102.カバラ
画像は以下のサイトから転載。
知っていること
カバラという語はある程度知れ渡っていますが、具体的になにかと問われると答えに窮します。
それよりも、なぜカバラという語を知っているのか、を考えることがまず重要です。おそらく「ユダヤ人」という語も知っていることでしょう。縁もゆかりもないはずなのにです。
そしてそれそのものが、カバラの本質、極意でもあります。選ばれし者のみが「知って」いるわけですが、わたしたち素人としても、カバラという語を知ってしまったからには内容を知りたくなります。しかもお手軽に、です。
世にあふれるユーチューブ解説動画、サルでもわかる○○、などを眺めてみれば、なにごともお手軽に「知る」ことはできないのだ、と知ることができます(上記のユーチューブ動画はかなりまともなほうです)。
まずはそれを知ってほしいと切に願います。キリスト教の信者などを「キモい」「狂っている」などとバカにするのはそれからの話です。
お手軽に「知り」、知ったつもりになっていると、それによっていろいろと不都合が生じます。スピリチュアルに全振りしたりなどです。
職場でだれかがコロナ菌なるものに罹ると、コロナについての会話がはじまります。家族や親族どうしの会話でも出てくるでしょうが、聞いているといたたまれなくなります。
「え~昨日一緒にお昼食べたよ~。あたしもうつったかも」「潜伏期間中なんじゃない?」「でもコロナって五類になったんだよね」「たしかにインフルエンザのほうがキツいよ」「コロナのクスリって高いんだよね~。寝正月はヤだけどクスリに一万は出せないな」
コロナについては(作戦が大失敗に終わったので)人類の半数程度はうっすらと気づいているようですが、その人たちでさえ不調になると病院に行きます。
子供のころから「知って」いる「事実」なので、この人たちにクスリと現代西洋医学についての正しい情報を伝え説得するのは不可能です。
「知っている」ことの恐ろしさを伝えることもまた、難儀であり不可能であり、さらにいうと無駄です。
結論をいうと、それでいいのです。「ガン」なるものに罹ってはじめていろいろと知る人は、抗癌剤を信じ切って死ぬ人よりある意味不幸です。悔やんでも悔やみきれないでしょう。
アブラハム・バル・キイア
ユダヤ人で新プラトン主義者のイブン・ガビーロール(一〇二一年ごろ~)は、ある資料によると、家事用のゴーレム(おそらく女性)をこしらえたとされています。
新プラトン主義については以下を参照してください。いわゆる中期プラトン主義ですら、グノーシス主義、ヘルメス主義などのオカルト体系を取り入れていました。
イブン・ガビーロールと同様に、アブラハム・バル・キイア(一〇七〇年ごろ~)と弟子のアブラハム・イブン・エズラ(一〇九〇年ごろ~)は、スペインにおけるユダヤ文化の黄金時代を代表する人物たちでした。

サヴァソルダとしても知られるバル・キイアは、バルセロナに住んでいたユダヤ人数学者、文学者、哲学者で、テンプル騎士団がイスラム教徒に対する十字軍目的でスペインに来たころには、公式に高い地位を与えられていました。
バル・キイアは、ソロモンの建築における神秘主義、つまりメルカバ神秘主義に精通していたので、テンプル騎士団はスペインでバル・キイアを「幾何学者」として雇用しました。
そして建築プロジェクトの寄付を集めるため、要塞の建設と維持に注ぎ込んだ膨大な資源をヨーロッパ中に喧伝しました。
バル・キイアはまた、イスラム科学の著作を積極的にラテン語に翻訳しました。アラビア代数学を最もはやくキリスト教ヨーロッパ世界に紹介した人、ともいわれています。
バル・キイアは数学者としての論考の中で、メーソンやメルカバ的「建築物」のイメージを利用していました。
このように、数学でさえ宗教と不可分です。翻ってわたしたちは、漠然とではありますが、「数学と宗教はなんの関係もない」となぜか「知って」います。
そして「知って」いる人に「数学と宗教は不可分である」と伝えても無駄なことです。愛想笑いや相づちが返ってくれば御の字です。
『セフェル・ハ=バヒール(輝きの書)』の主な出典は『セフェル・イェツィラー(形成の書)』とメルカバでしたが、バル・キイアの論考のように、ある種の中世の資料も影響を与えていました。
アブラハム・イブン・エズラ
バル・キイアの弟子、アブラハム・イブン・エズラは、多少有名なので名前くらいは聞いたことがあるかもしれません。
ユダ・ベン・ヨセフ・イブン・エズラと親戚関係にあり、イェフダ(ユダ)・ハレヴィ(一〇七五年ごろ~)と共通の友人を持っていました。
ユダ・ベン・ヨセフ・イブン・エズラはハ・ナシ(ha-Nasi)とも呼ばれ、アルフォンソ七世(一一〇五年~)に大きな影響力を持っていた人です。

アルフォンソ七世は、ブルゴーニュ公レーモンと、アルフォンソ六世の娘でレオンとカスティーリャの女王ウラカの息子です。
ユダは、グラダナの名家の一つに属していたモーゼス・イブン・エズラ(一〇六〇年ごろ~)の親戚にあたります。
モーゼス・イブン・エズラは、スペインで最も偉大な詩人の一人とされていて、アラビア文学界に大きな影響を与えました。
著書『Arugat ha-Bosem』には、ヘルメス(エノク)、ピュタゴラス、ソクラテス、アリストテレス、プラトン、偽エンペドクレス、アル=ファラービー、サアディア・ガオン、またトレド翻訳学派に影響を与えたイブン・ガビーロールなどの権威たちが引用されています。
トレド翻訳学派については以下を参照ください。
その他つらつらと出てきた名前たちについてももれなくお伝えしています。流れがあるので頭から読まれたほうが知識になりますが、だれも読まないこともまた「知って」います。お手軽ではないからです。
アメリカの学者F・E・ピーターズはこのように記しています。
アヴィケブロン(イブン・ガビーロール)の真の哲学的ルーツは、『ゾハール』とカバラの思弁的領域にある。
イブン・ガビーロールは『Fons Vitae(生命の泉)』の著者で、のちにラテン語に翻訳されたのですが、この人の著作たちは中世スペインではほとんど関心を引きませんでした。
スペイン最古のアリストテレス学派の一人、アブラハム・イブン・ダウド(一一一〇年ごろ~)からは厳しく批判され、マイモニデス(一一三五年~)にも無視されました。
イブン・ダウドについては過去記事でいくつかお伝えしています。
ユダヤ教ラビのマイモニデスは、天使は無体であると宣言し、天使崇拝に明確に反対した人です。
イスラエルのユダヤ神秘主義学者のジョセフ・ダンによると、十二世紀後半に突然不可解な形で登場した『セフェル・ハ=バヒール(輝きの書)』の著者も、アブラハム・イブン・エズラの仕事をある程度認識していました。
このイブン・エズラやモーゼス・イブン・エズラは、ヘルメス思想を自らの体系に統合するため、おもにイスラム教の資料からヘルメスの伝統を参照していました。
イタリアのヘブライ文学教授ファブリツィオ・レッリは、著書『Hermes Among the Jews(ユダヤ人の中のヘルメス)』でこう記しています。
イブン・エズラの権威に支えられ、中世のユダヤ人学者の多くは、ヘルメス的な科学的・技術的素材を、伝統的、ミドラシュ的な聖書解釈に適合させることを許された、あるいはそうせざるを得ないとさえ感じていた。
ミドラシュは、ユダヤ教における聖書解釈の方法「デラーシュ」とその解釈をまとめた文学のジャンルのことです。
ここまで来るともはやユダヤ教でもなんでもないという感じですが、歴史的にはむしろ先祖返りです。
さらには「古代の叡智を取り戻そう」という力が、中世という新しい時代にオカルトのアップグレードをもたらしました。
ヘルメスについては過去記事を参照してください。
時の権威アブラハム・イブン・エズラは、聖書注解の中でしばしば占星術に言及していました。このイブン・エズラにとって、星座のある天は「生命の書」で、そこには人間の運命が記されているのだそうです。
そしてこれらの運命による影響を覆す「全能者」としての神がいる、というわけです。
照明エリート
イブン・エズラはしばしば、自身が秘密の友愛団体のメンバーであることをほのめかしていました。
その結社は啓発(照明)されたエリート層で構成され、メンバーたちはヨーロッパ各地を放浪していました。スーフィーのギルド職人やキリスト教の石工たちのようにです。

イブン・エズラは、学識者や啓発者(illuminati)との議論を求め、イタリア、フランス、イングランドを旅し、キリスト教の科学者や学者たちと協力し合いました。
晩年のイブン・エズラは、霊感を受けた賢人かつ博学者としてヨーロッパ全域で名声を確立し、エルサレムに帰還したと伝えられています。
イブン・エズラの占星術と数学に関する著作はのちに、十七世紀のユダヤ神秘主義研究者ロバート・フラッド(一五七四年~)とアタナシウス・キルヒャー(一六〇二年~)によって引用されることになります。
この二人はフリーメイソンリーの発展に多大な影響を与えた人物です。


イブン・エズラは、スペイン北部ナバラのトゥデラでイェフダ・ハレヴィの元に育ち、二人は親しい友人になりました。
このハレヴィは、ヘブライ語の最も偉大な詩人といわれています。
ハレヴィの代表的な哲学書は『クザリ(ハザール人)』で、ハザール人の王と王が招いたラビとの対話、という形式を取っています。
ハレヴィによると、ユダヤ人は祖国と神殿を失いはしたが、視覚化技術によって祖国と神殿に依然としてアクセスできる、とのことです。
これもまた、オカルティストの戯れ言、などと通常は片づけられます。何度も繰り返しますがテクノロジーと宗教は不可分です。
そしてふつうの人間は、どちらか片方しか認識できません。
だれかの頭が狂ったりすると、昔の人間は呪術師の仕業と考えました。賢い現代人はウイルス、遺伝、果ては精神疾患という回答にすらなっていない可能性を考えます。
どちらが上等かはいうまでもありません。
鬱やADHDなどは予防接種のせい(すなわち親のせい)、と認識している人はかつてより多くなりましたが、オカルトとセットで考える人は日本では百人もいないと思います。
子供の体内に毒をぶち込むのは極悪人だからではありません。イブン・エズラのような、明晰な頭脳と博識を持ち合わせた文字どおりのエリートです。
「こんなのを注射したらどうなるだろうか」という純粋な知的好奇心です。そして泡を吹いて癲癇を起こす子供を冷静に観察し、記録します。
なにかを飲ませるのも実験になりますが、人間の体は筒状なので、厳密には「体内」に入れた、ということにはなりません。
暗殺教団のように向精神薬を飲ませると、信者はラリって教団の教義を信じるようになります。上としては、より深くコントロールできないだろうか、と考えるのは必然です。
人間の体が筒状だと知ったら、本当の体内に注入しようと考えるでしょう。どうなるかはわかりませんが、まずはやってみることです。百姓の子供ならいくらでもいます。
そんな「科学者」の所業が見つかり、惨状を目の当たりにした人は、「この男は狂っている」などと口走ります。
実際は狂っていません。連続殺人鬼のエド・ケンパーも、明晰な頭脳と知恵を持ち合わせていました。

おれはアメリカ人で、アメリカ人を殺した。
人間が人間を殺したわけだ。
それがおれの社会の中で起きた。
おれはなにかを掴み損ねていた。
そいつは永遠に内に秘めるには暴力的すぎた。
すわって切断された頭を抱えながら、話しかけたり見つめたりしているうちに、おれは正気を失いかけていた。
文字どおり完全に狂いそうになり、崩壊しかけたときおれは言った。「ワオ、こいつは狂ってる」
だがおれはすぐに言い聞かせた。「ちがう、そうじゃない。おまえはそう(自分は狂っていると)言ってるんだから、つまり狂ってないんだ」
「おれは正気で、切断された頭を見ている…」おれは言った。「ちょっと待てよ、ちょっと待て…」
おれは古い絵画を思い出した。バイキングの英雄たちが切断された頭と話したり、パーティーに連れて行ったりしている。革袋に入った旧敵。おれたちの遺産の一部だ。
血は記憶している、という非常に的確な認識です。もちろん苦しい言い訳であり戯れ言なのですが、答えとして正しいのである程度は傾聴に値するのです。
だいぶ話が逸れましたが、ハレヴィは一一四一年、聖地に到着した直後に死にました。当時の聖地は十字軍のエルサレム王国の一部でした。
叡智を求める旅
イブン・エズラが若くしてコルドバに移り住むと、ハレヴィも友人についていきました。
二人は一一三七年、同じように放浪生活をはじめました。スペインからバグダッドまで、約三十年間、ときには一緒に、ときには別々に放浪しました。
イブン・エズラはアフリカ北部、エジプト、イタリアと広く旅をしました。
この旅は、パレスチナやバグダッドにまで及んだという説もあります。
またインドにも旅行し、マラバル海岸のコーチン・ユダヤ人を訪問したともいわれています。
イブン・エズラは実際、インドの占星術、数学、科学の高度な知識について記していました。
https://www.jewishvirtuallibrary.org/india
一一三九年かその少し前、イブン・エズラはナルボンヌにいました。ナルボンヌといえばユダヤ人王国セプティマニアの首都です。
そして北フランスでは、ラシ・ド・トロワの有名な孫、ラビ・ヤコブ・タム(一一一〇年~)と接触しました。
ラシはマインツのカロニモス・アカデミーで学んだのち、故郷のトロワに戻りました。聖書およびバビロニア・タルムードの中世における代表的な注釈者、として広く認められていた人です。
十字軍前夜、ラシはトロワの統治者シャンパーニュ伯ユーグ(一〇七四年~)と頻繁に会食を行っていました。
シャンパーニュ伯ユーグは、テンプル騎士団の創始者の一人です。
イブン・エズラは最終的にはローマに定住し、その後カロニモス家発祥の地のルッカで死ぬまでの数年間を過ごしました。イブン・エズラの最も有名な著作はこの時期に書かれています。
またイブン・エズラは、マシャッラー・イブン・アターリー(七四〇年~)の二つの占星術の著作も翻訳しました。
イブン・エズラはギリシャ語やアラビア語の数学的著作を集中的に研究し、結果ヨーロッパのユダヤ人社会に新プラトン主義とイスラム哲学を伝える主要な媒介者になりました。
この人はおそらく、魔術と占星術の書『ピカトリクス』を知っていました。

『ピカトリクス』は、多くの学者が十一世紀半ばに書かれたものと推定しています。
サービア教徒によって書かれたとされ、イスマーイール派の秘密結社純正同胞会の教書『ラサーイル・イフワーン・アッ=サファー』から多くの影響を受けています。
元々はアラビア語で書かれた『Ghayat al-Hakim』というタイトルで、『賢者の目標』などと訳されます。
古代世界の数学史を研究したアメリカ人歴史家、デイヴィッド・ピングリーは、『Ghayat al-Hakim』について「アラビア語で書かれた最も徹底的な天界魔術の解説書」と要約し、出典を「紀元後九世紀から十世紀にかけて近東で書かれた、ヘルメス主義、サービア教徒、イスマーイール派、占星術、錬金術、魔術に関するアラビア語のテキスト」と記しています。
最後に付け加えておきますが、オカルトのルーツはアラブ人ではありません。
ルーツは紀元前六世紀の古代バビロンにまで遡れます。占星術とカバラの元ネタを発展させたのは、カルデアのマギとバビロンに捕囚された一部の異端ユダヤ人たちでした。
またルネサンス期に吹聴されたように、エジプトが人類の文化的ルーツというイメージがありますが、これもちがいます。ヘレニズム時代の学園都市アレクサンドリアが有名かつ巨大すぎたために起きたかんちがいです。
紀元後七〇年の第二エルサレム神殿の破壊は、イエスの予言の成就でした。
「ユダヤ人」は離散し、オカルトの叡智は表舞台から姿を消しました。
その後イスラム教徒が叡智を知り、ヘブライ語やアラム語の書をせっせと翻訳しはじめました。付け加えておくと、イスラム教徒の学者のほとんどはアラブ人ではなく、ペルシャ人、イラン人でした。
ユダヤ人は(おそらく)十字軍運動をきっかけに叡智を取り戻し、先にお伝えしたとおりアップグレードまで行いました。カバラとしてです。
カバラとはなにか、という問いについては、あなたには絶対に理解できない叡智、とだけ答えておきます。
神はすべてだがすべてではない、無を含んだすべてとはいえそうだが神は無を含んだすべてですらない、無を含んだすべてとコトバにすればその時点で限定された存在になってしまうからだ、などと説明してもちんぷんかんぷんでしょう。
この程度の概念が理解できないのであれば、テレビのように消すのが一番です。
とくに常時マスクをしているような人には、有益な情報など一つもありません。どうぞ進んで情弱になってください。

できないのは重々承知のうえでいま一度申し上げますが、すべての情報を遮断し、家族や友人など大切と思われる方たちと交流してください。
本年はお世話になりました。よいお年をお迎えください。
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