なぜnoteは続くのに、ダイエットは続かないのか?|考えて見つけた解決策(仮)
昨日のnoteで、毎日noteが28日続いているのは「書くことを”やらなければいけないこと”に格上げしたから」だと書いた。
でもダイエットだって私の中では「やらなければいけないこと」なのだけど、いまのところ始められてもいない。この差はどこにあるのだろう。
今日の内省テーマは「なぜ毎日noteは続けられるのにダイエットは続かないのか?」だ。
生成AIのClaudeと話して気づいたこと
「生きること」レベルで大切なら、すぐ格上げできる
毎日noteが続く理由は、私にとって書くことは「生きること」だから。
もともと四六時中、なにかしら考え続けており、考えた結果を書きたい人間だし、 20年以上書き続けてきた。
つまり「書く時間をちゃんと確保すること」が「自分を大切にすること」とほぼイコールなのだ。
“やらなければいけないこと”に格上げするには「自分が大切にしたい書く時間をちゃんと取るぞ」と決意するだけで済んだ。
ダイエットは、私にとって生きる意味にはならない
でもダイエットは私にとって生きることほど大切じゃない。ただの苦行だ。やらなければいけないとは思っているけど、「できたらいいな」くらいの気持ちで、緊急ではない。
生きることレベルで大切な書く時間すら捻出できないくらいに自分の時間をうまく作れない私が、できたらいいねレベルのことに使う時間を作れるわけがなかった。
なんでこんな単純なことに40年も気づかないのだろう。あほすぎる私。
つまり現時点の私が「やりたいこと」を「やらなければいけないこと」に格上げできる条件は、自分が生きる意味くらいに直結してるかどうかなのだ。
いまのところダイエットは生きる意味にはなっていない。
ありがたいことに「そのままでいいよ」と言ってくれる夫と子どもたちがいることが、私がありのままの自分でいいと思える理由でもあるけど、それと同時にダイエットに本気になれない理由でもあるのだ。
なんという矛盾。人生って、なんなん。
ということは、私が彼氏募集中だったらダイエットが生きる意味になるのかもしれない。なるのかもしれないけど、彼氏募集中だったら大問題だろう。この線は無しだ。
じゃあ、どうしたらいいのだろう。もう少し考えてみる。
「痩せていた時期」に共通すること
過去にダイエットに成功していた時期が3回ある。どの時期を振り返っても「いい感じだった自分」だった。その時期の写真はよく見返す。最近の写真はあんまり見たくない。
痩せていたのがどんな時代だったのかを書き出してみる。
人生の3大痩せていた時期まとめ
大学時代(サッカーに打ち込んでいた時期)
結婚式の前(20代半ば)
育休中(つまり授乳中)
これを時間の有無で分類してみると、こうなる。
1. 大学生=仕事してなかった(暇だった)のと、春雨にハマっていた
2. 結婚式の前=仕事は忙しかったけど、痩せることが最優先だった
3. 育休中=仕事してなかった、かつ授乳中という勝手に痩せる時期だった
ここからわかることは、私は人生において、
わりと時間があって心のゆとりがあるときにしか痩せていない
ということだ。
つまり「忙しい状態で、ほかに優先順位の高い時に痩せていた時期がない」ということになる。
え、私、人生のだいたいの期間、ぽっちゃり体型だったってこと?
いまさら気づいてどうすんだっていう感じではあるが。
せっかく気づいたので、もう少し考えてみる。
忙しくても、働いていても、ほかに大切なことがたくさんあっても、苦労しないで痩せる方法を編み出さなければ、私はずっと小太りのままで人生が終わってしまう。それは嫌だ。
痩せていた時期のことを思い出してみる。
痩せていた時期にやっていたこと、うまくいっていたこと
運動を毎日していた(部活で習慣化されていた)
散歩もしてた(赤ちゃんとの散歩が習慣化されていた)
宅トレしていた(みんなでYouTubeを見ながら踊っていた)
マッサージしていた(これも習慣化していた、なんでだろう)
痩せていた時期ですら苦しかったこと
食事制限(食べたいものを我慢するのが嫌だった)
同じことの繰り返し(同じ宅トレ動画を見続けると飽きてしまう、けど探す気力がない)
痩せていた時期に感じていたこと
自分に自信がもてた
コツコツ継続できる自分が誇らしかった
自分を大切にできている感覚があった
ここまで書いて、なんか…
そもそも私が求めていたのは、痩せた身体だったのか?
という気がしてきた。
大切なのは、
自分のことを大切にしているという感覚
自分のことを「いいじゃん」と思える感覚
なのではないか。
「ダイエットしたい」の奥底にあるもの
私は本当に痩せたいのだろうか。どちらかというと、
いまの自分、いいじゃんと思える自分でいたい
というだけなのではないか?
もっと言うと、
いいじゃんと思える自分をキープするために、コツコツできる自分でいたい
だけなのでは?
そういえばコツコツできない劣等感をこじらせていたという話を書いたけど、私のコツコツ劣等感とも絡まっていそうな気がするぞ。
とりあえず、たぶん私は、
自分を大切にしていると思いたい
だけなのではないだろうか。という仮説にたどり着いたのだけど、どうなのだろう、かなえさん(自分)。
ここで、じゃあ、なぜ運動できないのか?を改めて考えてみると、めちゃくちゃしっくりくる理由が見つかった。
気づき:運動するより、考えたい。書きたい
私、たぶん、運動したり散歩するより、静かな部屋であれこれ考えたいし、ノートも書きたいし、文章を書いていたいのだ。
時間があればあるだけ考えたいし、書きたいのだ。それが私にとっての幸せな時間なのだ。
散歩しながらアイデアが浮かんでくることがあるのも知っているけど、書きながら考える方が楽しいのだ。
そんな状態で、どうして散歩できようか。いや、できない。
矛盾しすぎている。
運動したり散歩できる自分でありたい。自分いいじゃんと思えるためには引き締まった身体がほしい。でも、運動すると書く時間が減る。書く時間が減るのは嫌。だから、運動しない。
詰んでる。
どうしたらいいのだろう。
楽しく散歩できる方法はないのだろうか
なにか、歩きながらでも「PCに文字を打っているレベルで考えられる方法」はないだろうか?
ポッドキャストを聞くという手があるのは知っているし、私はコテンラジオが大好きなのだけど、インプットしたい時期とアウトプットしたい時期があって、最近はアウトプットしたい時期なのだ。
ここで急に閃いた。
AIと会話しながら散歩すればよくない?
AIって音声会話できるのかな?
どうもClaudeはできないけど、ChatGPTだったら音声読み上げ機能があるっぽい。私が音声で聞いた質問の回答を読み上げてくれるらしい。
それなら散歩しながらのアウトプットができるかもしれない。やれそう。いいじゃん。
でも、うまくいかなさそうなポイントをすぐに思いついた。
私は日本語を一方的に聞くのが苦手なのである。
オーディブルを聞いていた時代もあるのだが、長続きしなかった。TVも動画も苦手だ。
受動的に情報を摂取するのが苦手なのだと思う。動画よりも、本や漫画みたいに自分でスピードを調整できる方がいい。人間の話すスピードが遅く感じてイライラしてしまうのだ。
という性質を考慮すると、音声を読み上げてもらうのはイマイチっぽく思ったのだが…
AIからの出力を英語にしたらどうだろう
と思った。
英語は聞き取りに集中しないといけないから、日本語よりも受動モードで聞くことへの抵抗がない。いいかも。
試しにChatGPTからの返事を英語で読み上げてもらったら、いい感じの難易度だった。しかも人間じゃなくて機械が読み上げるので、超わかりやすい。
しかも、私って日本語で文字ベースで思考することが多いけど、英語で音声ベースで思考すると、もしかしたら違うアイデアが浮かぶかもしれない。
試してみる価値はある。ちょっとやってみよう。
ということで暫定の解決策を見つけた。
解決策(暫定):散歩×音声入力×AI×英語
この方法で実現すること
運動できる(散歩)
考えを記録できる(音声入力)
AIと対話できる(思考が深まる)
英語リスニングの練習(英語で返事してくれる)
後から会話履歴も見られる
いいじゃん。やってみよう。
一気に4つのことを掛け合わせられて、なんかお得な感じもするし。
そして、ここで、数日前に書いていたマインドマップで考えていたことと一致していることに気づく。
自分の人生で大切っぽい要素との関係性
そういえば、数日前にマインドマップを書いていたときに、自分の人生で大事っぽいことに気づいていたのを思い出した。
その日に脳内に浮かんだワードはこれだった。
「個別指導」x「独学」x「メンタルケア」

今日思いついた継続しそうな散歩の方法は、
「散歩」x「音声」x「AI」x「英語」
だった。
これって、数日前に思い浮かんだワードとめっちゃ相関性がある。
個別指導 → 自分の考えを教材して、AIが個別に対応してくれる
独学 → 自分のペースで、自分のやり方でできる
メンタルケア → 散歩で体を動かし、精神状態をよくする
全部、一致してるじゃん。まさに「AIを使った個人に最適化した学び方」じゃん。
なんかよくない?このアプローチ。
「努力論じゃなく、続けられる『しくみの作り方』を考える」みたいなコンセプト。
今日のここまでの内省でわかったのは、私はなにを望んていて、どういうことなら続けられそうで、続けられなそうなのか。
私は自分にとって大切な「考える時間」をキープしながら、個別最適化した回答を得つつ、運動できる。日本語の音声を聞くのはちょっと苦手だから、いったん英語で聞くのをやってみる。
「毎日30分、散歩すること!」みたいな目標だけ立てて、できなかった…みたいな自己批判を続けてきたこれまでよりは、よっぽど実現できそうじゃない?
なんでいままで気づかなかったんだろう。やってみよう。
これ、モヤモヤ言語化サービスのひとつの提供価値にできる可能性ないかなあ。
「あなたに合った続け方を一緒に考えます」みたいな。
ダイエットが続かない → あなたはどんな人?どんな方法が合う?を一緒に考える → じゃあ、こうしたら?を見つける。
勉強が続かない → あなたはどんな人?どんな方法が合う?を一緒に考える → じゃあ、こうしたら?を見つける。
そんな感じで、ひとりひとりに合わせた方法を設計する伴走者みたいなの、求められてないかなあ?興味がある人、ぜひご連絡ください。
根性論とか努力じゃなくて「自分にあったやり方を見つける」って、これからの時代すごい大事になりそうだよね。
以上、毎日note、29日目でした。
▼ 朝ウォーキング、始めました。
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