高3の秋に家業が廃業、大学1年で入院した話
これから、なぜ僕が起業することになったのかの経緯について、順を追ってお伝えしていこうと思います。
1.実家の看板屋が高3の秋に廃業
僕の実家は長崎で看板屋を営んでいましたが、僕が高校生のときに廃業しました。
いま思えば、継いでいても向いていなかっただろうなと思います。絵は好きでしたし、実家の看板業も腕は良かったなと思い出せるんですが。
僕の祖父は芸術大学出身で、絵では食べていけなくて看板屋を営んでいました。その看板屋を父が継いで、僕は14歳の頃から夏休みに工場まで手伝いに行くようになります。
夏休み中は、こんな仕事の取り方でいいのかとか、もっと作業を効率化すればいいのにと思うところがいっぱいあって、だから、仕事ってこんな感じでもやっていけるのか、くらいに思っていました。
手伝いは高2の頃まで続けましたが、最後はだいぶ業績が傾いていて、父がお昼から工場でお酒を飲んでいるような状態でした。さすがに僕も「これはだめだろう」と思いました。
それまで何も考えていなかったから高校も私立でしたし、そのままエスカレーター式で大学に行こうと思っていて、数年もすれば看板屋も自分が継ぐことになるだろうから、そうしたら業績も良くなるだろう、くらいの気持ちだったんです。
大丈夫、少なくとも今よりはよくなる、と思っていたら、その前に潰れました。高3の時です。9月の中旬でした。
2.自立を前提に大学に進学することに
とにかく頭の中は「やばいなあ」です。真面目に授業も聞いていなかったし先生と初めてしゃべるくらいの感じで、「どうしたらいいですか」と相談に行きました。
それで、学費がないならいいところがあるよと薦められた大学があって、受験しようと思ったら募集が終了していました。高校3の秋だったから間に合わなかったんですよね。
私大は高いから選択肢にないし、学費がタダになるような推薦の枠には入れなかったのですが、特待生で通えるところがなんとか見つかりました。
父は、進学どころか高校もやめてくれと言っていたんですけど、母が「まあ、あと五ヶ月ちょっとだから」と説得してくれました。
大学に行くためのお金なら自分で工面できるでしょう、学費がほとんどないんだからアルバイトでもなんとかなるでしょう、と。
そんな流れで、アルバイトをしながら大学に通うことになったんです。

3.大学1年、入院する
大学へ進学すると、家族がバラバラになって、実家は引き払われました。
僕の携帯が止まっていたので、しばらく親とも連絡がとれず、完全に自立をしなくちゃいけなくなりました。
人のことを考える余裕なんて全然ないし、生きていけないのでアルバイトをたくさん入れました。
仕方ないからと嫌々働きながら、給料日にお金が振り込まれて「ああ、これで生活できるな」というサイクルを続けていました。
でも、真面目に働いていなかったのでシフトにも思うように入れなくて、そのうち公共料金も滞納するようになって、大学1年の夏に倒れてしまったんです。
栄養失調とはしかの合併症でした。2週間入院し、死の淵を彷徨うことになりました。
そのときは朝昼晩の全てがホットケーキという食生活で、179㎝の身長で体重が56kgしかありませんでした。
電気とガスが止まるとそれすらも食べられなくなり、水道まで止まったので倒れてしまった。ギリギリの生活を送っていたんです。
入院中は42度まで熱が上がったのですが、高熱になると頭が冴えてきたタイミングがありました。39度くらいが一番痛くてズキズキして、上がるところまで上がってスカッとしてきたというか。
それで、ずっと自問していました。

4.原因は僕自身だったと気づいた
普通の家に生まれていればこうなっていないわけで、父がちゃんと仕事をしていればとか、飲んだくれていなければとか、同級生は予備校に行って推薦で進学できたのに、と考えてしまいました。
こんな風になるんだったら、別に生まれてこなくて良かったじゃないかと。
例えば神様がいたとして、君、そろろそろ生まれるんだけど、こんな感じの人生になるよ、という話を聞いていたら「じゃあいいです」とか、「それパスできます?」と聞いただろうなと。
でも、もう生まれちゃったわけで、いや、なんかおかしいよなと。
身体が動かなくて頭だけが冴えていたから、とにかくずっとそんなことを考えてしまいました。
すると、こうやって入院することになったのは僕のせいだったんじゃないか?と思えてきたんです。
アルバイトのシフトに入りにくかったのも、僕が嫌々働いていてやる気がなかったからそんな奴使いたくなかったんだろうな、とか、
アルバイト先で大事にされていなかったのも僕が職場を大事にしていなかったんだから当たり前だったんだな、と。
もうこんな風に入院したくないし、嫌々働くのはやめよう、と横になりながら反省しました。
それで退院して、与えられた仕事を頑張るようになって、アルバイト先で「お前、なんか良くなったね」と褒められました。
シフトにも入れるようになって、徐々に待遇も良くなっていきます。
僕は自分がダメダメだったことに、倒れて初めて気づいたんです。
だから、いま僕が「社員が甘えたことを言っている」とか、本当はどうこう言えないんですよね。僕は死に目に遭わないと気づかなかったんだから。

(次回)本当の意味で変わった、その後の出会いについて
こうして、入院をきっかけにダメダメだった自分を見直したわけですが、僕の意識がハッキリと変わり、起業を目指していくきっかけに出会うのは、もう少しあとのことです。
20歳のときに、ターニングポイントになる出会いがありました。
次回は、その時のお話です。
続きリンク
https://note.com/joe_sadamatsu/n/nc8ba99ece2e8
https://note.com/joe_sadamatsu/n/nda4cfe39c090
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