復活徹夜祭。1つのろうそくから広がる灯
※このnoteは、神父様やシスター、聖書の専門家というわけではない一人の子育て中のカトリック信者が書いています。
聖書の解釈など、何か間違っているかもしれない…とちょっとドキドキしながらも、ミサの中で感じたことを共有したいと思います。
4月5日(日)は復活祭(イースター)。
その直前の木曜・金曜・土曜日は、キリスト教にとって大切な聖週間です。
子どもが生まれてから、なかなか夜のミサに行けなかったのですが、今年は春休みで、中学3年の長男にっくんの塾の春期講習も偶然お休み!
ということで、初めて子どもたちと一緒に聖週間のミサに通して参加することができました。
※今日までの歩みは、こちら ↓
今日はいよいよ聖土曜日。復活徹夜祭の日です。
徹夜祭と言っても、スタートは夜7時から。
ただ、ふだんのミサが1時間くらいなのに比べて、復活徹夜祭のミサは約2時間!
ふだんの倍以上の聖書朗読があり、歌も多く、洗礼式やキャンドルサービスもあり、本当に徹夜するんじゃないか?!と思ったミサも経験したことがあります(^^;)
小学2年の末娘くんちゃんをはじめ、我が家の3兄妹は今日も侍者(ミサの中で神父様のお手伝い)。
みんな、よくぞ9時まで居眠りせずに(!)しっかり奉仕しました!
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復活徹夜祭のミサは、大きな「復活のろうそく」に火を灯すところから始まります。
暗い聖堂の中に、小さな灯がともる。
その灯を、侍者の子どもたちがろうそくに受け、会衆のろうそくにつけていきます。
灯は、隣の人へ、前の人へ、周りの人へ…
こうして、1人ひとりのろうそくに灯がともり、聖堂全体が少しずつ、ふわっと明るくなっていきます。
イエスさまの復活は、まさにこのろうそくのようだな…と。
暗い世を照らす光。
それを受け取った人が、周りの人に広げていくと、暗闇はだんだん明るくなっていく。
自分は、キリスト教の信仰をもつ者として、小さな灯の一つになれているだろうか。
周りの人に光を広げられているだろうか。
「復活のろうそく」から受け取った、自分のろうそくの灯を見つめながら、そんなことを考えていました。
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聖金曜日に、十字架につけられて亡くなったイエスさまは、神さまの計画通り、3日目に復活します。
十字架というのは、当時もっとも忌み嫌われた、最低の亡くなり方だったのだそうです。
精神的にも、肉体的にも、人格を否定されるような死刑。
けれどもイエスさまは、その十字架の死に打ち勝って、復活されます。
きっと、復活がなければ、イエスさまの教えは、2000年以上も語り継がれては来なかったでしょう。
復活したイエスさまが弟子たちの前に現れ、勇気づけられたからこそ、弟子たちはイエスさまのことを熱心に宣教したのだと思います。
イエスさまは、私たちの罪を償うために十字架につけられた…そのことを思うと、申し訳なくて、悲しくて、自分を責めたくなるような気持ちになることもあります。
けれど、十字架の先に「復活」という希望があるから、罪深い自分に絶望することなく、よりよく生きようと前を向いて歩み続けることができるのだと思います。
復活徹夜祭のミサの中では、洗礼式がおこなわれました。
洗礼は、罪にとらわれた古い自分が死に、神さまに繋がった新しい自分に生まれ変わるものだ、と神父様が話していました。
復活祭は、すでに洗礼を受けている私たちも、新たに生まれ変わる日。
新しい自分として、これからはイエスさまのように生きるよう、再スタートができる日なのだと。
もちろん、「イエスさまのように生きる」ことは、とても難しいことです。
敵を愛する、憎まれても愛で返す、人を赦す…
本当に難しいし、完全にイエスさまのようになれるわけではないのが現実です。
それでも、そうなろうと努力すること、その歩みが尊いのだ、と。
完全にできないからこそ、「今年こそ」と再スタートできる復活祭が大切で、イエスさまの復活に力をいただいて、1からはじめていきましょう、という神父様の言葉が、心に響きました。
とても、とても、勇気づけられました。
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聖週間の典礼にすべて通して参加するのが、初めてだった子どもたち。
長男にっくんが、
「ぜんぶ通して行けたから、流れがよくわかった」
次男はっくんは、
「自分たちの信仰というか、ミサの意味みたいなものを感じた」
と話していました。
末娘くんちゃんは、
「(イエスさまが十字架につけられて)悲しくて、(復活して)うれしかった」と。聖金曜日に、イエスさまが亡くなったことを誰よりも悲しんで心を痛めていたのは、くんちゃんでした。
3人とも、3日間(枝の主日を含めると4日)とも侍者として祭壇に一番近いところで、イエスさまの受難と復活を、文字通り「体験」したのだと思います。
ミサの後、高齢のシスターが、最年少のくんちゃんのことをとても褒めてくださいました。
「小さいのに、凛として、自分の役割をしっかりやっている姿に、いつも感動するの。くんちゃんの侍者を見ることは、私の喜びなのよ」
目に涙を浮かべながら、そう話してくれました。
小さなくんちゃんも、周りを照らす小さな灯になっているようで、嬉しく思いました。
赤ちゃんの頃から、毎週ミサに行って、流れも言葉もお祈りも全て暗記している子どもたち。
ですが、ミサの一つひとつの意味を、この3日間で深められたのではないでしょうか。
私自身、小学生の頃に父と2人だけで行ったクリスマスの夜のミサが、その時のろうそくのにおいや着て行ったよそゆきのワンピースの手触りと共に、記憶に深く残っています。
子どもたちにとっても、今年の聖週間はきっと、心の奥底に残るものになるのではないかと思います。
聖週間のミサにすべて招いてくださった神さまに、心から感謝。
イエスさまの受難と復活を、現代の私たちも記念できることに、心から感謝。
