見出し画像

人事の人は、勉強している。

法改正を追う。
労務相談に答える。
評価制度を回す。
採用市場を見る。
研修会社の資料を読む。
人的資本経営の流れも見る。
ハラスメント、メンタルヘルス、賃上げ、ジョブ型、リスキリング、エンゲージメント、AI活用。

見ているものは多い。

でも、少し違う問いを置きたい。

人事のみなさん。
意外と、勉強していないよね?

もちろん、何も読んでいないという意味ではない。
忙しいのも分かる。
現場対応が重いのも分かる。
法改正だけで手一杯になる時期があるのも分かる。

それでも、あえて言いたい。

人事は、情報には触れている。
でも、概念を鍛えていないことがある。

ニュースは知っている。
制度名も知っている。
流行語も知っている。
施策事例も知っている。

でも、それを使って、目の前の現象をどう見立てるのか。
何を根拠に、何を疑うのか。
どの概念で、現場のモヤモヤを切り分けるのか。
そこまで行くと、急に弱くなる。

人事の学び不足とは、知識量の不足ではなく、概念で現場を見る訓練の不足である。



勉強していない人事は、忙しい人事の顔をしている

人事は忙しい。

これは本当である。

入社手続きがある。
退職手続きがある。
給与計算がある。
社保手続きがある。
採用面接がある。
評価運用がある。
労務相談がある。
制度改定がある。
経営から急な依頼が来る。
現場からも急な相談が来る。

だから、「勉強していない」と言われると腹が立つかもしれない。

でも、忙しさは免罪符になりやすい。

忙しいから、目の前の処理を優先する。
忙しいから、過去のやり方で回す。
忙しいから、他社事例をそのまま借りる。
忙しいから、研修会社の資料をそのまま使う。
忙しいから、社内の偉い人が言ったことを制度っぽく整える。

こうして、人事は実務を回す。

回しているうちに、考えている気になる。

でも実際には、考えているのではなく、処理しているだけのことがある。

ここが怖い。


人事の勉強には、三つの層がある

人事の勉強には、ざっくり三つの層がある。

一つ目は、情報の勉強である。

法改正。
行政資料。
判例。
市場動向。
採用トレンド。
人的資本開示。
AIやHRテックの新サービス。

これは必要である。
知らなければ、実務で事故が起きる。

二つ目は、手続きの勉強である。

どう届け出るか。
どの書類を出すか。
どの順番で進めるか。
どの部門に確認するか。
誰に説明するか。
どこで記録を残すか。

これも必要である。
手続きが弱い人事は、現場を不安にさせる。

三つ目は、概念の勉強である。

人はなぜ動くのか。
評価はなぜ不満を生むのか。
配置は何を変えるのか。
育成はなぜ現場に転移しないのか。
心理的安全性は、何を安全にするのか。
エンゲージメントとは、熱量なのか、関係なのか、意味なのか。
キャリア自律とは、本人任せなのか、選べる条件なのか。

ここが弱い。

情報と手続きは勉強している。
でも、概念を勉強していない。

だから、制度は作れる。
説明資料も作れる。
運用フローも作れる。

でも、その制度が人間のどの行動を変えるのか。
どんな副作用が出るのか。
どんな前提に立っているのか。
どこで現場の抵抗が起きるのか。

ここを深く見られない。


「経験上そうです」は、そろそろ危ない

人事の会議では、こういう言葉が出る。

経験上、こういう人は伸びます。
うちの会社では、こういう評価が合っています。
現場は、細かく言わないと動きません。
若手は、もっと主体性を持つべきです。
管理職は、もっと部下と対話すべきです。
ハイパフォーマーは、だいたいこういうタイプです。

もちろん、経験は大事である。

現場で何度も見てきた感覚には、かなりの情報が含まれている。
経験を軽く見る人事も危ない。

ただし、経験はそのままだと、仮説でしかない。

経験上そう見えた。
たまたま成功事例が目立った。
声の大きい管理職の話を信じた。
過去の制度がそうだった。
自分が育った時代の感覚を引きずっている。

この可能性がある。

人事の怖さは、本人が善意であることだ。

良かれと思って採用基準を作る。
良かれと思って評価制度を変える。
良かれと思って研修を入れる。
良かれと思って異動させる。

でも、その「良かれ」は、何に基づいているのか。

ここを問わないと、人事の経験則は、いつの間にか組織のルールになる。


今回の概念: 実務慣れの知的貧困

少し強い言葉を置きたい。

実務慣れの知的貧困。

実務慣れの知的貧困とは、仕事は回せるのに、現象を説明する言葉が痩せていく状態である。

処理は早い。
社内事情も分かる。
誰に根回しすべきかも知っている。
落としどころも作れる。

でも、問いが立たない。

なぜこの評価制度は納得を生まないのか。
なぜ管理職研修は現場に戻ると消えるのか。
なぜキャリア自律と言うほど、社員は会社に冷めるのか。
なぜエンゲージメントを高めようとするほど、現場は白けるのか。
なぜ心理的安全性を掲げるほど、率直な対話が減るのか。

こういう問いを、概念で扱えない。

だから、すぐ施策に行く。

研修を入れよう。
面談を増やそう。
評価項目を変えよう。
サーベイを取ろう。
制度説明会をしよう。
管理職に徹底しよう。

それっぽい。

でも、問いが浅いまま施策に行くと、施策はだいたい浅くなる。


人事は「人が好き」だけでは足りない

人事に向いている人として、「人が好き」という言葉が使われることがある。

悪いことではない。
人に関心があることは大切である。

でも、人が好きなだけでは足りない。

人が好きでも、人を雑に理解することはある。
人が好きでも、人の行動を単純化することはある。
人が好きでも、制度の副作用を見落とすことはある。
人が好きでも、会社に都合のよい人間観を信じてしまうことはある。

人事に必要なのは、人が好きなことだけではない。

人を雑に分かった気にならない知性である。

人は、思ったより矛盾している。
人は、言っていることと動く条件が違う。
人は、評価されたいのに評価を怖がる。
人は、成長したいのに指摘を避ける。
人は、自由を求めるのに選択肢が増えると迷う。
人は、会社に期待しながら、会社に飲み込まれることを恐れる。

この複雑さを扱うには、気持ちだけでは足りない。

概念がいる。
理論がいる。
研究がいる。
問いがいる。
言葉を磨く時間がいる。


勉強している人事は、言葉が違う

勉強している人事は、知識をひけらかす人ではない。

むしろ、言葉の置き方が違う。

「若手の主体性がない」と言わない。
「主体性が発揮される条件があるのか」と問う。

「管理職の意識が低い」と言わない。
「管理職行動を支える時間、権限、評価、支援があるのか」と問う。

「エンゲージメントが低い」と言わない。
「仕事の意味、安全、裁量、信頼のどこが崩れているのか」と問う。

「研修効果がない」と言わない。
「学んだ行動が現場で使われる転移条件があるのか」と問う。

「人が定着しない」と言わない。
「入社前期待、配属後経験、成長実感、関係性、報酬のどこで契約が破れているのか」と問う。

勉強している人事は、断定が遅い。

すぐに原因を決めない。
すぐに施策に飛ばない。
すぐに人の性格のせいにしない。

その代わり、現象を分ける。
前提を見る。
概念を当てる。
反証を探す。
現場の言葉に翻訳する。

ここに専門性が出る。


人事の勉強不足は、組織に静かに効く

人事が勉強していなくても、すぐに大事故になるとは限らない。

だから厄介である。

給与は支払われる。
採用も進む。
評価も終わる。
研修も実施される。
面談も記録される。

表面上は回る。

でも、少しずつズレる。

採用基準が古くなる。
評価項目が実態と離れる。
研修がイベント化する。
管理職への要求だけが増える。
若手の離職を本人の覚悟不足で片づける。
エンゲージメントを熱量の問題として扱う。
キャリア自律を本人任せにする。

このズレは、すぐには見えない。

でも、組織の判断を少しずつ鈍らせる。

人事が概念を持たないと、組織は人の問題を粗く扱う。

人の問題を粗く扱う組織は、制度を増やしても深くならない。


では、何を勉強すればいいのか

人事が勉強すべきことは、資格の数だけではない。

もちろん、労務の基礎は必要である。
労働法、社会保険、給与、勤怠、安全衛生、ハラスメント、休職復職。
ここが弱いと、人事は信頼されない。

ただ、それだけでも足りない。

人事は、少なくとも次の領域を持っていた方がいい。

組織行動。
人材開発。
キャリア理論。
成人発達。
動機づけ。
評価と報酬。
職務設計。
組織開発。
心理的安全性。
エビデンス・ベースドHRM。
People Analytics。
労働市場。
経営戦略。
事業理解。

全部を専門家レベルにする必要はない。

でも、概念の地図は持っておいた方がいい。

何か問題が起きた時に、どの理論で見ればよいか。
どの概念が使えるか。
どの前提を疑うべきか。
どこに研究知がありそうか。
誰に聞くべきか。

この地図がないと、人事はいつまでも「経験上」と「他社では」と「最近のトレンドでは」で戦うことになる。


人事の学び方を変える

勉強しよう、と言うだけでは続かない。

人事の学びは、実務に接続しないと続かない。

だから、学び方を変えた方がいい。

1. 施策ごとに前提を書く

評価制度を変えるなら、前提を書く。

この制度は、人は何によって動くと考えているのか。
何を公平と考えているのか。
何を成果と考えているのか。
どんな行動を増やしたいのか。
どんな副作用を想定しているのか。

前提を書くだけで、勉強すべき論点が見える。

2. 人事内で「概念会議」をする

制度会議だけではなく、概念会議をする。

心理的安全性とは何か。
キャリア自律とは何か。
エンゲージメントとは何か。
ハイパフォーマーとは何か。
管理職の成長とは何か。

言葉の定義をそろえないまま制度を作ると、同じ言葉で違うものを見てしまう。

3. 成功事例より、反証を読む

人事は成功事例が好きである。

でも、成功事例だけを読むと、都合のよい物語に引っ張られる。

なぜうまくいかなかったのか。
どんな条件では効かないのか。
副作用は何か。
誰にとって不利益が出るのか。
何を測ると失敗に気づけるのか。

反証を読む人事は強い。

4. 研究をそのまま使わず、問いに変える

論文を読めばよい、という話でもない。

論文は答えではない。
問いを深くする材料である。

この研究は、自社の何を疑わせるのか。
この概念は、どの会議で使えるのか。
この知見は、採用、評価、育成、配置のどこに効くのか。
自社では逆の結果になる条件はないか。

ここまで考えて、初めて研究知が実務知になる。


人事の専門性は、やさしさではなく、見立てに出る

人事は、やさしいだけでは務まらない。

厳しいだけでも務まらない。
現場に寄り添うだけでも足りない。
経営に近いだけでも危うい。

人事の専門性は、見立てに出る。

この問題は、本人の問題なのか。
上司の問題なのか。
制度の問題なのか。
仕事の構造の問題なのか。
組織文化の問題なのか。
労務リスクなのか。
成長課題なのか。
配置の不適合なのか。
評価の歪みなのか。

ここを切り分ける力がいる。

見立てが浅いと、人事はすぐ人を責める。
見立てが浅いと、人事はすぐ研修を入れる。
見立てが浅いと、人事はすぐ制度をいじる。
見立てが浅いと、人事はすぐ「現場に任せます」と言う。

人事の勉強とは、知識を増やすことだけではない。

見立ての解像度を上げることである。


まとめ

人事のみなさん。

意外と勉強していないよね?

この言葉は、煽りとしてではなく、自分への問いとして置きたい。

情報は追っている。
手続きも覚えている。
社内事情も分かっている。
現場対応もしている。

でも、概念で現場を見ているか。
経験則を仮説として疑っているか。
制度の前提を言語化しているか。
研究知を、実務の問いに変えているか。
人の問題を、粗い言葉で片づけていないか。

ここで差がつく。

これからの人事は、忙しいだけでは足りない。
親切なだけでも足りない。
制度を回せるだけでも足りない。

人の複雑さを、雑に扱わないだけの知性がいる。

そしてその知性は、現場経験だけでは育ちにくい。

読まなければならない。
問わなければならない。
疑わなければならない。
言葉にしなければならない。
使わなければならない。

人事の仕事は、人を扱う仕事ではない。

人を扱う前に、人をどう理解しているのかを問われる仕事である。


関連記事

このテーマに近い記事も書いています。

このテーマは「人事の違和感」シリーズで続けて書いています。
人事の専門性、制度運用、概念知、現場の見立て、エビデンス・ベースドHRMを扱っています。


根拠・確認メモ

  • 服部泰宏・江夏幾多郎・伊達洋駆・岩本慧悟による「人事プロフェッショナルのしろうと理論と科学的エビデンスはどこまで一致するのか?」では、人事実務者の経験則や暗黙の前提を、科学的エビデンスと照合する必要性が示されている。

  • 岩本慧悟・服部泰宏・伊達洋駆・江夏幾多郎による「人事プロフェッショナルは人事管理に関わる概念をどこまで知っており,どこまで使っているのか?」では、人事担当者の専門性を、概念知識とその実務活用の観点から捉えている。

  • 本稿では、これらの論点を背景に、人事の学び不足を「情報不足」ではなく「概念で現場を見る訓練の不足」として整理した。

出典:


#AI
#人事
#HR
#人事の仕事
#これからのHR
#人事職
#HRBP
#人事企画
#組織開発
#人材育成
#人事制度
#評価制度
#採用
#労務
#エビデンスベースドHRM
#PeopleAnalytics
#人的資本経営
#キャリア
#学び
#大人の学び
#専門性
#マネジメント
#組織文化
#問い
#概念化

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集