「花散るらむ、それでも君と」12
第11章 静かな引き渡し
四月二十二日、午前七時。
職員室の電話機が甲高く鳴り、石川教頭の声が途切れた。「——陰性じゃなかった。移植、延期だそうだ」
理香は手にしたクラス連絡簿を落としそうになる。昨日櫻華が「結果が朝に出る」と言っていたクロスマッチ。陽性=拒絶予測——適合は取り消されたのだ。
(また突き落とされたんだ……あの子)
胸がざわめく。だが悲嘆に浸る暇はなかった。十分後、吉野京一が意識不明で救急搬送されたという第二報が飛び込む。
午前十時三十分。
病院ロビー。理香が駆けつけると、石川教頭と吉野家の両親が面談室に入るところだった。
ドア越しに聞こえる医師の声。
「くも膜下出血で大量出血。脳幹反射が著しく低下……脳波消失確認のため、第一次判定を行います」
理香は壁にもたれた。掌が湿って震える。
午後一時。
第一次判定陰性。医師団がタイムチャートを提示し、二回目の脳波測定を六時間後に設定。臓器移植コーディネーターが控室に現れ、吉野家へ意思表示登録の説明を行う。
吉野理恵の指が震えながら同意書に触れ、宗一郎が「息子の希望です」と嗄れ声で繰り返す。
(先生、まだ温かいのに——)
理香は祈るように目を閉じたが、現実は止まらない。
午後三時。
一階のデイルーム。櫻華はクロスマッチ陽性の報を受け、脱力してソファに沈んでいた。両親に支えられても、目は虚ろだ。
そこへ石川が駆け寄る。「——吉野先生が倒れた。詳しくはまだ言えないが、容体は重い」
櫻華の唇が震える。
「嘘……だって、昨日……」
父・一徳が肩を抱え、佐伯医師が「今は君自身の体力を守るんだ」と静かに促す。
午後七時。
脳死二回目判定——平坦。
医師は「法的脳死が成立しました」と宣言し、移植ネットワークが正式にドナー情報を配信。
その直後、佐伯のポケベルが振動する。
> 『AB型・10代女性/心臓待機 優先スコア**』
モニターを覗き込み、彼は眉を上げた。
(櫻華……! タイミングが重なった?)
急ぎクロスマッチ予備サンプルを照合。三十分後、“陰性=適合” の速報が返る。体格・臓器サイズも問題なし。
「奇跡だ……」
佐伯は思わず呟き、家族控室へ走った。
午後七時五十分。
控室。宗一郎がペンを持つ手をそっと置いた瞬間、扉が開き佐伯が飛び込む。
「先ほどクロスマッチを再検しました。吉野先生の心臓が——蔵内さんに完全適合しました」
場が凍る。
理香は息をのみ、一徳は立ち上がり「え……」と声を失う。
佐伯が重ねて言った。
「数時間前に候補が消えたからこそ、優先順位が繰り上がった。AB型の若いドナーは希少です。医学的・倫理的に問題はありません。承諾いただければ、今夜中に移植準備に入ります」
理恵は泣きながら頷き、同意書にサインを走らせた。
午後八時三十分。
外科手術棟。無影灯の下、京一の胸が静かに開かれる。摘出チームが拍動を保護する冷却剤を噴霧し、心臓は白い霧に包まれた。
同時刻、別フロアで櫻華の手術室が準備され、麻酔医が静脈ラインを確認する。
☆
午後十時。
病院屋上。理香は夜風の中で涙を拭った。遥か下の手術棟、その窓が二か所だけ夜を焦がす。
(先生の春はここで終わる。でも、その鼓動はあの子と一緒に——)
風が頬を撫で、遠くで救急車のサイレンが小さく消えた。
理香は胸に手を当て、星のない空へ囁く。
「生徒たちに、あなたの春をつなぎます。——必ず。」
序章 ―散った声が、胸に降る―
第1章 色のない春
第2章 薄紅の予感
第3章 桜の補習
第4章 父の影、娘の決意
第5章 揺れる教師たち
第6章 薄暮の約束
第7章 雨のドナー通知
第8章 病室の告白
第9章 白い夜明け
第10章 砕ける閃光
第11章 静かな引き渡し
第12章 新しい鼓動
第13章 雨上がりの教室
第14章 薫風の坂道
エピローグ
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