ
前回に引きつづき、白鳥の騎士物語とその周辺についてお伝えします。
ティールの大司教ギヨーム・ド・ティール(一一三〇年ごろ~)は、十字軍遠征を記録した年代記作家です。

ギヨームはゴドフロワ・ド・ブイヨンと白鳥の騎士の関連性にはじめて言及した人で、一一七〇年ごろにこう記しています。
われわれは意図的に白鳥の伝説について触れない。多くの人々が事実と見なしている、すなわちかれ(ゴドフロワ・ド・ブイヨン)の起源が白鳥にあるという説だが、この話は真実味に欠けるように思われるからだ。
いうまでもないという感じですが、あえて言及したのは「ゴドフロワ・ド・ブイヨンが白鳥の騎士の子孫だ」という物語がすでに広く知られていたから、と推測できます。
また、「多くの人々」が真剣に受け止めていた、とも考えられます。
といったところで前回は終わりました。
上記のギヨームは、エルサレム女王メリザンドと夫のアンジュー伯フルク五世(一〇八九年ごろ~)が共同統治していたころのエルサレムで育ちました。

メリザンドはボードゥアン二世(一〇七五年ごろ~)の娘で、ボードゥアン二世はゴドフロワ・ド・ブイヨンの従兄弟です。
クレルヴォーのジョフロワ(一一八七年ごろ~)やHelinand of Froidmont(一二一一年ごろ~)も、同様に白鳥の騎士伝説を伝えています。
また、古フランス語の『十字軍物語』における第一回十字軍の虚構史でも、白鳥の騎士はゴドフロワ・ド・ブイヨンの祖先として言及されています。
十字軍サイクルの次のシークエンスである『La Chanson de Jerusalem(エルサレムの歌)』では、ゴドフロワ・ド・ブイヨンは白鳥の騎士の孫になりました。
バイエルン出身の騎士だったドイツの詩人、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(一一六〇年ごろ~)は、十三世紀に白鳥の騎士ローエングリンを『パルチヴァール』に取り入れました。
『パルチヴァール』はアーサー王伝説を模した騎士文学で、『ニーベルンゲンの歌』をはるかに上まわる量の写本が残されています。
十二世紀後半のフランス詩人、クレティアン・ド・トロワは、ランスロット、パーシヴァル、聖杯、などを最初に書いたことで知られています。
このクレティアンに書かせたのはアリエノール・ダキテーヌの娘マリー・ド・シャンパーニュですが、そのあたりは長くなるので過去記事をお読みください。
クレティアン・ド・トロワの『パーシヴァル』では、パーシヴァルが聖杯城を訪れ、そこの乙女が運ぶ聖杯を目撃する、という場面が描かれています。
この聖杯には、血を流す槍と銀の皿が添えられています。聖杯は宝石をちりばめた貴重な器で、その輝きは広間の明かりを凌駕するほどです。
集まった騎士たちは全員、聖杯に畏敬の念を抱きます。
パーシヴァルは、「あまり詮索しないように」という忠告を心に留め、目にしたものの意味をたずねませんでした。
結果それによって、パーシヴァルは罪と非難を負うことになります。
クレティアン・ド・トロワの詩は未完のままでしたが、四人の作者によってつづきが書かれ、それぞれ異なる結末が与えられました。
一二〇〇年から一二一〇年にかけて書かれたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの『パルチヴァール』は、当時最も有名なロマンス(騎士道物語)でした。
ヴォルフラムはまた、イスラム教徒に対するギヨーム・ド・ジェローヌの武勇伝を題材にした詩『ヴィレハルム』も書いています。
ちなみにケン・フォレットの歴史小説『大聖堂』シリーズには、ユダヤ人が一人も出てきません。千年後の歴史家はこの大ベストセラーを「史実」と見なすのでしょう。
ケン・フォレットはともかく、ギヨーム・ド・ジェローヌにも手を出したヴォルフラムは、さすがにわかっています。
Kyot de Provence
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ自身は、Kyot de Provenceから情報を得た、と主張しています。
このKyotは、Guyot de Provins(ギヨー・ド・プロヴァン)のことだと思われます。ギヨーはトルバドゥール(吟遊詩人)であり、クリュニー修道院の修道士でもありました。
ヴォルフラムによると、ギヨーかもしれないKyotは、スペインのムーア人領のトレドで放置されていたアラビア語の写本を発見した、とのことです。
さらにヴォルフラムによると、Kyotは聖杯の物語をフレゲタニスから受け継いだ、としています。
フレゲタニスはイスラムの天文学者で、ソロモンの子孫で、星々に記された聖杯の秘密を発見した人物です。

ヴォルフラムはこのように記しています。
異教徒フレゲタニスは高い学識で名声を得ていた。このphysicus(自然学者?)はソロモンの子孫であり、古代からつづくイスラエルの血筋を引いていた……かれは聖杯の冒険を記した。仔牛を神のように崇拝したフレゲタニスは、父の血筋のために異教徒であった……。
異教徒フレゲタニスは、自らの目で見た――そして畏敬の念をもって語った――星座に隠された秘密を。かれは聖杯と呼ばれるものが存在すると宣言し、その名を星々から読み取ったと述べた。『天使の一団がそれを地上に残し、星々より高く昇っていった。まるでかれらの無垢さが再び引き戻したかのように』。
ヴォルフラムによると、Kyot de Provenceはフレゲタニスの文書を読むためにアラビア語を習得したあと、聖杯とそれを保護する同胞団についての詳細を学ぶためにヨーロッパじゅうを旅しました。
Kyotはついにアンジューにたどり着き、そこでパーシヴァルの一族の歴史を見つけ、のちにヴォルフラムによって再掲されることになる物語を書きました。
Kyotが聖杯について学んだとされるトレドには、有名なトレド翻訳学派が活動していました。
トレド翻訳学派は、魔術と占星術の書『ピカトリクス』を含むユダヤ教カバラ派の占星術の著作を数多く翻訳していました。
この手の活動をしている学校はほかにも、ジローナ、モンペリエなど南フランスにありました。
南フランスといえばセプティマニア、ナシ(王子)が統治するユダヤ人王国です。
またトロワにも似たような学校が存在していました。学校は一〇七〇年に設立され、ラシ・ド・トロワによって運営されていました。
ラシについても長くなるので過去記事をお読みください。
賢者の石と聖杯
「聖杯」は、それそのものが錬金術に関連している可能性があります。
ヴォルフラムにとっての聖杯とは、ルシファーが天界から追放された際、ルシファーの冠から落ちたエメラルドです。
エメラルドは金星の神聖な石で、金星といえばもちろんルシファーです。
ヴォルフラムの物語は、ルシファーの天界での闘争に関連するペルシャの伝説を借用している可能性があります。著書で引用しているように、出典はアラビア語写本かもしれません。
伝説によると、神がルシファーを追放すると決めた際、天使たちはどちらにつくかの選択を強制されました。神か悪魔か、です。
ですが中立を貫く天使たちもいました。この天使たちは、ルシファーがエメラルドを失ったときにエメラルドを地上に持ち帰りました。
そしてこのエメラルドは、善と悪の中間の道を見つけようとする戦いの象徴となりました。
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハは『パルチヴァール』において、ある(おそらく架空の)プロヴァンス人Kyotの権威を引用し、聖杯は石であり、ルシファーの反乱の際にどちらの側にもつかなかった中立の天使たちの聖域であると主張した。それはラピス・エキシリスと呼ばれ、錬金術では賢者の石の名称である。
『パルチヴァール』にはこうあります。
聖杯は堕落の際、ルシファーの輝く真珠の冠から落ちた緑のエメラルドで造られた。ゆえに黒い聖杯は失われた全体性の象徴であり、黄金の聖杯は対立するものの分裂を癒す原型である。
中道は一見よさげに思えますが、オカルトの教えです。現在の移民問題にも通じるところがあります。
善と悪の中間を見つける戦いなど不可能で、さらにいうなら少年マンガレベルです。ですがまわりは賞賛します。
移民を嫌う日本人は人種差別主義者です。人類はみな平等だからです。
S.O.Dというバンドの「Speak English or Die」というふざけた曲がありますが、本音はまさに(とくに白人は)これです。
わたしたちは数々の「伝説」によって飼い慣らされているので、このような意見をいうと頭のおかしい人認定を受けます。
ヴォルフラムは、アラブ人によってヨーロッパに広まった有名な錬金術の書、ヘルメスの『エメラルド・タブレット』について言及している可能性もあります。
つまりヴォルフラムは聖杯を、杯そのものではなく「最も純粋な石」として描いていたので、錬金術に関与していた作家に依拠していたかもしれない、ということです。
このような石は、明らかに「賢者の石」です。
実際ヴォルフラムは、錬金術師が賢者の石に求めたのと同様のパワーを聖杯のパワーとして主張していました。
賢者の石も聖杯も、所有者に精神的な完成、神との合一、死の恐怖からの解放つまり不老不死をもたらすとされています。
ヴォルフラムは『パルチヴァール』にこう記しています。
かれら(騎士たち)がどう養われるか教えてやろう。かれらは純粋な本質を持つ石で生きている……その名はラピス・エキシリス(微小なる石)。この石の力により、フェニックスは灰に焼かれ、その灰から再生する。かくしてフェニックスはその羽毛を脱ぎ捨て、その後まばゆい光を放ち、以前と変わらぬ美しさをたたえる。たとえどれほど病み衰えた人間であれ、この石を見た日から一週間は死なず、色あせることもない。なぜなら、もしだれであれ、女であれ男であれ、聖杯を二百年間見つめつづけたなら、その者の肌は若き日のようにみずみずしくなったと認めざるを得ないからだ……この石は人間にそのような力を授ける。肉と骨はたちまち若返るのだ。この石はまた聖杯とも呼ばれる。
一つ付け加えると、この聖杯は「グレイル」の訳語です。コップと石を同一視するというと妙な感じがしますが、ヴォルフラムのグレイルは杯の形をしていなかったかもしれないということです。
またヴォルフラムは、テンプル騎士団に言及し、Kyotの研究が聖杯の記述と系譜的な関連性を明らかにした、と主張しています。
洗礼を受けた者の子供たちは、象徴的な聖杯(賢者の石)を保持し、謙虚な心でそれを守ります。
そして人類の中で最高の者たちが、その奉仕(保持し守ること)にあずかる騎士たちなのだ、とのことです。
Templeisen
ヴォルフラムによると、聖杯は「Templeisen(テンプライゼン?)」と呼ばれる騎士団の命を支えていました。
平たくいうと、聖杯を守る「聖杯の騎士」です。特殊任務を背負ったCIAのエージェントで、正体がバレたら愛する女と別れなければなりません。
テンプライゼンは明らかにテンプル騎士団に似ているので、一般的には関係があると考えられています。
テンプライゼンたちは聖杯の神殿の守護者で、実際のテンプル騎士団もソロモン神殿跡の近くを本拠地にしていました。
テンプラたちの架空の城は「Munsalvaesche(ムンサルヴェーシェ?)」と呼ばれ、これは「救いの山」という意味です。
このムンサルは、ラングドック地方のカタリ派の山岳要塞モンセギュールを想起させます。


白鳥の騎士物語は、ヴォルフラムの『パルチヴァール』において、ローエングリンに結びつけられています。
このローエングリンは、パルチヴァール(人名のほう)と女王コンドヴィーラールスの息子です。
ローエングリンはムンサルヴェーシェ城で鐘の音を聞きます。窮地に陥った乙女を助けろという合図です。
そしてほかの版と同様、ローエングリンは白鳥が引く舟に乗って登場し、ブラバント公女エルザという貴婦人を守る騎士、という設定です。
二人は当然のように結婚しますが、エルザが「名前をたずねない」という約束を破ったため、ローエングリンは去らなければならなくなりました。
十三世紀末、詩人のNouhusius(ヌーフシウス?)は、ヴォルフラムの物語を改編、拡大し、騎士道物語『ローエングリン』を創作しました。
おそらくですが、白鳥の騎士物語はヌーフの『ローエングリン』を通じて最もよく知られるようになりました。
一八四八年、ワーグナーはヌーフの『ローエングリン』を元に、人気オペラ『ローエングリン』を作曲しました。

ワーグナーを鑑賞する際にはぜひ上記の知識でマウントを取ってもらいたいのですが、わたしたちはマンガゲームアニメ映画ニュースなどの無数の「伝説」を信じ切っているので、おそらく友達を失うだけです。
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